はじめまして・「とくちゃん」です。

三番手を務めさせていただきます。

 

軽く自己紹介をします。

私は前の二人の書き手と同様に23区内の都立高校、なかなかの進学校の普通科に入学、

4年も浪人しちゃって美大に入り、

紆余曲折を経て今は「現代陶芸」「セラミックアート」という分野で作品を発表しています。

意外にも国内外の美術館で作品が収蔵されたり、全く無名とか趣味のヒトではありません・

ガチで「陶芸と結婚した」みたいな有様の人生を送っている55歳独身ですよ。ニヤニヤ

 

小さいころから絵を描いたり手芸をしたりするのが大好き、

漢字は母が買ってくる貸本屋の古本の雑誌ー週刊少女フレンドや週刊マーガレットで憶えました。

(「フレンド」ではデビューしたての里中満知子先生がデビュー作の(?)「ナナとリリ」を連載していました。

1967年の事ですって。

「週マ」の方では池田理代子先生が「桜京」をやっていたかな?「ベルサイユのばら」も連載で読みましたが、1972年の作品だということで、この時代に読んだのではないですね。

わたまべまさこ先生の「ガラスの城」だったかな?が大人気だったのはどちらだったかなぁ??)

 

【追記】「ガラスの城」1969年、「フレンド」だったようです。わたまべまさこ先生90歳でご健在ですって!!

 

母の英才教育の賜物で(?)小学校に上がるまでには漢字もかなり読めて

新聞もスイスイ読めるような活字中毒の子供になりました。

2つ上に姉がいたので姉の勉強を好奇心で追いかけていた結果、

性格は難アリながら「オベンキョウ」は好きで「テスト」は得意、という嫌な子供のできあがり。

実際、中学校一杯くらいまではオベンキョウというものは読書と同じように新しい知識、新しい世界の扉を開いてくれて新しい美しい光を世界に1つともしてくれるような、私にとってはとても素敵なものでした。

得手不得手はあったけれどね。

 

行っていた小学校も中学も地域の公立校なのですが、ひとつの小学校からその近くのひとつの中学校に生徒がなんとな~く進学する、そうではないのに中高一貫みたいな感じこじんまりとした環境で、小学校の頃からのオベンキョウの出来不出来・人間関係・モテるモテない・等々がすべてそのまま持ち上がってしまうような

閉じた世界で中学校一杯までは過ごしました。

 

で・その閉じたこじんまりした環境の中から、4つの区から選抜された秀才と才媛の集う伝統の薫り高き旧D2K女のあの高校へと入学したのでありました。

 

いやぁ~~~~~ぁ、これはなかなかに大変な変化だったのですYO。

井の中のザリガニ、思いっきりアマゾン川に投げ捨てられる、みたいな有様。

 

そして大きく道を踏み外したようでいて、中学の恩師に「そうなると思っていた」と言われるような

確かに「そーなるしかなかったよな」な人生が始まっていくことになりました。宇宙人宇宙人宇宙人

 

高校で色々コケつつ立派な世の中の役立たずアーティストになるまでのイロイロは、また次に。