突然ですが、皆さんに質問です。

「もし今日があなたの人生で最後の日になるとしたら、あなたは何をしますか?」

とびきり美味しいものを食べたい、どこか海外旅行に行きたい、お世話になった先生に会いたい、この場で静かに息を引き取る瞬間を迎えたい…答えは人それぞれでしょう。ただ、いずれにしても、人生最後の瞬間が、最高に幸せな瞬間であってほしい、というのが共通するところではないでしょうか。

話は変わりますが、最愛の人とともにする時間、それはそれは、いかんとも形容しがたい至福のひととき。ある文豪は、「薫風かおるがごとし」と喩えています。まさにどの名店にもまさる至高の美味。それは、洋の東西、そして時代を問わず、すべての人類、いやあらゆる生きとし生けるものにとってそうです。

そんな恋のドルチェ・ヴィータを、1000年前の宮廷社会を生きた人々はこのように語り伝えます。

(1)忘れじの 行く末までは 難(かた)ければ 今日を限りの 命ともがな
(2)君がため 惜しからざりし 命さえ 永くもがなと 思いけるかな

「小倉百人一首」における収録順は(1)が54番、(2)が50番。よみ人は、(1)儀同三司母、(2)藤原義孝。(1)の儀同三司というのは、当時新設された宮廷の役職の名前で、三司=左右大臣・内大臣に次ぐ権力を有します。藤原伊周(これちか)が最初にこの役職に任命され、その実母であるよみ人は、初代儀同三司の母という意味でこのような呼び方をします。
(1)は姫歌(よみ人がお姫様)ですが、(2)は殿歌(よみ人がお殿様)。ここまでにご紹介した歌のよみ人は、3月11日の「末の松山」を除きすべてお姫様でしたが、今回お殿様が初登場。どちらも、幸せな恋の至福のひとときに、いまこの瞬間に我が人生が終わりを迎えようとも惜しむことはないと、同じような心境を語ってはいるものの、いろいろと違います。

とりあえず、これだけだと意味が取りづらいので、おおざっぱに解釈を。
(1)「『忘れへんで』…言うてくれてありがとう…ウチメッチャ幸せや!…でもな…このまま死ぬまで、その言葉、信じつづけてええかどうかわからん…そんなんやったら、今日で人生終わってもかまへんで!」
こんな幸せな瞬間が未来永劫続かないなら、いっそこのまま!
(2)「あんたに会えたら、もうここで人生終わってもかまわん…そう思うとった。それやのに、気づいたら、オレ、また今日も明日も、生き続けたいって思うてんのなぁ…」
気づいたら、といっても、それは朝が来て、ハニーと別れた後のこと。つまり、恋の夢から覚めた後、ということになります。

一度は我に返りながらも夢に戻ってしまう姫歌の(1)と違い、殿歌の(2)には、我に返った瞬間を客観的に見た、なんとなく理性的なオチが加わります。似てるようで、実はこれぐらい極端に書かないと伝わらないぐらい違います。

ガールの皆さん、人生最後のひとときはこの人と迎えたい、と思えるほど、愛しい人はいますか?また、いるという方、いまお付き合いされているカレとは、「このままで時間が止まってくれたなら…」「このまま人生終わっても!」と思えるほど幸せな時間を過ごしていますか?「今カレがダメでも次がある!」と考えてしまうと、緊張感のない、そしてときめきもない、ダラダラした恋になります。カレがいなくて恋活中の方はさておき、いま本命のカレがいるという方、特に32歳以上の方は、「これが最後の恋!」と思って付き合いましょう!間違っても「アラフォー独身40代女子」などと痛い開き直り&若造りに走ることにならないように…。