えーっと、前回の続きです(^^;;
樹里と同じく、人工受精で生まれたハルの言葉を借りて、角田さんの付けた落とし所とは。
酷い目に遭ったり、他人に傷つけられたり、誰かのせいで不幸になったり。
この世界に生まれた以上、そういう不可避的なマイナス面を恐れて、逃げたり閉じこもったりするのは、やめよう。
この世界に生きるのは、リスクを数えるためじゃなくて、心踊る嬉しいこと、綺麗なもの、温かい人々、そういう奇跡的なことに、出会うためじゃないのか?
まずは、一歩踏み出して生きてみないと、奇跡には出会えない。
奇跡が起きる確率が低いからと言って閉じこもっていたのでは、可能性は更にゼロ。
子供を持ちたいと思う、その気持ちで一歩踏み出したこと、それによってマイナスなことも起こるけど、奇跡もやっぱり起きている。
それを信じて、命を生み出していく。
その気持ちがある限り、誰も止められない。
うーん、角田さんらしい、厳しい且つポジティブな御意見ですね。
良いも悪いもなく、この動きは止めらない。なら、動くしかない。
で、そこに父親の感情は、あまりポジティブに寄与しないんだなあ(^^;;
人工受精を受け入れた不妊の夫という立場は、女性にはなかなか想像しがたい。
もっと言えば、自然妊娠したとしても、男性の感覚は一緒なのかも、とも思う。
自分に似てきた子供を見て可愛いと思うのか、自分と暮らす事で息が合ってくる幼児という生き物を愛しいと思うのか。
そもそも家庭とは、母性があれば機能していくものなのか。
なら、同性愛の男性カップルが人工受精の代理母出産で子供をなしたり、里親になった場合は…?
ただ思ったのは、なされた子供は、生物学的な父親、母親、彼らがどんな人々だったのか、自分をどんな気持ちで生み出したのか、知りたいと思うものなのかもしれない。
となると、ドナーの方には、倫理観や責任感が必要な行為なのかも。
…そういうものを持った上で、ドナーになれるものなのか?
親になるってすごく大変。
でも、大多数が親になる訳で。
これって、人間に課された、もの凄い大きなカセなんだなと、改めて思いました。
しかも人工受精っていうカセが、更に追加されてってる訳で。
現代人しかり、角田さんしかり、人は難しいテーマに挑んでいく存在なんだな~と改めて思いました。
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