なぜ私が、中国餃子の事件とその後起きた現象を風評被害と言わないのか?
事件が起きた事・国に対して、国内と海外では情報のやりとりが公平ではないということが重要です。すなわち、実際事件で様々な影響を受けた関係ないという方々への風評被害と言われるものを考えるときに、一般に国内で言うところの「風評被害」とは違う性質ではないかと思うわけです。
噂やメディアの影響を受けやすい一般国民は特に海外の情報は既存メディアが頼りです。「中国で起きた冷凍食品への毒物混入事件」という大きな枠で見られてしまいます。その影響で当該会社で作られたものだろうが他で作られたものだろうが、日本人は「中国産」を一時(今はどうかな?)敬遠してしまった。これは致し方ない事で、事件当時の他の商品の輸入停止も含めて政府や国民の判断は正しかったと思います。
「毒物が混入されているかもしれないという恐怖」「中国ではそういう事があるんだという恐怖」は、国民が冷静になって当該会社の餃子だけ食べなければ安全なんだという考え方へ、当時転換できたかといえば疑問です。報道とはそれほど怖いものです。
国と国との情報交換や過去の歴史など、大きな障壁がある中でそれを「風評」となるのは違うんじゃないかと思うわけです。風評ということの定義は認識しています。ただ今回は「中国での餃子毒物混入事件が及ぼした他の生産者や加工業者などへの風評被害」という事でしたので、それは風評被害と言わないんではないか。ということです。
そもそも風評被害って「災害や事故及び不適切又は虚偽の報道などの結果、生産物の品質やサービスの低下を懸念して消費が減退すること」(wikipanion参照)ですから「被害」とはしてしまう事には抵抗があります。
よって「中国で事故や事件が起きたから全て輸入禁止だ」という飛躍した考えには至りません。
今回の原発事故による関係地域での風評被害はどれほどのものかはわかりませんが、きっと甚大なものでしょう。だからこそ日本人が日本人を守っていこうという国民感情は、非常に理解しやすいものだと感じています。それと「中国での事件の時はこうだったのにな」というのとは比べるものではないとも思っています。