やっぱワタクシ、乙一さん好きだわ~。

「失はれる物語」といい、コレといい。

もっともっと世間に評価されていいんじゃないか?

 

これも短編集なんですけども、一つ一つのクオリティが高い。

あと乙一節とでもいうか、独特の文体も好き。

あの文体で一気に乙一ワールドが開けるというか。

 

「石ノ目」

「はじめ」

「BLUE」

「平面いぬ。」

の4編が収録されていますが、ワタクシ特に「はじめ」がよかったですわ・・・

 

これ、少年二人が、うっかり学校で飼っていたひよこを、踏み殺してしまい。

その犯人を、「はじめ」という架空の女の子に、なすりつけてしまいます。

やがて、なぜか「はじめ」を目撃した、という人が現れ始め。

とうとう、二人の前に、「はじめ」が実態をもって現れる、という。

 

乙一さんお得意の、「架空の友達」シリーズですね。

この感覚、私もすごく良く分かる。

本当に分かりあえる友達が欲しいと、子供のころからずっと願っていた口なんで、ワタクシも。

今思うと、自分の空想や思いが一杯一杯で、そのはけ口として、「友達」を求めていたんですよね。

「孤独感」を抱えながら、幼少期を過ごしたヒト独特の感覚かと。

で、そういうヒトが、結局心の友は見つからず、つい小説を書いたりシナリオ書いたりしちゃうんだろーな、って。

 

この「はじめ」は、結局、バス事故に巻き込まれ、同乗していた小学生を守るため、犠牲になって死んでしまいます。

でも架空の存在なんで、当然死体はなく。

そもそも、なぜ「はじめ」は、長い間、実態をもって主人公二人の前に現れていたのか?

その謎が最後に明かされます。

 

結局、人は損得ではなく、自分を大切に、尊重して扱ってくれた人に、心を寄せる。

そのシンプルな原理原則に、乙一さんの短編は、全てのっとっていてブレがないんですよね。

 

こういう思いは、幼少時に「本当の友達が欲しい。」と願った気持ちと、本質的に一緒なんだと思う。

まあ世の中、友達なんかいなくったって、それに思い悩むことなく生きて行く人も多いでしょうからね。

 

他人や世間の尺度なんか、本質的には自分の幸せに何も寄与しない。

心から他人と分かりあえる充実感、幸福感には比べようもない。

それが無い寂しさだけを、なぜか先に、強烈に知ってしまっている・・・・ってコレ、人間生来の孤独感なのかもしれませんね。

 

やっぱそう思うと、究極の不幸せって、心の孤独ってことになるのかもしれない。

かといって、分かりあえる友という存在ほど、ファンタジックなものはない。

だから、架空の友達という存在が、ある種の人間にとっては、コレ以上ないくらい、リアルなんだと思う訳です。

 

乙一さんの作品は、ある種の人間にとって、フィクションというものは、心の命綱くらいの価値を持っているんだよ。ということを、一貫して訴えている。

そこんとこ、ほんまマジ禿同だ・・・と思う訳で、やっぱワタクシ乙一さんが好きで好きで、捨て置けないって思ってしまう訳です。