ベルギーの振付家、シェルカウイさん演出の、手塚治虫とその作品に対するオマージュ作品、「TeZukA」を観てきました。


日本とローマの舞台では、森山未来くんが、ダンサーとして出演していました。


手塚治虫作品を、ダンス、書道、映像で表現した、パフォーマンス・アートみたいなものでしょうか?



えーっと、感想は。



作品の意図とかテーマについては、正直申し上げて、よく分かりませんでした・・・・残念なワタシの感性。



一応舞台の中身をご説明しますと、手塚作品にお馴染みの、アトム、BJ、ドクターキリコ、MWの賀来神父と結城、奇子などに扮したダンサーが、手塚作品に流れる生命観みたいなものを動きとし、線や生命体に擬して、和楽器(胡弓かな??)の生演奏をバックに踊る。


森山くん(日本語)や、ベルギー人か仏人ダンサーの仏語のナレーションが入る。


バックのスクリーンに、手塚漫画が見開き2ページみたいな感じで、「火の鳥-鳳凰編-」や「鉄腕アトム」や「MW」、「ブッダ」などが映し出され、漫画のコマとダンサーの動きが融合。


舞台上からつるされた掛け軸には、書が映し出され、舞台上でも、ダンサーみんなで書を書く場面も。


最後は、アトムのお馴染みのテーマが演奏され、アトムに扮したダンサーが礼をして終わり。



えーっと、こう書くと、結構刺激的な創作物のように思えるんですが、ワタシの感想で言えば、手塚さんが表現してきた「日本」的なものやテーマと、東洋思想の中の「中華」っぽいものが、なんかシェルカウイさんの中で、ごっちゃになってしまっていませんか?と。


まあ書道って、そもそも中国から来たものですから、しゃーないんですけど。

日本人的には、違和感が。そこ、分けて欲しかったな的な。だって漫画文化ってやっぱ日本独自のものやし。


で、手塚さんのキャラに扮したダンサーさん達なんですけども。

「ブラックジャック」ってこんなキャラ、

「アトム」ってこんなキャラ、

そーいう共通認識に頼った二次創作(っていうんですかね?)って、ワタシはあんま、楽しめないタチなのかもな・・・と。


いや、その二次創作をみて、よりいっそう、オリジナルが読みたくなるとか、新たな発見が・・・とかなら、価値があると思うんですけども。


そうでないなら、キャラクターグッズみたいなもので、ファンなら楽しめるのかもしれないが・・・

そもそも、ワタシって、ファン体質じゃないから。

手塚作品は大好きだし、愛しているけれども、それに関わる全てのものを無条件で受け入れる、いわゆる「ファン」とは、ちょっと嗜好が違うんですよね。


だから、いくらキャラクターに扮して頂いても、それによって新たな何かが見いだせないと、うーん。って感じでした。


もちろん、ダンサーさん達の、ダンスというか何と言うか、ものすごく研ぎ澄まされた肉体の動きは、そりゃ素晴らしかったです。


しかし、もともとワタクシって、バレエもイマイチよー分からんし、カラダの動きにプラスされて、言葉の力とか物語性とかがないと、ちょっと興味が魅かれないな・・・という事を、改めて実感しました。


なんかマイナス面ばかり書いちゃってますが、しかし、そもそも、欧州の振り付け家という、漫画とは全く違う世界のクリエイターが、手塚作品にインスパイアされ、漫画やドラマとは、全く違うアプローチで作品を作るという。


そんなことをさせてしまうのは、やはり手塚治虫作品が、ものすごいオリジナリティとパワーを持ってるからなんじゃないか?と。


そんな漫画家さんは、手塚先生以外、いないっすよねー。



そーいえば、この舞台で、結構「MW」の世界観が濃く描かれてたんですけど。

手塚作品の中で、割と渋いこの作品が、ここまでフィーチャーされてたことに、「MW」好きとしては、ちょっと嬉しかったです。

この作品の、結城青年のキャラクターってやっぱ独特だよなあ。

同性愛者っていうんでも無いけど、男もたらしこむ無慈悲な悪人が主人公のピカレスク。

やっぱアレか、社会で男が力を持ってるから、男をたらしこんだ方が上にのし上がれるっていう、女的発想も身に付けた上で、自らの男としての行動力とか社会に食い込む力も全て、悪の方面に発揮していく・・・っていう。

うーんMWについて語りだしたらキリがないっす。


それと、劇中でスクリーンに映った、「ブッダ」の最初に語られる、飢えた僧に自分の身を火に焼いて捧げたウサギの話。・・・・マジ泣けたわ。手塚さん、漫画がホントに上手いよ・・・


と、今観た舞台の印象より、手塚さんの漫画の記憶のほーが、何倍も濃いことも、再認識してしまいました・・・



という訳で、手塚先生リスペクトの気持ちが、また一段と深まった体験でした。とさ。