早いもので、気付けばこの連載もスタートして1年。「百人一首」の恋の歌は43首あるので、本来ならとっくに終わっていてもいいような気がするのですが、そこはなかなか深いもので、考えをめぐらせていくとなかなか一筋縄にはいかないものでして。結果的に考察の時間だけでたんまり使い切ってしまうことも多く、そうして何度も配信のチャンスを逃してしまっていたり。(笑)

 

一緒にいられる、その時間、ドキドキも、ホッとする瞬間も、何もかもが最高!片時も離れたくない!次の約束まであと何日?何時間?そんなことを考えていたら、気がついたらいつも「会いたい」!別れてから5分も経たないうちに、また「会いたい」!おかえりもおやすみも、キミのそばで言えるようになりたい!

そんな恋に憧れ、ときめくガールの気持ちも、実は今日に始まったものではなく、1,000年の昔から、語り継がれてきたもの。

(1)難波潟 みじかき芦の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや
(2)わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ

同じ「難波」、つまり潮風薫る大阪の海をバックに募る恋心を語る2首ですが、(1)では湿地に自生する葦の節、(2)では停船標識である「澪標」に注目しています。以前にもお伝えした通り、「澪標」というのは「身を尽くし」との掛詞であり、つまるところダジャレなのですが、我が身を、命を懸けてでも、ということで、「この恋だけは!」「今すぐ会いたいよ!」と、相手により迫る、止められない恋心をよく表しています。また、葦の節というのは、デカルトの言葉にも言われている通り、葦というのは弱い植物。細く中空構造で簡単に折れてしまう。節の間も短く小さい空間があるだけ。ちょっとの水でも、ちょっとの恋心でも、すぐに満杯になってしまいます。毎日毎晩、そんな小さな心の片隅を、「会いたい」が満たしていく、その繰り返し、そんなの無理、今すぐ会いたいよ!と。

「難波」「みおつくし」といえば、こんなのも。

難波江の 芦のかりねの ひとよゆえ みをつくしてや 恋ひわたるべき

実は昨年紹介しているのですが、掛詞など技巧的な解説がほとんどで、肝心の「解釈」にはあまり触れられなかったので、再掲いたします。

改めて述べますと、「芦のかりねのひとよ」が上に述べました「葦の小さな節」にあたり、「かりねのひとよ」は「仮寝の一夜」でもあります。つまり「勢いでしちゃったばっかりに、キミのコトが忘れられなくなっちゃった!」というわけです。こういうときに「フライデーされるのが嫌だからお断りしますわ~」なんてデキたお姫様もいたものですがね。

「別にタイプでもなかったのに、そんなつもりもなかったのに、気がついたら考えてるのはキミのコト。もう次はないって、この気持ち、届かないってわかってるけど、もしかしてまた会ってくれたり、またあのときの二人に戻ってくれたり…しないよね?」

ってところでしょうか。

この春キャンパスデビューしたガールの皆さん、早速本命のカレにめぐり会えたコ、まだこれからのコ、いろいろおられるとは思いますが、少しの会えない時間も愛しい、目を閉じれば浮かぶのはキミのコト、そんなカレにめぐり会えるチャンスは、思わぬところに転がっているかもしれません!