生きてれば楽しい事も幸せな事も沢山ある。

逆に悲しい事も悔しい事も沢山ある。


だけど人は基本的にマイナスな事を乗り越える度強くなる。

中には自分で乗り越えた訳じゃなく沢山の人に支えられて乗り越える壁もある。


でものらりくらり嫌な事からは逃げて争いを避けて生きていると、人としての成長が全くできない。

死のうって決めたなら、一度死んだと思えばどんなに苦しい事だって辛い事だって簡単に乗り越えられるはず。

そんな事言うと、死のうなんて思った事ないくせに!って思う人が少数いるだろうけど、今日の僕がいるのは本気で死のうと思ったあの日があったからだって思う。


事業の失敗、車の事故、両親の別居、その他にもいろんな事が重なった数年前の8月。


笑えないくらいの借金を抱えて途方に暮れていた時の事故。

そして相談しようと思ってたら両親の別居。

目の前が真っ暗になって、死のうって心に決めて死のうとしたけど、目が覚めたら死ねてなかった。


でもあの時死んだんだって思ったら、その日から何も怖くなくなった笑

借金?自己破産すればいい!

事故?起こっちゃったもん仕方ないじゃん!

別居?親も他人同士だしねー笑


死のうとしてないのに、死にたいはただの言い訳。

死にたいって言うなら、死んだと思って頑張ればいい。

どんなに低賃金でもどんなに大変な仕事でも、死んだと思えば頑張れる。

他人になんて言われたって、意地悪されたって理不尽だって、死んだと思えば笑ってられる。


あの日がなければ今の僕は無いって心から思うし、あの日があったから、ほんの小さな幸せでも心から喜べる。


死にたいって言うなら一度死ねばいい。

そうすれば泥水だって飲めるし、おでこを地面に擦りつける土下座をしても悔しいとも思わなくなる。

事実僕は週7で仕事して(役員なのでどれだけ働いても労働基準法及び就業規則の適用外です)、馬車馬のように動きまわって、擦り付けて土下座する時もあって、体調絶不調でも、休みたい、遊びたい、もっと寝たいとは思いません。


綺麗でいたい、人に好かれたい、お金がもっと欲しい、あれが欲しいこれが欲しい、あそこに行きたい、って言ってる内は、死にたいなんて心から思ってない証拠。


そうやって日々がむしゃらに生きていれば、自ずと幸せの方からこちらへやってきます。




死にたい死にたいって言ってる人には共通点があると思います。


誰かのためになりたいとか、人に感謝されたいとか、人に優しくしたいとか、必要とされたいとか。

そうやって日々生きていれば、あなたのおかげだと言って貰えたりだとか、ありがとうって言って貰えたりだとか、優しくされたり必要とされたり。

でもそれは「あなたの常識」ですよね?


自分ならこうして貰ったらこうするのにとか。

こんな時はありがとうだろ?とか。


世の中100人いれば100通りの考え方があります。

皆んながあなたの常識では生きていません。


ニュースを見て、なんでこんな事するんだろう?って思った事ありませんか?

それがまさにその人の常識では正解なんです。

あなたが思う以上に世の中には邪悪な人間がいます。傲慢で自己中心的で、他人をバカにして笑う人、だまされる人間が悪いと思っていて、簡単にお金が稼げるなら、法律に違反してだましても全然気にならないという人は少なからずいます。


死にたいと言う人の共通点で「私がしいたげられるのは、相手を怒らせるようなことをした自分が悪いからだ」とか、「虐められているのは、自分にも悪いところがあったからだし、直したい」と思いがちですが、何をしてもその環境が変わらないのは、ある意味「当然」だったりします。


相手とあなたの「常識」は全く違うのに、あなたの常識で世界が動いていると思い込んで世界を見ようとしているから、あなたの気遣いが踏みにじられることもおかしなことではありません。


小さな勝ち負けを気にして、あの人より劣っている、なんであの人の方が幸せなんだと思ってる時点で人生論的に負けです。

見返そうなんて幻想です。


その人より幸せになって見返してやるんだってよく聞きますけど、今このブログを読んでいるあなたに僕の幸せの尺度がわかりますか?

どうすれば僕を見返せるんですか?

大金持ちになって僕の家まで自慢しにくるんですか?

誰が見ても円満な家庭を築いて自慢しにくるんですか?そもそも見返すってなんですか?

自己満足の塊ですよね?

ご自由にどうぞ笑


死にたい死にたいって口癖のように言ってる人の共通点は、争いを恐れ、嫌な事からは逃げ、いざ巻き込まれると「自分のせいだ」、「あの時こうしなかったからだ」と自分を責めるんです。


そんなあなたにひとついい事を教えて差し上げます。

「自分がどんなにいい行いをしようと、自分がどんなに変わろうと、他人がした事を変える事はできません。虐められても、馬鹿にされても、理不尽でも、その人の常識でした事なので理解なんてできません」


このブログでも過去に何度か言ったと思いますが、起こってしまった事は仕方がないんです。

数年後、数十年後にあの時は若かったなぁって思える日が必ずきます。

だからこそ、起こってしまった事をいつまでも思い悩む暇があるなら、その先どう動くのかを考えましょう。


事故して車が廃車になった。

ローンも残ってるし車も無くなったしどうしよう。

どうしようどうしよう。死にたい。


ではなくて、


事故して車が廃車になった。

「残りのローンはいくらだろうか?」

車が必要なら「もしも中古で安い車を買ったら2つのローンでいくらだろうか?」

保険どうだっけ?

支払い足りないなぁ。

じゃあ副業しよう!

じゃあ食費を大きく削ろう!

じゃあいつもの美容室行くのやめて安い所探そう!



常に未来に目を向けて、マイナスの感情を抱く前に未来をしっかり見ていれば、事は必ず好転します。

そうやって必死に生きていれば、やがて歳を取りやがて静かに眠る時が来る。

その時「生きてきた価値と死ぬ意味」に気づけるんじゃないかなと思います。


今日は少し難しい話をしてみました笑

たまにはいいでしょ?笑


←突然勝手にスペースがつくようになってしまいましたがお気になさらず笑


ではまた!

ばいばーい!