先週からの続き。

 

スティーリーダンが蒔いた種。

その代表格はラリー・カールトン。

 

スティーリーダンの録音には、いつも超一流ミュージシャンが招集された。

 

「Katy Lied」から録音に参加したラリーは、

その卓越した技量からスティーリーダンに欠かせないメンバーとなっていったが、

それは彼自身にも大きな影響を与えた。

 

「Aja」の録音に参加したとき、

その中の1曲の「Peg」に感銘を受け、

これをベースに「Room 335」を作った。

 

 

この曲はラリーはもちろん、フュージョン界を代表する1曲になった。

レコーディング時にドラムをたたいたのは、

まだ若きジェフ・ポーカロである。

 

 

 

 

 

 

スティーリーダンが沈黙していた80~90年代は、

一言で言うと華やかで軽いバブル時代から、

ギャングスターラップやグランジのような攻撃的で荒れた時代。

 

スティーリーダンの音楽にとって居心地の良い時代とは言い難い。

 

そもそも、スティーリーダンの音楽はどちらかというと玄人受けする音楽だったが、

80年代の終わりから90年代にかけて、思わぬところで引っ張りだこになった。

 

 

1989年、

デ・ラ・ソウルというヒップホップグループが、アルバム「3 Feet High and Rising」でデビューした。

 

このアルバムは、後のヒップホップの流れを方向づけたサンプリング革命を起こす。

 

この中にスティーリーダンの「Peg」をサンプリングした「Eye Know」を作り、ヒットした。

 

 

 

 

 

これを皮切りに、

多くのラッパーがスティーリーダンの曲を次々にサンプリングした。

 

有名なところだけでも

・「Déjà vu」 Lord Tariq and Peter Gunz

Black Cowをサンプリング

 

・「Don’t Trust ‘Em」 Ice Cube

Green Earringsをサンプリング

 

 

 

・「Champion」 Kanye West

Kid Charlemagneをサンプリング

 

 

 

何が彼らの琴線に触れたのか、

よくわからない。

ただスティーリーダンの音はヒップホップ・アーティストによって

新たな血を吹き込まれていった。

 

 

 

このように度々スティーリーダンが話題に上がるものの、

彼らは沈黙したまま時が過ぎていく。

 

 

しかし、着実に機が熟していく。

 

 

 

 

そして2000年。

満を持して復活。

 

 

 

Two Against Nature(2000)

(全米6位、全英11位)

 

 

 

「Too Against Nature」を発表すると、

彼らの復活を辛抱強く待っていたファンは歓喜。

アルバムは全米6位の大ヒットとなり、

グラミー賞4部門獲得の華麗なる復活となる。

 

その3年後に「Everything Must Go」を発表。

 

そして、

これが二人のスティーリーダンとしての最後のアルバムとなった。

 

 

 

2017年9月、ウォルター・ベッカーが死去。

 

実質的なラストアルバムになった「Everything Must Go」は2003年に発表されているので、14年が経っていた。

 

その間に世界ツアーをやり続けるなど、

スティーリーダンとしてはアクティブな状態にあったが、新作は発表されなかった。

 

 

何かその理由が今ならわかる気がする。

 

「Everything Must Go」に収められた最後の曲はアルバムと同名の曲になるが、

その歌詞がヒントになる。

 

 

Everything Must Go(2003)

(全米9位、全英21位)

 

 

 

 

この曲は仕事を廃業し、すべて清算することを宣言する歌だ。

 

これまでの華やかな時代を振り返り、

てっぺんにいるのも素晴らしいが、

今じゃ下に降りたほうが楽だと言わせる。

 

 

このアルバムを最後にすると宣言しているかのようだ。

 

恐らく二人の中では、これが最後と思っていたのかもしれない。

 

 

音楽史にゆるぎない足跡を残したスティーリーダンとして、

有終の美を飾るにふさわしい曲で締めた。