マイペース、気まぐれ屋で怠け者、しかしながらわりと負けず嫌いで努力家な一面もある。そんな風に自分に対して思っているわけだが、今日はそんな自分自身のヴァイオリンに関して掘り下げていこうと思う。まあほとんどの人が興味ないかもしれないが(笑)。しかも読み返してみたら長くて長くて読む気がしねえ。。。

さて本題。まず相対的に見てヴァイオリンの総合スキルは中の上くらいだろう。一般の音大生並みには弾けるかな、ただずば抜けた実力はない。プロの奏者としてやっていくのは無理だな…。日本音楽コンクールのレベルの高さを考えてもとても足元にも及ばない。

もう少し細かく分析。まず以下のグラフが自分なりの分析結果だ。

「基礎力」はリズム感や絶対音感、ソルフェージュ能力、さらには音程、指弓や構え、運弓などの基本的なヴァイオリンの技術のことを指している。基礎力は子供の頃に徹底的に叩き込まれたのでこれについてはほぼ問題ないと自覚している。絶対音感や相対音感もあり、基本的に途中で走ったり遅くなったりすることもない。ただ技術的に難しい曲だと音程が正確に取りきれずいまいちになったりする。だから9にしておく。
次に「感性」は音楽や演奏に対して「こう感じる」などと言った感受性や、音楽を感じながら或いは音楽の中に入り込んで演奏する能力のことを指している。我を忘れて夢中になって演奏したりいい演奏を聴いて感動したり。「音楽に向いてない」と言われる人はおそらく感性があまりない人だろう。自分は高校生まではほぼこの「感性」のみで演奏をしていた。だから当時はロマン派の曲の方が自分には向いていた。ただすごく感受性が豊かだというわけではなく、そこだけでカバーできるほどではなかった。
「理性」は頭を使って演奏を構築する能力だ。「感性」は演奏しているときのみに発揮されるのに対して、「理性」は演奏する前もするときも発揮される。音程の取り方やフレージングなどは前から予め構築するものだが、その場の雰囲気や響きでそれを変えたりする能力もまた「理性」によるものだ。大学受験を経てからこの「理性」的な演奏というものに目覚め、頭を使うようになった。そこから感性だけでは足りない部分や表現力の弱さを理性で補うようになった。理性と感性は相反するものだが、自分の演奏は半々くらいだと思っている。
次に「表現力」は自分の感じていることや個性などをアウトプットする力である。いわゆるアーティスティックな能力。これが豊かな演奏は他にはない高い共感性を呼ぶ(ただし好みは分かれる)。表現力が高い人の演奏は音楽の表情が豊かで個性的である。芸術家には必須の能力と言える。自分は音楽性(感性)はあるがこの表現力がいまいち乏しく、人目を一気に引きつけるような或いは強く印象に残るような強烈な個性を持った演奏は残念ながらできない。
「独自性」はいわゆる「人と違う何か」である。自分の場合は「音質」一択。自分の音質は子供の頃からプロも認めるくらい独特で、自分の一番の武器でもある。実際に自分の音が好きだと言ってくれる人がそこそこいてくれてそれはそれは非常に名誉で光栄なことだ。ただの自慢でしょうかね??安心してください、これ以上自慢できることはありません。また好みに関しては人それぞれなので全員に好まれるわけでは決してありません(実際に自分の音はそれほど好きじゃないです)。他にも突出して音量が大きい人がいたりめちゃくちゃ器用な人がいたりビブラートが上手い人がいたり子供の頃から難しい曲を弾きこなすような天才がいたり…様々な独自性を持つ人がいる。
最後に「技術力」はここ最近ではかなり早い段階から身についている人が増えている。ここ30年ほどのいわゆるコンクール世代は技術力に関して申し分ないほど完璧である。しかし残念ながら自分は技術力はあまりない。チャイコやシベリウスなどの難しいコンチェルトは音程を取るのがやっとで完璧に弾きこなすなんてことは到底できないし、せめてパガニーニの24のカプリースはある程度完璧に弾きこなせるようになることが目標だ。

長々と分析してきたが、ヴァイオリンでわかったことは「努力に勝るものはない」こと。どんな素晴らしい才能があったとしても努力なしには完全には生かされない。ただ努力とは言っても闇雲にやるような無駄な努力では意味がなく、頭を使って考えながら積み重ねていくことで成果が表れていく。世の中見ても「人並み以上に何かができる人」は「人並み以上」に努力をしている。私も社会人になりヴァイオリンを武器に生きていくことはできないが、ヴァイオリンを通して培った経験をこれからの生き方の教訓にしたいと思う。