もー家の中が大量の出版物で収集がつかなくなったので、ひさびさにブック・おふってみた。

んで、清算お待ちの間に、角田光代作「Presents」を立ち読みし、そのままお持ち帰り(会計はしましたよ)。


角田光代ってヒトは、小説のテーマが恋愛だったり家族だったり、日常そのままなクセに、驚くほど多作だな。

このヒトの書く小説は、たぶん21世紀の日本人の心象風景として、残るよーな気がする。

現代を生きるヒトの感情の機微が、こんなに「正確に」書かれた小説って、なかなか無いからだ。


「Presents」は、女性が一生のうちに頂く贈り物をテーマに、12編の短編で成り立っている。

生まれた時の「名前」から、「ランドセル」、初恋の「キス」、1人暮らしのスタート時に母からもらう「鍋セット」、付き合った男達からもらう合鍵やらピアスやら。んで、結婚し、子供が産まれ、生活し、娘を嫁に出し、息を引き取る間際に、家族から降り注ぐ、お別れの「涙」。


まー、こー並べると、陳腐でありがちな、コマーシャルな物語のようですが。

角田さんの小説が、どうしてそうならないのか?考えてみる。

コマーシャルな世界では、絶対あってはいけないものが、必ず含まれているからだと思う。

簡単に言いますと、以下2点です。

・生まれてから死ぬまで、ヒトはずっと孤独だということ。

・どんなに一緒の時間をすごしても、ヒトの内面が他の誰かの内面と、ピッタリシンクロし、ずっと共有されることは無いし、だからこそヒトの存在は、誰もがオリジナルなのだということ。


つまり角田さんの小説は、ヒトがどれだけ孤独なのか?つーことを、日常の隙間スケッチ的な、非ドラマチックなモチーフを使いながら、誰にでも分かる言葉で書かれているトコロが、極めて大人だな。と思うのであった。


1人娘の結婚が決まったその時に、離婚を決意した母親(「ぬいぐるみ」)。

8年間、何事もなく付き合い続けてきた学生時代からのカレシに、「ここ最近ぼくらがしていることは、自分が見て相手が見ていない光景を、ひたすら説明し続けていただけ。それがすごくしんどい。」と告げられるOL(「合鍵」)。

40過ぎの主婦が、風邪で高熱を出し、夫や子供に「ゴハンどーするの?」と攻め立てられながら、夢うつつで子供の頃母親が作ってくれたおじやとすりおろした林檎を思い浮かべる・・・・(「料理」)


もちろん、彼女の小説は、ひたすら孤独を、辛気臭く描いたものではない。

孤独なヒトの人生の中の、一瞬の幸福感を、ちゃんとエンタテイメントにして描いている。

みみっちくなく。

コレ、簡単でありふれた物語に見えるけど、日常これ冷徹。な視線で捉えてないと、編み出せない世界観だと思う。


さらに言えば、彼女の小説には、

「恋愛」へのむやみな憧れもなく、

自分の事を何とかして「特別だ」と思いたがる子供っぽさも無く、

根拠無き「前向きさ」で、ヒトを疲れさせる無神経さも、無い。

それでも熱く生きているし、血も通っている。

誰かと人生のかけがえのない、美しいものを共感したいと願い、誰かに何かを贈ったり、贈られたりしている。

でも、それがちぐはぐな「すれ違い」や「一方通行」になりうる事も、知っている。


角田光代というヒトは、ほのぼのした外見からはホド遠いが、相当冷徹な大人だと思う。

ナルシストな子供から、そろそろ脱却しないと、自分。

つー時が、角田作品のよみどきですな。