三崎亜記作、「となり町戦争」を、出張帰りの新幹線でイッキ読み。
先日読んだ「バスジャック」といい・・・・この人の本、やっぱ面白いわ。
2004年に、第17回小説すばる新人賞を受賞して、話題になったこの作品。
あらすじを言いますと。
平凡なサラリーマン、「僕」の住む舞坂町の役場から、ある日突然、広報誌が配られる。
「となり町との戦争のお知らせ」。
・・・なんじゃそら?と思いながら淡々と日常生活を送るも、広報誌には「戦死者」の数が記載されるように。そしてとうとう、「僕」は行政機関から「となり町」の偵察任務を命じられ、役場に勤める「香西さん」という女性と偽装結婚し、偵察業務という名の夫婦生活を始めるのだった。・・・・
この「となり町と戦争が起っている。でもその現場をダレも知らない。」とゆー設定には、2つの意味があり。
一つは、毎日、世界のどこかで戦争や紛争が起っているが、メディアを通してそれを知る私たちは、どーしたって戦争が「他人事。」になっちゃってる。実際この先、日本が「戦争」に加担するよーな未来があったとして、きっと私たちは、この小説の町の人たちの様に、「他人事。」にするんじゃねー?と、容易に想像がつく、リアルな描写。
そもそもなんで、となり町と戦争が始まったのか。
理由として、地域経済の活性化、住民の帰属意識の強化・・・などが語られるが、現実問題、地球上で起る戦争のキッカケのほとんどは、「利権争い。」である訳で、今現在の世界同時不況を重ねると、薄ら寒いものがある。
そしてもう一つ。
「戦争が止められないなら、せめて関わらない方がいい」と主張する、ある登場人物に対して、「この国に生きる以上、戦争に直接的に関わっていよーがいまいが、好むと好まざるに関わらず、私たちは誰かを殺してるんです。どうせ、誰かを殺すなら、自分はそのことに、せめて自覚的でありたい。」という言葉が返されるんですが。
「この国」を「この地球」に変換すると、マンマ、今の世界の状況ですね。
このグローバル化した社会経済を生きる私たち日本人は、どっかの国が戦争すれば、需要と供給の波が起こり、その余波をさざなみのよーに受けながら、輸出大国として先進国の仲間入りをしてきました。
そして昨年起こった世界同時不況により、輸出産業なしでは、もはや日本人はやっていけない・・・という状況が、セキララになっています。どっかの国のどっかの戦争を、「そんなのカンケーねー!」とか、言ってられる立場じゃーねーっつうことですわ。
ワタシもとある企業で、せっせと物を造り、販売している立場の人間ですが。
「となり町戦争」の中の、こんな一節が刺さりました。
「本当に必要なものだけしか人々が購入しなくなれば、ほとんどの企業が立ち行かない。ない所に”必要”を無理やりにでも作り出さないと、この国の社会経済は維持できない。」
企業で働いてると、ホント、そーよねって実感する。
今は特に、みんなが「必要ないものは、いらない」と財布の紐を閉じちゃってる状況です。
ほんで定額給付金・・・政府が金配って、「国民よ、無駄使いしてくれ~!!」と叫んでるとゆー、異常な事態です。
だからと言って、「作らない・使わない社会に戻ろう!」とゆーのは、後ろ向きな発想で、それで何か新しいもの・価値観が生まれるのか?と作者は問う。私たちは、こーいう矛盾に満ちた、絶対的な答えが無い世界に生きている。だから、せめてそれを自覚しようよ、と。
コレ、発表時の2004年より2009年の今読むと、より突き刺さるな。
極めて予言的な本ですよ。
この世界同時不況、あと1~2年くらい続いてその後は、世界の様相がガラッと変わると言われている。
今、ワタシらメーカーのリーマンは、会社から「不況を脱した後の社会を視野に入れて、新たな需要を創造し、商品開発しろ」って言われてます。
うん、それが企業として正しい姿だと思うんだけど、どーにもやる気が沸かなくてね。
それがワタシが後ろ向きになってるからなのか、「必要ない所に、ムリヤリ必要を作りだそーとする」不自然さにうんざりしてるからなのか、自分でも分かりません。
・・・・きっと、時が解決してくると思います。
このよーに、リーマン生活が長くなると、自分を騙し騙しやっていくのが天才的に巧くなりますね。
でも、自分が何に引っかかってるのか?つーことには、せめて自覚的でありたいと思いました。
