観ようかなー、どうしようかなーと迷いましたが、本当に観てよかった。(悲しい気持ちになりたくなかったんだよね…)

是枝裕和監督、坂元裕二脚本、坂本龍一音楽

映画「怪物」です。

 

既にyoutubeなどでネタバレ考察がたくさん為されていますが。

そもそもカンヌ映画祭で脚本賞と同時に、クィア・パルム賞も受賞されました通り、LGBTがストーリーの中の、重要なテーマの一つになっている映画です。

でもこの映画が凄いのは、LGBTが…とか、子供が純粋で…とか、そういう事ではなくて、人間のドラマとは勧善懲悪の真逆にあること、見える事だけで判断したり、見えない事を思い込みで判断していると、びっくりするくらい真実から遠ざかっている、という、一見曖昧で複雑なことがテーマになっているから。

そこがものすごくリアルで、子供が主役ですけど、見る側が自分の成熟性を振り返らざるを得ない、大人のドラマでした。

 

観終わった後、たまらず最終稿の脚本を読んだんですけども、坂元さんのホンは説明が多めで、ちょっとTVドラマ風だなあと。

是枝さんが省略したんだと思いますが、これが大正解。

是枝監督の手によって、「坂元さんの上質のTVドラマ(決してバカにしてません本気で褒めてます)」が、「是枝さんと坂元さんの映画」になったんだなと納得しました。

映画の大人な演出にモヤった方は、出版されている最終稿の脚本を読むと、かなり答え合わせが出来ます。

 

さて。

ごめんなさい、ネタバレしますけれども(ご注意下さい)。

正しい人とか、優しい人とか、フェアな人とか、そういう人が必ずしも人を救うとは限らない。

むしろ、脛に傷を持って何とか生きてます…みたいな人が、知らず知らずに人を救っているんだなと。

逆もまた然りで、何の悪気も曇りもない正しい愛情から来る行動が、ものすごく相手を傷つけていることがある。

前者は、田中裕子演じる校長先生の言動だったり、後者は安藤サクラ演じる主人公の母親だったり、瑛大演じる学校の先生だったり…

ドラマとは勧善懲悪なり…と、無意識にバイヤスがかかっている脳みそを抉られるストーリー展開です。

 

瑛大が演じた学校の先生が、一番不憫だった。

なんでしょう、ストレートの働き盛りの男性が、今の時代、いちばん割を食うポジションなのかもしれない。

それは、知らず知らずの思い込みが、一番強くかかってしまう立場だからなのかな。

そんな役が瑛大さんは上手い。さすが坂元作品の常連俳優。

是枝監督が「瑛大さんの絶妙な気持ち悪さ」と表現してましたが、ほんっと絶妙に気持ち悪いんですよ、瑛大さんの存在感。

でも可哀そうだった。

そう思わせる見事な脚本で、坂元さんほんとに上手いわ!!と思いました。

 

安藤サクラさんのお母さん役も、非の打ちどころのない、現代を代表するような良い母親なんですけど、子供の湊とどうしようもなく埋まらない溝が出来ている。

全国のお母さんが切なくて泣く、母が可哀そう過ぎて。

 

しかし、一番可哀そうなのは、子供二人なんですよね。

 

このお話は、一つのストーリーを、①安藤サクラの母親目線 ②瑛大の先生目線 ③子供の湊目線の3視点で描いていくんですけど。

 

安藤サクラ目線のあるシーンが、子供の湊目線で答え合わせされた時、ほんとに悲しくなった。切なすぎて。

母親が、湊くんの帰りが遅くて、山奥まで車で探しに行くんよ。

湊は、山奥の秘密基地で、ずっと友達の星川君くんのことを待ってて。

やっと彼が来たんだと思って、ウキウキで二人だけの秘密の暗号を叫ぶんです。「怪物だ~…(何かに気付く)」

それが安藤サクラは分からず、湊の事が益々心配になって、湊の姿を見つけて、駆け寄って抱きしめる訳です。

観客は、あ~よかった、湊くん無事で…って思ってるんだけど、当の湊くんは、お母さんの背後に姿を見せてた星川くんを見つけて、彼とアイコンタクトしてたんです。暗号「怪物だ~れだ」の途中で、星川くんを見つけてたんですね。

星川くんは、何も言わず踵を返して立ち去ります。

湊は星川くんを呼び止めて駆け寄りたいんだけど、泣き崩れるお母さんのことを、振りほどけない。

湊と星川くんは、この時には既にお互いの気持ちに気付いた後だったから、絶妙に後ろめたい訳です。

 

観客である自分は、ニュートラルなつもりだったけど、安藤サクラ目線に感情移入してるなと気づかされました。

そして、こういう目線の偏りが、色んな誤解という怪物を世間に生んでいるんだろうなと猛省しましたよ。

 

また坂元脚本が上手いのが、子供二人、湊と星川くんも、絶妙にクズっぷりを見せる訳ですよ(クズって言ってごめんなさい…)。

湊は、星川くんが好きなのに、学校で虐められている星川くんを庇えないどころか、虐めに加担することを拒めない。

「男の子を好きになってる自分を、気づかれたくない」から。

思ってもいないことを言ったり、やったりしてしまう。自己嫌悪になりながら。

星川くんは、仲の良い女の子の悪口を言えって虐めっこに強要されても、

「そんな風に思ってない。思ってない事は言えない」って断って、更にボコられているのに…

ここねー、坂元さん意地悪だよね…でも上手いわ。

 

じゃあ星川くんはイイ子なのか?っていうと、どうもこの子は、放火魔なんじゃないか?っていう伏線があるんですよね。

これも上手い。

星川くんが放火しているかどうかは、映画の中では明らかになりませんが、観客に「そうかもしれない」と思わせる言動をさせる訳ですよ。

星川くんは、実父から日常的に折檻されてて、LGBTっぽい言動を直してやる!とモラハラされてて、学校でも虐められてて、でもいつもひょうひょうとしてる。

感情を殺してるんだろうけど、どこか達観してて、ちょっとサイコパスなのか?というようにも見える。

 

この難しい星川くん役を、子役さんが実にうまく演じていて、ほんとにビックリした。

虐められた後に、星川くんがスキップしていくシーンがあったんだけど、このスキップが本当に上手でねえ。

気持ちが乗っているスキップ。

さっきまで虐められてたのに…間髪いれずそんな楽しそうなスキップできるの?っていう。

ちょっとサイコパス気味というか、狂気を感じさせるというか。

こうやって辛いことを乗り越えてきて、そんな風になっちゃったのかな?…だとしたら、相当苦しんでるよこの子。

みたいなことを、一瞬で感じさせてくれる演技。

表情でもセリフでもなく、身体の動きで星川くんの気持ちを表している。

さすが是枝監督、子役さんの演技が素晴らしかったです。

 

という訳で、ほんとに素晴らしい映画だったんですが、ラストについて、どうしても言いたい!

このラストは無いわ~。

台風の夜、星川くんに会いに行く湊。

お風呂の中で、ぐったりと横たわっている星川くん。お父さんに折檻されたか…みたいな演出です。

ひょっとして星川くんは死んでいる?くらいの弱りよう。

 

で、次のシーンで、湊と星川くんは、あの秘密基地に走っていく。

地鳴りがする。

「出発の時間かな?」

たぶんですが、土砂崩れが起きて、二人は巻き込まれたんだと思われる訳ですね。

で、次の瞬間、なぜか二人は晴れた山道をかけっている。

「これって生まれ変わったのかな?」「そういうのは無いと思うよ。元のままだよ」「良かった!」

封鎖されていたはずの線路への道が、封鎖が解けて、どこまでも続いているように見える。

 

これ、二人は亡くなったと読み取れる描写ですよね。

亡くなったとは言ってませんよ、と言われるかもしれないけど(誰に?)、これはもう、亡くなったっていうメタファーが満載です。

「亡くなったかもしれないし、生きているかもしれないし、答えは観客の中にある」って演出自体が、観客のバイヤスを試しているのでしょうけれども。

でも、悲しすぎませんか?!「亡くなったかもしれないし」という選択肢が成立していること自体。

今の日本って、そういう国なの?と問いかけたい、是枝監督に。

「子供が亡くなるフィクション」を、簡単に作っていいのだろうか。

いや、簡単には作っていないだろうけど…

 

映画として多少無理があっても、二人が生きていくラストにして欲しかったなあ。

こういう決めつけがアレなのかもしれないけど…

 

それくらい子役二人の生命力が爆発している映画だったので、本当にラストが切なかった。

 

二人が図太く生きていく、っていうラストにして下さいましたら、本当にもう100点満点どころか…っていうくらいの素晴らしい映画だったのに~~~。

 

是枝監督に問いたい。本当にこのラストに納得していますか?

あなたの人生観をもってして、このラストにOK出されたんですか?!

そんな見当違いな私見をぶつけずにはいられない位、当事者意識にさせられてしまう、凄い映画でした。

 

坂元さんと是枝監督は、「真実を見ることをないがしろにしていくと、一番か弱くて大切なものを失う」っていうオチを大人側に突きつけたかったのでしょう。…しかし切ない。

 

迷っている方は、思い切って観ることをお勧めします。