突然ですが、皆さん!

あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む

百人一首の3番目に選ばれた、天才歌人・柿本人麻呂の名歌ですが、これ、どのように解釈されますか?

大多数の方は、独身中年おじさんの、長い夜の独り寝の嘆き節と取ることかと思われます。が、実は、そうじゃないんです!

…というわけで、今日、小ブログ主は、鎌倉で開催された「ねずさん」こと小名木善行さんの講演会「百人一首に学ぶ日本のカタチ」に参加してまいりました!

小名木さんによれば、百人一首とは、天智天皇以来、鎌倉幕府という初の武家政権に至るまで、権力の中心だった朝廷・公家が理想としてきた「国柄」を表した一大叙情詩であり、100首の和歌の配列は単なる年代順程度のものではなく、物語の筋に照らしてちゃんと意味があるのだ、そして個々の和歌の解釈も、字面だけでは理解できず、よみ人、配列順、作歌の経緯などを総合して初めて真に理解できるものだ、とのこと。

その詳細は、4月24日頃発売予定の新刊「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首」にて、明らかにされます。

冒頭の「柿本人麻呂」の例に戻りますが、この歌を正しく理解するポイントは、以下の通りです。
(1)あしひきの・山鳥・ひとり寝る長い夜
(2)柿本人麻呂という人物
(3)その前の2首は、ともに天皇陛下御製(天智天皇、持統天皇)

(1)あしひきの→枕詞で「山」を導きますが、決して意味のない文言ではございません。足を引きずって歩くほどの険しい道、という、意味があります。山鳥というのは、今でいう孔雀やキジのような鳥で、それほどの苦労をしても、なかなか出会えない。山鳥に会おう、というのは、いわば宝探しです。そんなお宝を求めて、毎晩毎晩、長い夜を独り寝で過ごす。
実のところ、この文言の本旨は、「歌詠みとはこういうことだ」ということなのです。
また、天才歌人とされる人物の言であることから、「あれほどの天才でも、これほどの苦労をして、一首の歌を詠むのだ」と解釈できます。
(2)柿本人麻呂という人物は、和歌の才能には長けていましたが、実のところ、非皇族の人物で、身分は低く、宮廷でもさほど出世はしませんでした。
(3)その前の2首は、ともに天皇陛下御製であることを踏まえて、(2)の事実を解釈すると、この配列は、「身分、出自、その他属性にとらわれず、有能な者は、積極的に登用する」との表明であると解釈できます。

周辺情報を総合するだけで、31文字から、字面だけでは読み取れない、これだけの情報が読み取れるわけです。

こうした「言葉の裏側」を読み取ることを、我が国では、「明察考過」と言います。
「明察考過」とは、「和をもって貴しとなす」でおなじみ「十七条憲法」の第11条に記述があり、「察する姿勢」を旨としたもの。我が国の精神文化の基礎といえるもので、例えば、人が喜ぶことは先んじてやってあげたり、何か悪いことが起きそうなら対策を打っておこう、ということです。2020年の東京オリンピック誘致スピーチでおなじみの「おもてなし」などは、まさにその最たる例です。

大化の改新で我が国独自の年号を初めて導入し、朝廷の統治の基礎をつくった天智天皇から、承久の乱で流刑とされた順徳天皇まで、100首にわたり、延々これが続きます。(まぁ、文字通りに取って良い歌も、そこそこあるのですが…)
そこから、朝廷・公家が古来理想としてきた「我が国のかたち」が、見えてきます。

小ブログ主にとって、今回の講演会は、驚きと気づき、感動の連続、それと同時に、自身の無学を嫌というほど実感させられました(笑)
正直、あまりに凄すぎて、ブログに感想を掲載するのをためらいました(笑)

詳細は、来月発売の「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首」をお楽しみに!