「あなたのような生徒を紹介できる会社はありません」と就職担当の先生に言われた。17歳の小娘にものすごいことを言ってくれた。じゃあ私はどうすればいい?高校卒業したら、どうやって社会人になればいい?進路指導もなく、自力で就職先を探せということだ。ひどい話だ。卒業式に職員室の窓をバットで叩き割りたくなる。
親はなんの指針を示さずどこかの会社に落ち着いてくれることだけ望み、途方に暮れていた私も親に答えを求めなかった。社会に私は必要とされていないんだと荒みはしなかったのは、高校を卒業したら何をしたいか全くわからなかったからだ。自分の存在価値の無さをニヒルに抱きつつ、ただ大学進学できないから、働かなきゃ、ということだけ決まっている。夢も希望もない17歳。
そんなとき彼氏の母親が、公務員試験を受けることを勧めてくれた。高校の内申書は関係ないからって。そういう道もあるんだぁと初めて知った。だけど知ったときは結構遅くて、ほとんどの公務員試験の申し込みは終わっていて、間に合ったところを受験することに。申し込みをしてからの受験勉強である。バイトもしているし、勉強の習慣なんてとっくに無くなっているし、受験は駄目でもともとだった。でも、合格した。驚いた。
公務員試験は合格したところで試験の成績順位次第では採用されるわけではないと本に書いてあったような、正月過ぎて採用の連絡がなかったので、バイト先のアパレル店で社員にならないかと誘われて、その親会社の就職試験に合格して就職を決めてしまった。だから、そのあと公務員採用の連絡があったとき、お断りしてしまった。
昭和57年は就職難だったのか狭き門だったらしく、その局の人事担当も私に断られるとは思ってもいなかったらしい。採ってきた新人女子がこないとはどういうことだ!と人事係で慌てたと、あとから笑い話として職場の飲み会で聞かされた。親と人事担当の説得で、世話になったアパレル店にごめんなさいして、春から公務員になることになった。
彼氏の母親に感謝してあまりあるのだけど、なりたくて公務員になったわけでないので、きちんとお礼してない。ただ社会人として自立することで、自由になれる翼を手に入れたことが、嬉しかった。
そうそう「もう高校生じゃない」ということが嬉しかった。ホッとしたんだ。
晴れて社会人一年生となり、夢も希望もなく新しい世界に踏み込んだ。のだが、同期たちに恵まれて、楽しい公務員生活が始まった。港湾な土木の局に私を含め10名が配属された。新卒や障害者枠や民間企業からの転職した人や司法試験諦めた人やら、上は10歳も年上もいる超難関国立私立大卒の同期のお兄さんたちは、とんがった高卒の女子を可愛がってくれた。今までに知らなかった人たちだ。就業後に安い飲み屋でいろんな話をした。男女の友情は成立するかという青臭いテーマ、同和問題にシオニズム、東京港の展望やら、思ってはいても口にすることがなかった話題で盛り上がれたことが、嬉しかった。休日にはボウリングやテニス、福利厚生のスポーツ大会ではバドミントンチーム作って出場と、同期のみんなとの活動は楽しかった。仕事はともかく、新しい世界は素敵だった。
他局の同じ部同じ課同じ係で研修一緒だった高卒女子とも、仲良く友達になれた。その中で大学に通っていた友達がいた。その手があったのか!と知った。よくよく周りを見渡してみると二部の大学に通っている高卒の公務員は多い。なぜ、大学に行きたかった私に、誰もその方法を教えてくれなかったのかと、自分の不幸な境遇を嘆く。ともあれ嘆くよりも行動だ。昼間学費稼いで夜学校いくぜ!と。
といっても願書が本屋で平積みされている頃に、どこにしようかと受験する大学を決めた。デザインの専門学校に行きたいと一瞬思ったのだけど、彼氏に反対された。では大学で何を勉強したいか?通えそうで受かりそうな大学の学部という選択でいいのか?という疑問を気にせず、ろくに受験勉強してないのに受かったらラッキーという感覚で大学受験した。公務員試験受けるときと同じ感覚。取り寄せた高校の内申書に「学業に対する意欲がない」と書かれていたのに、無事に合格できた。まったく高校を卒業しても職員室の窓ガラスを叩き割りたくなることをしてくれるもんだ。
そうやって遠回りして、19歳の春から役所で働く経済学部の大学生となった。