ギャング物というか、反社物というか。
その手の物語は登場人物に共感できないことが多いのです。(芝居としてのおもしろさは別として)
が、このボニクラは、何故だかすごく…。
分かる…。と思ってしまいました。
もちろん強盗や殺人に共感するわけではないです。
でも、クライドやボニーの心にある鬱屈とした想いには惹かれるものがあったんですよね。
全少女の悩みの擬人化・ボニー
ボニー。信仰と伝統と貧困が広がる町で女優を夢みる少女。
女優というと遠い夢のようですが、根底にあるのは、
誰かに認められたい、わたしを見てほしい、
育った町から離れたい、自由な街を闊歩したい…。
という、現在日本の今の私たちでもよくある希望、野望、欲望、悩みなんですよね。
古臭い故郷なんてサヨナラ、
親の言う安定した未来なんてツマラナイ、
優しだけの間違いない男は友達止まりよ…。
文字に起こすと、まぁそんなこと言わず、あんこお母さんの言うこと聞いておけ!
って思うけれど。
でも若い時は一度や二度や10度はそう思うよね。
と、ボニーの肩をポンと叩きたくなるし。
花束持ってやってきて、「ブローチ素敵だね」と言うさんちゃんテッドに、「分かってないな〜〜〜」と思ってしまうわけですよ。
(ちなみに、さんちゃんは何も悪くない。)
だからといって犯罪に走ったボニーがカッコいい訳ではない。
それでも、生きることに息苦しさを感じながら、愛情と自己表現を求めていたボニーが、クライドの愛と2人で繰り広げる行動を通じて生きる喜びを感じて。
「この哀れな世界で私たちだけが生きているの」
と表現したこの舞台・このお芝居が素晴らしく胸を打ちました。
愛を守り楽園を追われた妻・ブランチ
そんなボニーの対極にいるのが、ブランチひまりちゃん。
悪いことをしたら償い、どんなに苦しくても日々コツコツと努力し、神がつくりしこの世界に感謝をして生きよう、という敬虔なクリスチャン。
ボニーの気持ちが分かる、と先ほど言いましたが、ブランチの言うこともすごく分かるんですよ。
現在日本人の感覚が、ブランチの考えに近いことを差し引いても。
どっちが良いどっちが違うではなく。
どちらにも共感するし、どちらにも少し違うとも思う。
ただ2人とも、強く逞しくカッコよくて、自分の信じる道を見ているから、引き込まれるんですよね。
そんなブランチが、最後まで誠実に生きようと心から思っていたであろうブランチが。
愛する人と最後まで行動を共にした結果、ああいう流れになるのは、なんと言うか、苦しく辛いですね。
宝塚オリジナルではなく元がブロードウェイミュージカルだからか、娘役だけの場面も多く。
ボニー✖️ブランチでの、1幕の歌とか、2幕の台詞の掛け合いとか、この2人の登場人物が際って良かったです。
いやーしかし。
クライドボニーと、バックブランチ。
アメリカンニューシネマと、日活映画。
ペプシ&ポップコーンと、赤いマフラー&石鹸かたかた鳴った。
みたいな、それぞれの持ち味で良かったです。
(伝われ!!)
(褒め言葉です!)