木枯らしがちっとも吹かない。
日差しのおもては、あたたかく、雲はマダラに浮かんでいる。
もう10月も下旬だというのに
冷たい風にホッペタを赤らめるような紅葉が、まだ始まらない。
北澤神社に向かう茶沢通り裏の遊歩道に、つぶれた銀なんの実が芳ばしく香る。
まろみながら鼻を突く匂いに、秋の深まりを感じないのは、まだまだ緑を宿したイチョウの枝のせいだろう。
稽古の前に、お参りでもしようかと駅から南口商店街をぬけてきたのだが、ほんとうは台本が読みたかったのだ。
そんな時うちのメンバーなら駅前のマクドナルドや近くのファーストキッチンで、こんな時間を過ごすのだろうが、僕には神社の公園の方が落ち着く。
まずはあいさつのお参りと、
大鳥居の公園を過ぎ石段を上ると今日はなんだか雰囲気が違う。
能舞台がある砂利の広場に、荷物と椅子が、ごちゃりと並んでいる。
誰もいないその物々しさに、
「あ、なんかの撮影だ」とすぐにわかった。
石畳の先、本堂を見ると、レフ板を持つ人が見え隠れする。
自主制作映画にしては、人数が多そうだ。しかし、テレビの芸能人やらリポーターみたいなノリでもない。
いつもは閉めっきりの能舞台もガラス戸が取り払われ、松の舞台が、静か面もちで開かれて、
舞台の手前を小さな半鐘が、鈍い金色の佇まいに控えていた。
なんとなく映画かなと思う。
「ま、いっか」
撮影の邪魔をするのもなんだし、お参りはやめにしてその石段に座り、台本を読むことにした。
大鳥居の向こうの道路から、蛍光グリーンのジャンパーの男の人が
「(ない、ない)」と手を振った。
上のスタッフらしき人が、
「そっかー」と。
「もう少し探してみる」
アシスタントみたいな男の人は住宅の道を入っていった。
僕はまだ邪魔じゃなさそうだ。階段の中腹のすみっこ、かたわらに2つの台本をカバンから出す。そんな国語の教科書みたいに大きな声じゃ読まない、ひとりボソボソと、演る。
2つの台本は、僕が今年、最後に残した公演だ。
じつはどちらも震災の時期に
かかわりがある。
ひとつは
うちの劇団の公演。
震災から、自粛ムードもまだ残ったころの4月の公演の再演。
草加の街で1日だけやる。
もう一つは、
こないだの「GO!GO!ジュピター」で共演した事務所の若い子達とやるのだが、
この作品、通し稽古まで出来、もうすぐ本場を迎えるところで震災にあい
あのころは余震がまだ多かったし、
交通も節電で寸断されお客様への安全も考えただろう。
公演は中止。
売っていたチケットもキャンセル払い戻し。
幕の開かなかった舞台。
それが今年の12月にやることになった。
僕は飛び入り参加だが、つい最近の「GO!GO!ジュピター」の縁で事務所の若い子らとまた共演できるのは嬉しい。
どちらも今年の締めくくりとしてはふさわしい公演だ。
しばらく読みながら
ふと思う。
今ここでは、僕が2つの台本を読み、あの本堂では、撮影が行われてるんだ、と。
それは少しの興奮だ。
石段の2つ台本と本堂での撮影されている物語。
3つの物語が境内の上空を漂っていて
神社という実在の向こうを扱った世界で、つながっている。
それはまるで
神さまの庭で遊んでいるみたい。
そういや演劇も祭りも事の起こりは神さまの行事だ。
ある演出家が「都市に祝祭はいらない」っていってたのを思い出した。
でも僕はやっぱり、そのコメントとまったく関係なく、いまだに、祝祭の中にいる。
だって
やっぱり、こうして
神さまの庭で遊んでいるんだから。
階段をぞろぞろと、黄色帽子をかぶった小学生たちが、僕の横を下ってきた。
みんな手に持った、バインダーにはプリントを挟んでいる。
地域学習で自分の街の神社の見学だ。
撮影とは関係ないようだ。
大鳥居をくぐる小学生たちの行列を見送りながら、公園の遊具のあいだに立つの時計をみると、いい時間だ。
振り返って本堂を見上げた。
境内の撮影隊も、子供たちの社会科見学の中断に手を休めていたことだろう。
「お参りは、また今度」
今日は、稽古場に向かおう。
訪問ありがとうございます。
12月の公演に向けて、稽古中です。
メッセージと読者登録ありがとうございますね。涼
〈omakke〉
盆墓参り(ぼんぼまいり)
【瀧下涼☆客演情報☆】
アシュラ第二回公演「警備物語~街の灯り編~」
2011年12月7日(水)~11日(日)
脚本・演出:柿崎ゆうじ
劇場:築地ブディストホール

