お久しぶりです。
仕事が輪にかけて忙しくて、いつのまにやら、5月末、ゆるゆる生きたいしーこです。
何やら、忙しくしておりました。
忙しいせいかぼーっとすることも多く、毎日寝るまで何してたかな?といった心境です。
まあ、いうなれば心此処に有らず。
有らずより在らずのほうがいいかも。
仕事しんどいなーって仕事してたら、
ゆるゆる生きたいのに、なに必死になってんだろ、肩に力入ってんなあ~って
思ってしまいました。
ふとした拍子に、電池が切れそう。
何に必死になってたか、わからない。
何に対して、追われていると思ったのか、わからない。
でも、なんか追いたてられてる感じがして、背中が重くて、朝起きるのもつらくて、
それでも何とか生きてたかんじ。
心がしんどいと悲鳴をあげる中、
下を向きながらも、自分なりに真摯に仕事して、時に腐りそうになりながらも、生きてた。
ムカつくことなんて日常茶飯事。
仕事してくんない人に指摘される日々。
ボイコットしたろか、と思ったことも一度や二度じゃない笑
それでも生きてた。
心の支えって言ったらあれだけど、
やっぱり自分の中で公演を観劇することってモチベーションにつながるものがあるから。
ミュージカル刀剣乱舞(刀ミュ)
刀ミュが大阪公演なくなって、
キャストの想いを考えて、落ち込んで、
東京凱旋公演もできるかできないかギリギリまで協議されてたんだけど、公演再開されて。
それだけでもうれしいのに、
なんとなんと、
凱旋初日、大千秋楽日、
仕事がたまたま休みで!!!!!!
初日もライブ配信を購入して、PCで観劇しました!!
親と同居だから、「この日とこの日はPCで舞台みるから!!」って自己申告しといたら、放っておいてくれた。
初日に関しては父が
私がぎゃーぎゃー言ってる声を聞いて、
草刈りあったのに、静かにしておこうって仕事やめてくれた…。
父は呆れられながらも
「あんな楽しそうやし、邪魔しないでおこうって思って」
と母に言っていたらしく、
あとでそれを聞いて、
恥ずかしいけど、父の配慮がうれしくて堪らなかった…。
一年に二回は確実に東京や大阪で舞台を観に行っていたことを知ってるからか、
そうでなく、
本当に久しぶりに、楽しそうにしてる私を見たからか、
定かではないけれど、
お父さんありがとーー
その日だけお夕飯作らんくてごめんねー
いつも夕飯作りしてるけど、その日だけサボるのもいいよーって言ってくれたお母さんもありがとーー
同居めんどくさいことも多いけど、
こういうとこで、
親の愛情感じちゃう

最近は配信見たり、
他媒体で書いたり
そんな日々です。
やっぱ疲れてるとなんも書けないので、
2週間とか書けないときあって、
わーー、久しぶりに余裕ないんだなあ、やっば!
となっておりました。
無から生み出すのは、
必要以上に疲れる。
溢れ出てくるものを形に整えるのは難しくてもそこまで疲れない。
でも、生み出さなきゃって思うと、
空回りするし、思ったようなものにもならない。
何度か経験した書けない期間から得た自分の考えなんですけど、
書けないときはどうしようもないから
書きたくなったら書く を実行してます。
このブログもそう。
書きたくなったら書く。
毎日更新してる人すごいなーって思うけど、
その人その人でタイミングや想いの乗せかたがあるので、
毎日更新することが偉いというわけでもないし、
なんか感じることがあったときに書き留めたい
その場が此処なのかなって思ってる。
私の中のブログの立ち位置はそんなかんじ。
書き留めたい想い、残しておきたいこと、
誰かを元気にできないかもしれないけど、共感はあるかもしれない。
響く人、響かない人、
それぞれ。
たくさん感じかたがある。
なんで、そんなことを、思ったかというと
今回、私が見た刀ミュ
ミュージカル刀剣乱舞は副題が東京心覚(とうきょうこころおぼえ)というもので、今までのストーリーとはまた違ったメッセージ性みたいなものを勝手に感じていて。
存在すること、想い、
わからないなりに響く言葉があって、
心が震えていました。
三月の東京公演初日を見て、わからないなりに泣いた話は少し前にしたかなあと思うんですけど、
凱旋初日、大千秋楽を見て、今現在、大楽のディレイ配信を見て、感じることがありました。
“誰かが覚えている内は、それはなかったことにはならない"
“華の香り、歌の調べ、残らなかったものはなかったものなのか、そうではあるまい"
“そうだったらいいなってこと"
言い出したらどれもこれもいいセリフばかりなのですが、
とくに覚えている言葉はこれかな?
人によって、感じかたが変わる言葉。
存在に対して問いかける言葉、
なかったことになるの?
残らないの?
そうじゃないよね?
その想いがあるなら、そこに存在していたよね、存在しているよね?
人としての在り方が人生を彩るように、
業績が残らないとそれは在り方として間違っているの?
残らなければ頑張ったことにはならないの?
貴方が覚えているならば、
確かにその人は存在して、生きていた
華の香りも歌の調べも覚えていればいつか歴史になる。
5分前が過去になるように、
木の年輪が増えて、太くなるように、
川の流れが小さなせせらぎから時を経て大きな川になるように、
存在しているよ
と教えてくれた。
私はそう感じました。
聞いた言葉を自分のわかる範囲で変換していくから、捉え方がかわる。
最近、それを思っていた。
舞台のセリフでも、百人いたら百通りの解釈がある。
じゃあ、日常生活ならもっともっと考えがあっちこっちに飛ぶよね。
今わかった。
聞いた言葉も見たことも自分の思うように解釈する。
この前、言った言わないの水掛け論に巻き込まれて結局私が嫌な想いをして終わってしまった。
話自体は私がどうこうしたところで、
傷の修復にはならない、
ただ広がるかんじやったので、
申し訳ないけど、先輩に投げた。
できるとこまでやっても解決できるほどの力を持ち合わせていない自分が悔しかったし、
蚊帳の外にいた人間が
「このときにこうすればよかったやん」
とか、そのときには見向きもしなかったのに、そうやって言ってきて、それが一番ムカついた。
何もしてない人間が何言ってんだと思った。
相談した先輩も話をうやむやにして、明確な答えや助言をもらえるわけではなかった。
でも一丁前に、「これってどうなの?」とは言ってくる。
そんなことが続いてたのもあって、
心折れるかなって思った。
何回かこのまま車のブレーキ踏まずに突っ込んだら楽になれるのに、とか、考えた。
やばいなあって思ったよ。
私いなくても仕事成立するし、私いないほうが、みんな仕事捗るんじゃない?とすら思った。
苦しくてつらくて、アホらしくて、
そのことがあった辺りは毎日泣いてた。
ひどいとかっていうよりも
疲れたっていう気持ちのほうが大きかった。
結局誰も味方じゃないし、
助けてくれることはありえないと
何度目かの悟りに至った。
がんばっても報われないんだな
と諦めもあった。
日々の仕事の意味を見出だせなかった。
でも、少し経って、彼さんから連絡来て、
お門違いなことなのに、
頑張ってるね、えらいよ
大変だけど、頑張ってるね
辛かったね
って言われて、
なんか、すごく肩の力入ってるから、力抜きたいんだよね
って返信したときに
あー、肩に力入ってたのか
力抜こう、気楽にいこう
ってふと気付いちゃって。
そういう意味で、人と話をしてなかった。
なんか視野が狭まってたって気づいた。
タイミング的に、満月の少し前。
そのタイミングで、肩の力を抜く(いらない力が入ってた場所から力をなくす、手放す)って気付けてよかったかなあって思った。
彼さんとはご縁なくなったかと思ったけど、
こういうタイミングでするっと気付かせてくれるから、
やっぱり必要なのかも。
縁なんてなくなりゃ切れるんやし、
無理して切る必要はないかもしれない。
まあ、今はご縁あっても明日は違うかもしれないし。
どうなるかは、その時にならんとわからんよね。
でも、今はまだ、私に気付きをくれる人なんだと思いました。
今回のブログ、ざっくりとですが、舞台の内容に触れる話だったのですが、千秋楽も終わって、ネタバレ解禁されたのでお許しください。
なんのこっちゃと思われる方多いかなと思いますが、話の内容的には、核心部分だとしてもこれだけだとほんとにわからないです…。
私も今日、ディレイ配信見て、5回目くらいの観劇でも、まだ本編の内容がもやーーっとしてます。
ある意味、正解がない舞台、解釈が何通りもある舞台なんだと思います。
それでいい。
考え方、捉え方、それに正解はないよということだと勝手に解釈します。
Twitterでは
顔がいいとか、
そのメイクでくしゃくしゃ笑顔は国宝級美人とか、
頭の悪いことしか言ってない私です。
(Twitterってそんなもんですよねー←)
考察読むのも考えるのもほんとは好き
今回のは、
人としての在り方を伝えたい
とかそんなすごいものではなくて、
私の心が動いたポイント
私の心が軽くなったポイント
大きな意味で存在するって何なんだろう
ちょっと思ったから書いてみた

そんなかんじです。
とりとめのないブログですが、ここまで読んでいただいてありがとうございました。
それでは、
また思うことがあったら書き留めにきます。
全ての事柄に感謝を込めて✨
しーこ🐑


