先週、私が急アルで死んでた間に、家盛(大東駿介くん)が大変なことに![]()
藤原頼長(山本耕史さん)の慰み者になった上に、落馬して死亡してました。
えーっと、確かに「大河にBL要素を!!」って言ってたワタクシの未来予想図は~、
ほ~ら~思った~と~おりに~かな~えら~れてく~♪
てな事になってます。
が。
だからと言って、ドラマが面白くなってるかというと、やや疑問の第15回でした・・・。
相変わらず得子さんの覚え目出度い忠盛(中井貴一)をけん制しようと、頼長が、
「家盛は私に全てを差し出した。
そーまでして平家の棟梁になりたかったようだ。
でも結局、自分の分の過ぎた野望が平家をかき乱しただけ・・・と気付いて、
挙句、犬死した(笑)」
と、いっさいがっさいオープンにし、お小姓サマみたいな家来と、去って行きました。
うーんと、このくだり、山本さんの毒々しさで持ってたけど・・・
全て台詞で語っちゃってるのと、事の顛末を知ったのが忠盛だけっつー設定が、ちょっとどーなんだろうと。
主人公である清盛が、そこんとこのドロドロした事情を、知らないっていうのが、何かお話として弱いって気になっちゃう。
その後の場面で、家盛のために曼荼羅を描く清盛に、忠盛が、
「もうそんなもの必要ない!!」
ってキレちゃって、それを清盛が
「私は家盛のたった一人の兄です!!」
と言って、曼荼羅を描き続ける。
それに家盛の母も(和久井さん)感動。
そして平家一門、再結束。
って流れなんですが。
確かにここ、まっすぐな清盛の性格はよく表れている場面ですけれども、そもそも清盛は、家盛の本当の意味での「絶望」を、知らない訳じゃないですか。
そこを知ってるのと知らないのとでは、供養の意味合いが、違ってくると思うの。
おとーさんは、家盛の無念の真意を知ったからこそ、ああいう言動になったんだよね?
でも、清盛は、そこんとこの事情を知らないよね?
自分の知らない何かを父が知ってしまったことも、清盛は感づいていたのか?
そういう風には、演出されてなかったような気が・・・。私が鈍いだけかもしれないけど。
父:忠盛と清盛の真意もすれ違ってるし、清盛と家盛の真意もすれ違ってるし、清盛が主人公と考えると、すごくチグハグ。
結果、この場面の主役は、清盛つーより、父:忠盛だった気がする・・・。
そう、忠盛の、野心を持ち上昇志向に満ち溢れる公人としての立場と、父として子を想う私人としての葛藤は、すごくよく出てたと思う。
でも、清盛は、結局何も知らない単細胞にしか見えない・・・。
がむしゃらなキャラなのは、良く分かったけれども。
なぜにもっと清盛を、毒々しく強かなキャラにして行かないんだろ?
清濁合わせ呑んだ上での、がむしゃらキャラにしたほーが、よっぽど「大物」感が出ると思うんだけどな~。
今のままの行動原理では、単純バカにしか見えない・・・
なんでしょう、ドラマで語られるモチーフの一つ一つや、台詞のセンス、役者さんの演技などは、決してキライじゃない感じなんですけど、決定的に主人公:清盛だけが、魅力レス。
ここまで来たら、わざとなんじゃないか?つー気もしてきた。
松ケン云々より、そもそも「清盛」というキャラクターが、脚本家さんや演出家の方に、あんま愛されてない気がしちゃいます。
色々頑張ってるのが分かるドラマだけに、そこがすごく残念。
これで巷のうわさにあるよーに、安易に小雪登場とかさせたら、むしろ無責任なのでは・・・?
ああでも・・・朝ドラ「梅ちゃん先生」が高視聴率で評判いいって言うじゃないですか。
あの傑作ドラマ「カーネーション」の後で、「梅ちゃん先生」高視聴率って・・・
完全に「おひさま」アゲイン状態ですね。
つまり、国民の大多数がNHKドラマに求めている要素って、ものすごーく、ものすごーく、・・・・。
「おひさま」的な、「梅ちゃん先生」的な、そういうプレインな何かなんでしょーね。
私は興味ないんですけどねそういうの。
で、そういうプレインじゃないドラマを、頑張ってやろうとして成功したのが「龍馬伝」でありその流れでの「平清盛」だと思っているので、もう少しなんだ、盛り上げてやってほしいです松ケン=主人公:清盛を。NHKサマ。
