ますます面白くなってきました、第39話「穏やかな一日」。

柿澤勇人さん演じる源実朝が、坂口健太郎さん演じる北条義時に、初恋の思いを謳った和歌を託す。

三谷幸喜さんは、柿澤さんを観た時「おれの実朝がここにいる」と思ったくらい、ほれ込んだキャスティングだったそうですが。

実朝の繊細な内面を、演技と佇まいで見事に演じてましたね。

 

実朝の同性愛者設定もさることながら、彼の性格を三谷さんがきっちり脚本の中で構築しているのが、すごいな、と。

優しく理知的だけれども、実朝は情に流されるんですよね。

和田義盛の、「上総介に引き立ててほしい」というお願いを快諾するシーン。

義時の、「泰時の幼馴染の鶴丸を御家人にしてほしい」というお願いを、鶴丸への嫉妬にかられて拒絶するシーン。

 

・・・こういう実朝の、情に流されやすい性格は、以前から描き込まれていて。

重忠討伐の下文を持ってきた時政に対して、流されるまま署名してしまうというシーン。

ドラマでは誰にも突っ込ませず、サラっと描いてましたが。

 

実朝の素直さ、情に厚いところ、だからこそ、泰時に和歌を託してしまうし、千世にも誠実であろうとする。

また、泰時の実直さも、ずーっとドラマの中で一貫して描かれていて。

実朝から恋の歌をもらった泰時は、「これは間違いでは」と返すんでけれども。

もしこれが、義時や、山本耕史さん演じる三浦義村だったら、実朝の思いを政治的に利用するだろうな~と。

そうしないのが泰時なんですよね。

これも、ドラマの中で、朴念仁だったりクソ真面目だったりする泰時の性格がずっと描かれてきているから、とても説得力があります。

この性格の二人だったからこそ、実朝が泰時に失恋するシーンが、ものすごく切なかったですね。

 

そのうえ、泰時のやけ酒シーン。それを後ろから見つめる初。

これ、新たなカセがぶっこまれてきましたね~。

和田義盛討伐のとき、泰時が二日酔いだったという吾妻鏡の説を、うまくドラマに落とし込もうとしてますね。

また、泰時と初は、史実では離縁してしまいます。

いままで描かれてきたドラマの中の泰時は、性格的に、二日酔いで戦に行くタイプではないし、簡単に離縁するタイプでもない。

その彼が?なぜ?という所ですよね。

実朝とのことを、泰時の行動の動機にしていくんじゃないかな?三谷さん。

そこが、ものすごく楽しみです。

 

そして、主人公の義時。

ネットでは、ダークサイドに堕ちたとざわついていますが。

確かに、急に強引に政治をしだしたように見える義時。

今まではあからさまにならないようにしていたのが、この回から、表だって政治をやりだしますよね。

 

しかし、ところどころに、昔の小四郎がはさまれるんですよ。

政子には「父を殺しておいたら良かった、そうすれば北条家は安泰だったのに」と、やや芝居がかった風な捨てセリフを吐く義時。

でもその後、泰時に「父上の好きな物をもっていってやれ」と自然なやりとりの中で伝えています。こっちが素の義時に見えるように、小栗さんは演じていた気がする。

そして、泰時や鶴丸の前で、「いささか疲れた」といってごろ寝する。これも自然な義時でしたよね。

やっぱり三谷さんは、「何かの目的のため、演技をする義時」を描いているように感じます。

「こっちが素だよ~」っていうシーンを、丁寧に挟んでいることから、それが分かりますよね。

 

義時の性格は、多分変わっていない。

でも、何かの目的のために、生き方を変えていく義時を描いている。

明らかにこの回から、あからさまに生き方を変えていく義時を描きだしています。

義時の変わらない性格と、変わっていく外面を、どうやって見せていくのか。

この両面が共存するのが義時という人で、その生き方の終わりを、どうやって描くのか?

義時の人生って、何だったのか。

そういう所が、義時の最期のシーンまでに、パズルをはめるように描かれていく、はず。

 

泰時や政子が主人公ではなく、義時を主人公にしている意味が、まさにこの両面をもつ人物像にある気がします。

だからこそ、今までの三谷さんの大河ドラマよりも、「鎌倉殿の13人」が複雑で面白く感じるのかな、と思ってます。