大友克洋「GENGA 展」記(GENNGA①) |  ◎涼のどぶろぐ◎←つながり日記←

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風景というか心象というか、
好きなページを開き、
ゆっくりたどって、味わうような
掌短編みたいな日記。



まず目を奪われるのは、
壊れた瓦礫の山々と、
倒壊しかけたビル群。

屑の一粒さえ行き届いて描かれているのに、
その線はシンプルで冷静だ。



「AKIRA」という漫画は、僕が小学生の頃に連載が始まって中学を卒業する頃、単行本が完結して終わったと思う。コミック本よりもデカく、連載していた雑誌をさらに一回り大きくしたよう単行本は、こづかいじゃ高価くて、同級生に借りて読んだ。安っぽい紙にアメコミのようなギトギトした色合いの装丁は他の漫画と一線を引いていた。


近未来、破壊された街でやんちゃに強く生きている不良クンたち。

「GENGA展」がこの春行われたのは、あの震災から一年、復興の兆しを、もう少し後押ししたいという目論見もあるのだろう。
そのチケット代の一部はチャリティーであると明記されていた。

なによりも
この展示の大友克洋さんが宮城県出身であったのか。


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たしかこの辺だと、住所とチケットについた小さな地図をたよりに会場である「3331」の巡路札をみつければ

←公園口へお回りください、と書かれていた。

「この建物は」

すこしニンマリとしてしまう。なんせ、廃校になった中学校をフリースペースとして解放していたからだ。




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チケットをもぎられると、スタッフさんに申し訳なさそうに言われてしまった。

「会場は二時間制になっていますので、ご協力よろしくお願いします」

昼間の入場から夕方くらいまで、ノンビリみようとしていた僕のチケットは、
すでに1時間過ぎていたのだ。

「あ、あと、この時間」
「はい」

ジブリ美術館の時間制みたいに
(同じくローソンのLoppiで予約チケットを購入したし)、
チケットが入場時間の整理券で、
そのままブラブラと居られるなぁと
ノンキに思いこんでいた。。
そっか入れ替え制だったか。

「なはは」
「はい」

…大急ぎで見て回らなくてはならない。


会場全体は真っ白な白壁で、明るく感じる。中学校の教室と廊下をぶち抜いた空間だが、それを忘れた。

ある場所は一面に、あるいは一列に、柱を囲むように、作品が並べられていた。
手前の白壁には初期のイラストが上から下へと並んでいる。

読み切りの短編集「ハイウェイ スター」の表紙があった。
白い画面の黒い強い線を辿るようにオレンジと黄色い蛍光な縁取りがうっすら引かれている。ヘルメットをかぶった翼の彫像が白銀ともブロンズともいえない質感で描かれて、とても単純な線と色の組み合わせなのに、不思議で静かな存在感だ。
手で描かれた原画を見ても「ナンダコリャ」だった。
書店の平積みで、注目してしまうわけである。


それにしても
懐かしい角川長編アニメ映画の「幻魔大戦」のキャラクターも描いてたとは。
「AKIRA」の壮大な超能力戦のイメージは、ここからすでに芽生えていたんだな、なんて思う。


そして漫画作品。
「童夢」の原画が僕には嬉しい。AKIRAは買えなかったけど、これはだけは手に入れて、何度も読んだ。とある団地で起こる怪事件、ごく日常的な描写が淡々と、不気味にだんだんとその真相に迫っていき、クライマックスの団地の迫力ある破壊場面は、日常的な風景から見たこともないところへ連れて行ってくれた。
超能力と子ども、破壊なんて「AKIRA」モチーフも、見て取れる。

大友克洋の作品の特徴の一つは、冷静で精密な描写力だろう。現実的な日常をいつの間にか逸脱させ、見たことのないリアルへと引き込んでくれる。
学生時代、読むたびになんと解放的に感じたのを思い出した。


奥の方には、数年前に公開されたアニメ映画「スチームボーイ」のセル画が飾られていた。

縦に長くあるいは横長に、幾重にも重ねられたセル画の風景を見ながら、となりの男女の話を小耳で聞くと。

「奥行きを出すために一枚のセル画をわざわざ長く描いて奥の場面からスピードを変えて一枚一枚ずらしながら、撮っていく古典な技法で、立体感を出してるんだ。恐ろしく手間のかかっていることしているな」

観にいったが、そんな事をしていたとは…気づかなかった。

「ヌルいラピュタみたいな映画」

なんて当時言っててゴメンナサイ。
最初のアニメ映画版「AKIRA」のインパクトがありすぎたんだともおもう。



僕が面白かったのは、どっかのコラムに描いたエッセイ的なイラストだ。

石ノ森章太郎の「サイボーグ009」がカエルの解体図みたいに開かれている絵。皮をはがされ針で止められ、人工筋肉と人工臓器をさらけられ、迷惑そうな表情のジョー。
たしかに、人造人間とは人体実験の産物ということだ。

他のをみれば赤塚不二夫の「うなぎ犬」のリアル版は、ヌメヌメして胴長の黒い爬虫類みたいな犬がいる。

そして
つげ義春の「ねじ式」の世界を遊園地にして、キツネのお面の少年が運転している機関車に乗れる。

どれもグロテスクで冷静で、ユーモアがある。新たな視点を加えることでの発見と興奮。
「漫画」を「今」見えている世界へ捉えなおし、それがなんなのか探っている作業にも見えて興味深い。
手塚治虫の「アトム」のお尻マシンガンの仕組みも解説していた。

それら漫画作品への愛情が感じられる。



「このペースで全体を見るのは無理だな」


とにかく早く回らねばならない。
気持ちは小走りで、しかし気になる作品は、グッと止まり顔を近づけて舐めるように、目を凝らした。





ガラスのケースが並ぶ、ショーウインドウの部屋に入った。

重層的にあるいは解体されたミルフィーユのように原稿が並べられている。
この展示の一番のメインである漫画AKIRAの「GENGA(原画)」だ。

あれから、
二十歳も過ぎてバイトで稼いだわずかな賃金を、ちょっと無理して、
ひと揃えに購入した。古本屋の大きな紙袋を二つ抱えても、
六色の単行本が重くて、嬉しかった。


でも、

押し入れにしまったままの原作は読まずに来た。
忘てれしまった物語を思い出すように、作品に触れよう。



生(なま)の線を、辿る。



すこし目で追いながら愕然とした。まさか。
ショーケースが隣の部屋まで、そのまた奥の部屋にも、続いている。
AKIRA全編全ページが、膨大にガラスの空間に収まっているのだ。



絵画のように一場面から読みとるのと違い、漫画は一つの絵(ひとコマ)がスピーディーに次から次へと展開される。この情報の量も現代的といえるのかもしれない。

ガラスケースを階層のように陳列された原版が、下の段にゆくにしたがって重なり合わさり全てを本のように読むことはできない。しかし、その圧倒的な量には、現在の漫画社会の有名や無名を問わず量産され続けていることを思い出させた。

それにしても驚くのはビル群の鳥瞰図の正確かつ緻密な直線の配置だ。もちろん修正なし。
迫力のあるバイクのスピードを表現する集中線にしても、目を細めてしまう。
ため息をもらすほどの緊張感が原画にして初めて、迫ってきた。



そしてやっぱり、
瞬間を捉えたような描写。


漫画というものが場面から場面への想像の補完なのだということを、改めて思わせる。
その視点で驚かせ、場面へ惹きつけていく。

戦後、手塚治虫が変えた漫画観を引き継いだ世代が行きつけなかった、次の世代の手法へのキッカケとなったわけだ。

また80年代の劇画という流れがひとコマに絵をぎっしりと線を入れていく思考になっていたとき、大友克洋の画面は冷たくシンプルで軽薄に映ったろう。



ふと、原稿のサイズが気になった。



AKIRAの単行本が何故あんな大判で、出版されたのかということだ。
このガラス越しの原画を見ながら気づいた。


なんと原稿そのままのサイズを製本していたのだ。
たしかに、この緻密に描き込まれた線や迫力の画面を、小さくしてしまうには忍びない。
作家か編集者か、どちらの意向かはわからないが作品そのものを、ダイレクトに伝えたかったのだろうことは、わかる。
そして大判の装丁は、壮大な物語にも、拍車がかかる。

今までにないスケールのでかいことに挑戦している作家と編集者の意気込みも感じた。





ちょうど、テツオが胎児のように巨大化して、力を制御できなくなり暴走しいろんなものを呑み込んみ膨張していく場面だ。有機と無機、生態的なものと機械的なものが、融合し混在する。テクノロジーに肥大化する身体は、現在の僕らの身体感覚に近いのかもしれない。




「もうすぐ終了でーす」




スタッフの人たちが、徐々にローラー作戦のごとく、入り口から囲い込みをかける。

なんかちょっと残念なことだ。たいてい美術館なら一日中、居られるのに。二時間って…カラオケかチェーンの居酒屋みたいに忙しい。
もっと早くくればよかったな。



残された時間も存分に、かつAKIRAで見たい場面をチョイスしながら、また前に戻ったりして、凝視する。
こうして並べられた長大な物語の顛末を、順を追ってみていくうちに、
エジプトのタペストリーや古代の民がその神話や歴史を壁画に、
あらわしたことを 思い出した。

まるで、つらなる「AKIRA」という叙事詩を眺めているようだ。


僕は絵物語を巡回している。
そうだ、人は物語らずにはおれない存在だ。
時代を越えて進化した物語表現、「漫画」は、
はるかに感覚的で直感的だ。
ここには、物語の歴史もあるのだ。




それにしても、と思う。





大友克洋の線は、製図用のペンを使っているのだと思うのだが、この原稿から醸し出される優しさはなんなのだろう。
ここに描かれているペンのタッチのひとつひとつ、かすれた線や人物たちへの刻みかた、瓦礫や宇宙や、セリフの吹き出しや、コマの枠線。

単行本で感じたものより、やさしく暖かい。

印刷すると線の濃淡がなくなりフラットさが、冷たく感じさせるせいかもしれない。



コンピューターグラフィックの向上により、ビル群のような精密な描写も写真からの取り込みコピーや加工ができる時代、手描きで引く直線の凄さなんて印刷物からは、わからないかもしれない。
またモバイルの液晶画面で眺める作品はシミ一つでさえ拡大縮小して持ち運べるだろう。



でも、
きっと人間は、手触りを求める。
その原寸大の、リアルを感じたくなる。

だから足を運び、
手に取る、耳で聞き、目で視る。


なぜなら
僕たちが感じられるのは、自分の回りにある、ごく限られた世界でしかないのだから。
はるか宇宙に投げ出されたとしても、感じるのはその皮膚感だ。

そしてなおかつ、
まだ触れたことのない世界を、
感じてみたいのだ。



展示会場をあとにしながら、
不忍の池へ向かう通りに出た。



「ミヤコビル」



ちょっと吹いた。

この赤レンガのビルに「ミヤコ様」がいるのかな。
AKIRAの物語を読んだあとだ。
(ここで、19号が新興宗教をほそぼそとやっていたりして)


リアルと空想が、交差する。








それが僕らの世界だ。










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最後まで読んでいただきありがとうございます。
コメントとメッセージ
ありがとうございます。

みなさんの言葉
いつも励みになります。涼



「大友克洋GENGA展 」
2012年4月9日(月)~5月30日(水)

@神田・3331 Arts Chiyod




〈omake!!〉


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ミヤコ様(19号)…笑









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