かつて日本橋堀留町にひいきにしていた蕎麦屋があった。
「堀留屋」という名の店は、
とかく蕎麦の量が多い“デカ盛りの店”として有名だった。
もちろん、蕎麦も美味かった。
ところが去年の11月にはいって、店の主人が急逝した。
心筋梗塞だった。
店は主人一人で切り盛りしていたので、
当然ながら店も閉店となった。
常連たちが店に駆け付け、
親族の好意で焼香と形見分けを行った。
その中に自分もいた。
主人とともに突然消えてしまった店。
最後の蕎麦も、別れの挨拶もないままに終わる、この中途半端な感じ。
なんか、このもやもやした思いを引きづっていた。
3/31で閉店することになった「いもや」
それを知ったのは、
まさに残り1か月を切った時だった。
それから何度この店に通ったことか。
たぶん過去にも、
短期間にこんなに通ったことはないくらい、
この店のとんかつと天丼を食べた。
そして、「いもや」の最後を見届けたいと思うまでに時間はかからなかった。
でも、こんな暇なことを考えているのは、
どうも自分だけではなかったみたい。
3月に入って、朝から夜まで行列。
よくもまあ、この店に思い出がある奴もいたもんだ。
店が60年もやってたものだから、
その全員が駆け付けたような騒ぎだった。
そして3/31
どんなことになっているのか見に行った。
15時ごろでこれである。
みんな、満を持して来たんだろうな。
「とんかついもや」
やっぱり行列だ。最後尾が見えない。
最後尾に行ってみた。
左側の交差点に「とんかついもや」がある。
先は長いな。
「天丼いもや」
こっちも行列。
裏側に回ってみた。
右に折れて、既に閉店している旧「天ぷらいもや」まで列が伸びていた。
こっちもきてるね。
そして閉店予定の19時ごろにも様子を見に行く。
まだ並んでいる。
が、どうもとんかつも天丼の方も、行列は打ち止めしたらしい。
それでもあと1時間くらいは軽くかかりそうだ。
そして20時過ぎ。
店の最後を見届けようと、人が集まってきた。
そして、一足先に
「とんかついもや」閉店
30分遅れて、天丼いもや」も最後の客が席に座ったことで店じまいにはいる。
そして最後の客が席を立ち、
「天丼いもや」も閉店。
最後のあいさつやセレモニーはない。
淡々と店じまいする。
あたかも、来週月曜日にはまた、何事もなかったように店があるように。
「いもや」らしい終わり方。
でももう、店の明かりがつくこともなく、暖簾が店先に出ることもない。
神保町の光が一つ消えた夜。
「いもや」
60年の歴史に幕を閉じる。