★本日のルート

 

慶長5年9月2日、

秀忠が率いる徳川38,000の軍が小諸に到着。

 

上田に籠る真田昌幸に上田城を引き渡すよう使者を派遣。

 

真田側からは真田昌幸、

徳川側からは真田信幸と本田忠政が

ここ信濃国分寺で会見する。

 

これかな?

わりと新しめだとこっち?

こっちを知っている人はマニア。

でも丹波さんの昌幸が一番ハマってた。

 

なんのこっちゃという人は、こちらを。

 

 

 

信濃国分寺

ここで真田昌幸が一芝居うって、

降伏するので2、3日猶予してほしい

と申し入れ時間稼ぎをした。


この時交渉役の真田信幸は

その芝居に気付いていたけど、

知らないふりをしたといわれている。

 

真田家総出で徳川に一杯食わせた。

 


騙されたこと

に気づいた秀忠は激怒。

 

9月6日染屋台に陣を敷き、

上田攻めを開始。

 

神川

第1回と第2回の上田合戦。

徳川勢はこの川を超えて

上田城に攻め込んだ。

 

真田勢はせき止めていた

神川上流を決壊させ、

反撃から撤退していた徳川勢は

この川でおぼれるか、

もたもたしているうちに討ち取られた。

 

おいらも徳川軍になりきって、

バイクで攻め込んでみるよ。

 


ところでここは

割と高低差あるね。

ここからじゃない気がする。

 

 

少し北のほうに行くと

川を渡りやすいところに出るね。

たぶんこの辺から川を渡ったんだろうな。

 

さあ、

どのくらい距離があるのか測ってみる。

メーターは641.1km。

いざ出陣!

 

 

上田城/上田市立博物館

上田城二ノ丸に到着。

645.1km。

ちょうど4kmあったね。


真田昌幸は

この二ノ丸まで徳川軍をひきつけ、

一気に反撃に出た。

 

空堀だけど高低差は割とある。

ここからさっきの神川まで4km

一気に押し返す。

 

そしてせき止めていた上流を決壊させて

この神川が濁流で渡れなくなる。

 

 

あっちは上田城の本丸だけど、

もう何度も入っているので今日はパス。

 

今日お薦めしたいのはこっち。

上田市博物館。

 

見た目地味で、

量も大したことない。

 

でもおおぅ、ってのがいくつかある。
 

 

おっ、信玄さんの書状

 

真田信之さんの書状。

「件ーーー」とか「事ーーー」とか

語尾が伸びる癖があるよね。

 

有名な掛け軸の現物

左から信繁さん、昌幸さん、信之さん

 

これも有名な

「犬伏の別れ」

 

秀吉さんの書状

第一次上田合戦のあと、

昌幸さんは秀吉さんに援助を依頼。

秀吉さんから、

「よっしゃ、まかしとけ!」という返事。

しかし、秀吉さん。

字、下手ね。

 

 

家康さんから信之さんへあてた書状

親父の昌幸は犬伏から西軍につくため戻ったが

自分は徳川側につくと報告した後。

家康さんから信之さんに対しての安堵状。

 

大野主馬から真田信繁さんへの書状

夏の陣の最終日の朝、

大野主馬から勝手に動くなとか、

こまごまとうるさい指示がかかれた書状。

急いで書いてる感じするよね。

しかし、瀬戸際までチマチマとうるさい奴や。

 

 

 

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※明日は

池波正太郎ごひいき

上田で行列の蕎麦屋、

”これぞ長野の蕎麦”を堪能するぞい。

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