ちょうど昼くらい駅に行く
エスカレーターはまだ「節電の協力」ロープが張られているが、エレベーターは動いている。
高架のホームへ向かう長い階段は赤ちゃん連れのベビーカーやお年寄りには、大変だったから、節電でもエレベーターは必要だよな。
小田急線に乗る。
車内は「自粛節電」のために、明かりを消している。
小説を読むには少し暗く感じるが、
僕はこの空間が好きだ。
車窓に差し込む自然光の
この車内がやけに落ち着く。
蛍光灯の明かりがないからだ。
そういえば地震から数日後の「突発」的な「計画」停電まっさかり時期、空調を止めているために、開けた窓から風が、入ってきた。
そんなに混んでいなかったせいもあるが、
なんと解放的な風だろう、と思った。
「必要とはなんだろう」
小さな店のサービスとはちがい極大のサービスの倫理は違う。そんなことはわかっている。
人が増えればクレームも増える。
確実と管理。サービスとは難しい。
たいてい過剰にしていく方が間違いない現代のサービス感だろう。
すごく寒かっり熱いかったり、いつでも明るかったり。
極大の倫理は、すこし狂う。
中間はサービスではない。
少しずつ積み上げたサービスにならされて「奉仕される過剰さを我慢する」のがサービスになったようだ。
「電力」を使ってないものはサービスではないのだ
極大の倫理に馴らされ、人は見失う。
でもと、思う。
この自然光の車両で、なにが悪いのだろう
「世界の車窓から」の外国の電車には昼間、つけいてない電車がいくつもある。
暑かったら風を入れる。
「女性車両」も「弱冷房車」もできたんだから
「節電協力車両」ってのも
あっていいんじゃないか?
もちろん体調や車内の暗さや花粉や虫もある、そこは密閉車両としてあったほうがいい。
またラッシュ時の満員電車でやることはない。
ラッシュも終わって昼から夕方のお客さんの少ない時間がいいだろう。
「協力」としたのは、
「節電」とは、生き方だとおもうからだ。
「エコ」も生き方だ。
生き方とは、サービスを受けることではない。
選ぶということだ。
だから「節電協力車両」
極端に「電力を使わない」ような選び方も、あっていいんじゃないかと。
「必要とはなんだろう」
リョーです(。・ω・)ノ '`ィ
「S.W,A.T !八犬伝」
2011.4/7~4/12
節電の車窓から三茶の方を眺めながら、夢想する。
事故さえなければ、原子力発電は、
よほど儲かるシステムなんだろう。海外に売りたいし、事故直後のデータとしての技術の漏洩さえ、他国の介入を許さなかった部分があっただろう。
たくさん使えばたくさん儲かる。街も明るくなった。もっと明るく快適に。サービスを広げよう。
いつの時代も経済の軋轢に翻弄されるのが庶民だ。
「必要だから、仕方ない」
いや商売とは必要を作ることだ。
売るものが電力だからといって公的を装っていても、その質は変わらないと、庶民は見ていなきゃいけない。
根っこが腐らなきゃ、国は倒れない。
東京に原発をつくらないのは
「もしも」があるからだ。
少し離れた、場所で「千年に一度のもしも」があった。
直接でなかったから、ダメージは少ないというのは「極大の倫理」だ。
むしろ、離れていたのに問題は限りなく広がっている。
「もんじゅ」が片付いていないのを忘れてはいけない。
原子力を、あいかわらず扱えきれていないことは、忘れてはいけない。
「極大の倫理」が、なにか人を狂わす。
車内の蛍光灯がついた。
世田谷代田を過ぎたあたり
地下鉄化のため鉄骨が組まれ外が少し暗くなるのだ。
都市に近づいで電気も供給されるのもあるだろう。
おや、と思う。
電車には、走ったときの自家発電機が装備されているのだ。
車内の蛍光灯をつけるくらいはまかなえるはずだと。
なにか無言の圧を感じる。
一連の節電や計画停電が
「やっぱり、たくさん必要でしょ」のキャンペーンにならないことを願う。
「限定」「売り切れ」
足らないと欲しくなるでしょ?
節電の車窓が、下北沢でとまった。
新宿に向かう電車の先に副都心のビルたちが見える。
降りて稽古場に、急ぐ。
今、必要なのは、なんだろう
最後までありがとうゴザイマス。涼
