神田須田町からJR神田駅西口近くまで来ると、多町大通りの薬局に前に『東京都指定史跡「神田下水」』の標識がありました。
東京ガードレール探索隊

神田下水は、JR水道橋駅近くにあった神田上水が江戸時代だったのに対し、明治時代に造られたものです。
東京ガードレール探索隊

標識によると、
『この道路に下には、東京都指定史跡である「神田下水」が埋設されています。この「神田下水」は、明治17年に、一般市民の衛生や都市環境を改善することを目的に、近代工学に基づいて建設された我が国初の近代下水道といわれています。
 現在の下水道と異なりレンガで積まれ強固に築かれており、完成後100年以上を経過した今日でも、その機能を十分に果たしていることから、現存する重要な近代土木遺産として認められ、平成6年3月に東京都指定史跡に指定されたものです。
 江戸から明治に移り、海外との交流によりコレラがもたらされました。当時の神田地区は、人口過密であったため特に著しい被害に見舞われました。その惨状を前に下水道整備の必要性を痛感した明治政府は、見時16年4月30日に、内務省卿山田顕義の名により、東京府に対して上下水道の整備を促す「水道溝渠等改良ノ儀」を示達しました。
これを受けて内務省の土木技術者・石黒五十二が設計を担当し、当時の内務省土木寮の雇技師であった、オランダ人技師ヨハネス・デ・レーケの意見を求めて設計をまとめたものです。そして明治17年に神田鍋町、鍛冶町以西、竜閑橋筋新川以西、(現在のJR神田駅周辺)を対象とした工事が開始され、翌18年には第二期工事として、第一期工事区域の東側で工事が行われました。しかし、これ以降の工事は、主に財政上の理由から中止され、結果的にはレンガ積み菅が約900メートル、陶菅が約3、100メートル、計約4000メートルの下水道管が建設されるに止まりました。史跡に指定された「神田下水」は、適切な管理のもとに現在まで残っているレンガ積み菅の部分です。(以下略)』(『東京都指定史跡「神田下水」』のパネルから)


 神田下水は、管の断面が卵を逆さにしたような形をしていて、この形状は、管内に流れる下水の量が少ないときも下水の水深が深く流れの速さを確保でき、ごみが蓄積しないことが特徴で、下水道管として合理的な断面をした形だそうです。(東京都下水道局HPから)


100年以上前の下水道設備がまだ使用されているとはすごいです。

でも最近埋設した下水道は、整備工事多くね?

工事中=スバル=工事中