出張の新幹線(行き)で、「もうすぐ大阪に着いちゃうな・・・」と、うたたねしていたら。

「バコッ!!」

っつー音と共に、とつぜん前の座席が外れて、こっちに倒れてきた。

「うわっ!!」

「・・・ソーリー。」

外国人のオバサマが、力任せに座席を外したよーで、そのままガコッて元に戻してた。

・・・新幹線の座席って、外れるんだ。

つーか、白人のヒトって、力つええな・・・よくこんなヒトたちに、WBCで日本人、勝ったよな・・・と思ったのでした。


で、今回のWBCを観ていて、北京五輪も思い出しつつ、スポーツと国際関係について、気付いたことがあるので、鉄は熱いうちに打て。とばかりにブログってみます。


北京では日本が韓国に惨敗し、世間から非難されまくり、監督人事ですったもんだし、いよいよ迎えたWBC。

蓋を開けてみりゃー、米国とゆうお互いにとって異国の地で、日本と韓国は何度も何度も戦い、お互いがお互いにだけ負ける・・・みたいな試合を繰り返し、とうとう決勝戦を迎えたのだった。


今回、からくも日本が勝ったが、試合が終わった後、「ノーサイド!!」と叫びたくなったヒトは、ワンセグやってたオッサンばかりじゃー無かったと思う。

この北京→WBCを通じて、日韓の間に歴史的に横たわっていた、憎悪と蔑視という負の感情が、全部とは言わないが、多少なりとも「浄化」されたよーに感じたのだ。


これ、北京が北京で(・・・)、WBCがアメリカで開催されたのも、大きかったと思う。

日本か韓国で開催されてたら、お互いがもっと、負の感情に支配され、今回ほどの「ノーサイド!!」感が生まれ難かったんじゃないか?

そー思うと、自分たち発祥の野球というスポーツで、日本と韓国という異国人同士が決勝戦を行い、その試合を見て「アジアの野球はすごい」と素直に褒め称えた米国人とゆーのは、やはり自由の国のヒトたちだな、と感心した次第である。


スポーツの国際試合とゆーのは、言うほどキレイ事じゃなく、そこには様々な企業や国家の思惑が絡む、オトナの祭典である。

それでもやっぱスポーツは、芸術と同じく、ヒトの心の「何か」を浄化する、ということも否定できないと思う。


スポーツには、「擬似戦争」みたいな側面がある。

「勝つ!!」とゆー闘争心を合法的にぶつけ合い、グローバル経済時代と言いながら、前時代的に自国の選手のみを応援する、それが国際試合。

でも、今回のWBCを観てて、如何に机上で「日韓交流」テキなコトを考えても、一向に超えられなかったお互いのココロの壁が、スポーツという「擬似戦い」によって、お互いを認める方向に、溶かされてゆく・・・。コレを「浄化」を呼ばずに何と呼ぼう。


エゴと威嚇を剥き出し、ただ感情的に敵対していた次元から、お互いが自分達の最高のパフォーマンスを鍛錬と理性によって引き出し、情熱を持って戦う次元に進化したコトによって、過去の負の遺産を、乗り越えられる関係が生まれないことも、ない。

それに今回は、日本も韓国も、「メジャー・リーガーに勝たなくては!!」とゆーところで、感情論から理性的な戦略論に目を向けざるを得なかったトコロも、大きいと思う。

結果として、そのお膳立てをしてくれた、米国ないしメジャー・リーグという存在。

たとえ、「メジャー・リーグ宣伝のため」始まったのかもしれないWBCだとしても、やっぱスガスガしいことには変わりないし、その懐のでっかさを讃えたい。


プロスポーツ選手の海外移籍が活発化して久しいが、ワタシたちの世代は、積極的に異国の地に飛び込み、彼らとコミュニケートすることで逆に日本人であることを自覚する。

そしてビジネスでもスポーツでも、彼らと理性的な真剣勝負をすることで相手を理解し、それによって負の感情の遺産を、少しずつでも減らしていく・・・そういう世代なんだと思う。

世界中で、人種や宗教、利権争いによる紛争が勃発している中で、呑気にスポーツかよ。

と、ゆー視点も確かにある。

スポーツも、平和だから成り立つ、しょせんお遊び=「虚構の世界」の一つだからだ。


でも、スポーツや芸術といった「虚構の世界」で、現実世界の「痛み」を和らげるコトもある。

むしろ、虚構でしか癒されないっつーことも、あるんじゃーないのか?

だから、ワタシたちは、スポーツや芸術といった「遊び」に、時には真剣に、没頭する必要がある。

そんな事を、考えさせてくれたWBCでした。・・・お疲れさまっした。