岩佐美咲「鞆の浦慕情」聖地巡礼2 それは鞆の港の物語
太田家住宅~焚場~医王寺~沼名前神社~対潮楼~常夜燈
前回は福山に到着し、以下の地を巡る聖地巡礼の旅をしました。今回は太田家住宅~焚場~医王寺~沼名前神社~対潮楼~常夜燈とさらなる聖地巡礼の旅に出かけます。合わせて鞆の浦発売当時の様子を振り返ってみたいと思います。鞆の浦慕情は地元の方の熱い声援を受け、飛躍のきっかけとなった思い出深い作品です。岩佐美咲さんにとって鞆の浦は第2の故郷とも言わしめるゆかりの地です。今回この地を訪れることができて大変うれしく思います。それではレポートを書かせて頂きますのでよろしくお願いします。
岩佐美咲「鞆の浦慕情」聖地巡礼1 仙酔島~鮒番所跡~波止場~雁木~常夜燈

岩佐美咲「鞆の浦慕情」発売記念イベント 2014年1月7日池袋のサンシャインシティ
岩佐美咲が、3rdシングル「鞆の浦慕情」の発売を記念して2014年1月7日に、池袋のサンシャインシティ噴水広場でミニライブ&握手会を開催。新曲「鞆の浦慕情」とカップリング曲である「恋するフォーチュンクッキー」(演歌バージョン)を披露した。3回のステージが行われ、延べ約3000人の熱狂的ファンが詰めかけるた。「新年あけましておめでとうございます。先日、『無人駅』でデビューさせていただいたばかりのような気がするんですが、もう秋元康先生に3曲目を書いていただきまして、本当にうれしく思っております。少しずつ成長している私を皆さんに見てもらえるように頑張りたいなと思います」「ミュージックビデオの撮影で鞆の浦に行かせていただきまして、歌詞に出てくる場所とかを、秋元先生はここをこう思って書かれたのかなというのが、実際にその場所に行ってイメージがつかめて歌うことができました。日本一美しい港と言われているらしくとても美しいところでして、町並みもいい意味で昔と変わらず、すごく感動しました」と話した。
また、このイベントで「福山・鞆の浦応援特別大使」にも任命。福山市を代表するバラのイメージキャラクター“ローラ”ちゃんが応援に駆けつけ、ステージ上で任命とタスキの贈呈式が行われ、ローラちゃんからタスキを掛けてもらった。“わさみん”の愛称で知られる岩佐からは、タスキを掛けてもらったお返しにと、“わさみん 鞆の浦慕情応援隊長”と書いたタスキをプレゼントした。「鞆の浦のよさとか美しさを、この曲とともに全国にPRしていきたいなと思います」と意気込みを語り、バラのまちとしても知られる福山に引っかけて「私は今月30日で19歳になるんですが、10代最後の2014年は、少しずつ大人の女性になれるように、バラのように美しいけれどトゲがあるみたいな大人の女性になれるように頑張ります」バークスさんの記事より引用
岩佐美咲ブログより
岩佐美咲「鞆・一口町方衆」応援プロジェクト特別PR大使就任 2019年12月6日
福山市鞆町重要伝統的建造物群保存地区、鞆の浦には、中世の骨格を引き継ぎ江戸中期までに整えられた地割や、江戸時代からの伝統的な町家が石垣等の石造物、港湾施設等と一体となって良好に残っています。瀬戸内の港町として、山沿いから海に向かって中世から近現代までの街区が、まるで年輪のように集積しています。千年に及ぶ港町の歴史空間を巡る体験ができる点は、全国的にみても貴重であり、そこに建てられた建造物群も独特で、我が国にとって価値の高いものです。鞆の歴史的な町並みと人々の暮らしが醸し出す癒しの風情や、四季を通じて行われる伝統的な祭りや催しは、多くの観光客をひきつけ、世界的に知られる観光地となっています。他方、人口の減少とともに、空き家の増加や家屋の老朽化などにより、古い町並みは失われつつあります。また、人々が歴史と暮らしの中で守り育んできた祭事など伝統文化の継承にも影響を及ぼしています。鞆を再生・活性化するためには、地域と行政が一体となって、町並みを保存するとともに、安心して暮らし続けていけるまちづくりをすることが必要です。
岩佐美咲ブログより
鞆の浦の歴史
広島の福山・鞆の浦は、景勝が見事であるというだけでなく、歴史の町であるということも、観光に訪れる人が多い理由です。海外から足を運ぶ人もいるほど、鞆の浦は日本が誇る歴史の町といってもいいでしょう。現在の広島県福山市の鞆町という鞆の地域(仙酔島、弁天島、つつじ島、皇后島、玉津島、津軽島を含むエリア)は、古代より潮の流れに左右された海運にとって要衝の地とされ、「潮待ちの港」と呼ばれ繁栄していました。人々が交流する場所であっただけに、布教の拠点ともなり、古刹が多く残っています。800年代になると最澄によって静観寺(1300年代に焼失)が、空海により医王寺が、さらに900年代に福禅寺が建立されています。13世紀には今の安国寺となる金宝寺が建てられています。
交流拠点だった鞆の浦は、歴史の中では戦いの場でした。南北朝時代には、鞆合戦と呼ばれる戦が行われ、その間に静観寺五重塔は焼失してしまいました。 戦国時代は、安芸で勢力を持っていた毛利氏が興隆し、鞆中心部に「鞆要害」を築きました。これが後の鞆城になります。鞆は備後でも有数の拠点となっていました。 1573年、室町幕府15代将軍足利義昭は織田信長によって京を追放されます。足利義昭は、毛利氏や、現在の広島県福山市沼隈半島一帯を治めていた渡辺氏などの支援を受け、1576年にほかの幕府の武家とともに拠点を鞆に移しました。この勢力は、鞆幕府とも呼ばれたそうです。 江戸時代になると備後国を領有した福島正則が、鞆要害を鞆城へと拡大させようとしますが、徳川家康の意向に沿わず、工事は中止。その後、福島氏に代わって徳川家康の従弟水野勝成が備後福山藩の領主となりました。 1863年、尊皇攘夷派の三条実美ら7人の公卿が公武合体派によって京都を追われて長州に逃れる際、また翌1864年に長州から船で京都へ向かう際に、鞆港に立ち寄りました。その宿泊に使われたのが、福山藩の御用名酒屋を務めた保命酒の蔵元である中村家でした。明治時代に所有者が変わり、現在は太田家となっています。七卿落の遺跡であることも含め、1991年に国の重要文化財として指定されました。
いろは丸事件
その数年後となる1867年、海援隊が借り受けていた伊予国大洲藩所有のいろは丸が長崎港から大坂に向かっていたところ、備中国笠岡諸島付近で、長崎港に向かっていた紀州藩の軍艦「明光丸」と衝突するという事件が起こります。いろは丸に乗っていた坂本龍馬など海援隊と、明光丸の乗組員は鞆の浦に上陸。坂本龍馬と紀州藩は、鞆の対潮楼などで賠償交渉を開始しました。鞆での交渉はまとまらず、長崎奉行所に場を移し、土佐商会および土佐藩と紀伊藩は継続して争ったそうです。
現代の鞆の浦
1934年に国立公園として、全国で最初に指定されたのが瀬戸内海国立公園です。その中で最初の指定地が鞆の浦と瀬戸内海に浮かぶ仙酔島でした。 時代が進むにつれ、航海技術が進歩し、鞆の浦の海上交通の要所としての意義は薄れていきます。さらに沼隈半島の先端に位置し、開発が進んだ鉄道や国道といった陸上交通から一定の距離があるため、鞆自体の開発は急速には行われませんでした。そのため広島の福山市鞆町には、名所旧跡や遺構そして歴史ある街並みが現在でも残っているのです。
太田家住宅
太田家住宅は、1991(平成3)年に国の重要文化財指定を受けました。瀬戸内海を代表する往時の商家の佇まいを今に伝える、歴史的価値のある建造物群です。主屋や炊事場、保命酒蔵が見事に保存されていて、玄関には杉玉掛けもあり、造り酒屋の構えをよく残しています。これらの建物群は江戸時代中期から後期にかけて、「旧保命酒屋」中村家が拡張・増築していったものですが、明治に入って廻船業を営んでいた太田家に継承され、今日に至っています。
1655(明暦元)年に大阪から鞆に移り住んだ中村吉兵衛は、1659(万治2)年に漢方薬酒・「十六味地黄保命酒」の製造・販売を始めました。「保命酒屋」(旧中村家)として、江戸時代の間は醸造販売権を独占し、隆盛。まさに鞆の経済の中心だったのです。
幕末の政変によって都落ちした三条実美ら尊王攘夷派の公卿7人が、鞆に立ち寄った際に一時の憩いを得たのが、この太田家住宅(旧保命酒屋)でした。公卿らは保命酒に陶酔し、その美酒を褒め称える歌を残しています。文章および下記画像は鞆物語サイトより引用
この地域は一部保存修理が行われていました。江戸時代にタイムスリップしたようなこの空間は永遠に残したい日本の町風景ですね。
そして民家を抜けて港ぞいの道を西へと歩きます。
焚場
鞆の浦の西端には「焚場(たでば)」が海中に現存しています。焚場とは今でいうドック(船渠/せんきょ)のようなもの。木造船の船底に付着したフジツボなどの貝類や海藻、船虫などを焼き払い、乾燥させて船命を長らえさせます。この行為を「たでる」といい、たでる場所を「焚場」と呼んだのですね。鞆の浦は潮の干満の差が大きく、また船鍛冶も盛んな土地柄で、焚場に適していたのです。この天然ドックの存在が鞆の浦の経済を大いに後押ししました。江戸中期を過ぎると、近隣の港も設備が整い、鞆港もうかうかしていられなくなりました。そこで1791(寛政3)年から波止の構築と共に、焚場の一部をより頑強に石垣で補強する工事が始まったのです。その石垣は残念ながら、現在調査中で見ることはできません。1827年の「河内屋文書」には、焚場の規模を100間(約180m)と記しており、また、文化文政期の記録には、大型船が年間900隻も焚場を利用していたとあります。広島県教育委員会などの調査によって、この焚場の所在地や規模などが確認されました。

沼名前神社
「沼名前神社」は、鞆の浦の西方の山麓に位置する神社。鞆の浦で行われる多くの祭の舞台となるこの神社は、平安時代の延喜式にも記載されている由緒正しい神社です。海上安全に効験のある大綿津見命(おおわたつみのみこと)を祀る「渡守(わたす)神社」と、須佐之男命(すさのおのみこと)を祀り無病息災を祈願する「祇園社」。その2つの神社が明治時代に統合され、沼名前神社となりました。名前は変わりましたが、今でも鞆の浦の人びとは、この神社を「祇園さん」と呼んで親しんでいます。戦前まで鞆銀座と呼ばれ大いに賑った沼名前神社の参道では、ユニークな鳥居が目に付きます。すぐ脇の町家の手すりに突き当たるように建つ「一の鳥居」。また、笠木の両端に「鳥衾(とりぶすま)」が付く「二の鳥居」は他に類がなく、日本でここだけのものです。
境内には秀吉遺愛の能舞台があります。かつて京都伏見城にあったものを、福山城主・水野勝成が二代将軍・徳川秀忠より拝領し、それを沼名前神社に寄進したとのこと。 また、家康建造とも伝えられています。簡単に分解して移動できる組み立て様式の能舞台です。
| 岩佐美咲「鞆の浦慕情」沼名前神社でヒット祈願 2014年1月10日 |
| 2014年1月10日に岩佐美咲さんが沼名前神社(鞆町)を訪れヒット祈願を行いました。 鞆の住民や園児、小学生など450人が盛大にお出迎え。 「わ~さ~みんっ!がんば~れ!!」と園児たちが応援。 岩佐さんは、笑顔で声援に応えていました。 岩佐さんからのコメント: 鞆の皆さんに,こんなに歓迎してもらって,思い入れの強い曲になりました。 本当にありがとうございます。AKB48のメンバーにも鞆の浦のことをPRしています。 でも,メンバーからは「鞆の浦」の読み方がわからない…という人もいます(笑)。 この曲は,鞆の浦の美しい景色が歌詞になっていて,大人の切ない心を歌っています。 ぜひ,鞆の浦に来てこの曲を聴いていただきたいですね。 ![]() |
岩佐さんが福山市鞆町 沼名前神社に到着。「鞆の浦慕情」のヒットを祈願します。

もちろん「わさみん鞆の浦慕情応援隊長」のローラも駆けつけました。

(沼名前神社の鳥居)
鳥衾(とりぶすま)と呼ばれる特徴的な形状を持つ石鳥居(県重文)。

わ~さ~みんっ!がんば~れ!!とものうらっ ぼ~じょ~おっ!



(力石とは…)
鞆港で荷物の積み降ろしをする労働者たちが力比べをして,神社に奉納したもの。
海上交通の安全祈願も込められている。最も重いものでは230キロもある。


園児のハチマキには「わさみん命」の文字が!
「鞆の浦慕情を一緒に応援してね!」Byローラ
1月にリリースしたソロ第3弾シングル『鞆の浦慕情』で、オリコン週間総合ランキング1位に輝いた岩佐美咲。同曲の舞台になっている広島・福山市の鞆の浦を訪れ、1位御礼イベントを行った。 この日、最初に向かった保育園 鞆こども園では、園児たちによる太鼓の演武で歓迎を受けながら、感謝状と金メダルも授与。さらに「僕たちが住んでいる鞆の浦の歌を歌ってくれてありがとう」、「私たちが大人になっても、おじいちゃん、おばあちゃんになってもこの歌を歌います」といった言葉をもらい、岩佐は「みんなの手づくりの心のこもった金メダルや感謝状をいただいて、とてもうれしかったです。大事にします」と感激しきりだった。
その後は、同園近くの沼名前神社に御礼参り。“鞆の祗園さん”とも呼ばれる神社で、去る1月10日に園児たちとヒット祈願に訪れ、絵馬奉納、力石をさわることで得たご利益もあって、今回ヒットしたことへの御礼を行った。 続いて久松通り商店街へ向かい、地元の人たちと同商店街を練り歩きながら「恋するフォーチュンクッキー<演歌バージョン~福山編>」のミュージックビデオを撮影した後、特設ステージで歌唱イベントを実施。約500人のファンが詰めかける中、「この『鞆の浦慕情』がオリコン週間総合シングルランキングで1位をいただきました。福山の皆さんの応援のお陰だと思い、今日はそのお礼をさせて頂きたくてここに来させていただきました」と挨拶し、新曲「鞆の浦慕情」など4曲を歌い届けた。
今回の訪問を通じ、岩佐は「今日は、鞆こども園の子どもたちが、まだ意味がよくわからない曲を一生懸命練習して歌ってくれたのが何よりもうれしかったです。子どもたちのまっすぐな目とまっすぐな気持ちがすてきで、もっと頑張らなければと思いました。今回、初めてその土地の歌を歌わせていただきましたが、『鞆の浦』が第2の故郷になったみたいです。この曲をもっとたくさんの方に聴いていただき、聴いた方が鞆の浦に行ってみたいと思っていただけるよう頑張って歌っていきたい」と、改めて鞆の浦や新曲への想いを強めたようだ。なお、岩佐は4月11日にMazda Zoom-Zoom スタジアム広島で開催されるプロ野球 広島東洋カープVS中日ドラゴンズの試合で、国歌斉唱と始球式を行った。ビルボードジャパンの記事より引用

10月14日に福山西警察署の一日署長を務めた。歌唱後、警察官の制服姿で一日警察署長任命式に出席、オープンカーに乗車しパレードを行いながら地元の市民や全国から駆けつけたファンに防犯や交通安全を呼び掛け、最終地点の鞆の浦で感謝状の授与式開催。画像は人民国日本さんの記事より引用
渡船場のすぐ西側に視線を移すと、美しい石垣が目に映ります。その高台の上に悠然と建つのが『福禅寺対潮楼』です。平安時代の天歴年間(947〜957年)に、空也上人によって、「観音堂」(天台宗)として建立されたと伝えられています。のち、1638(寛永15)年に、後陽成天皇の第三皇子によって、真言宗大覚寺の末寺に指定。その際に、寺号が「観音堂」から「福禅寺」に改められ、そのまま、今日に至っています。「日東第一形勝」この「対潮楼」は、1694(元禄7)年に、憲意上人によって本堂が改築された際に、新しく建てられた客殿で、朝鮮通信使三役の迎賓館として使われてきました。つまりは、文人・墨客らの交流の場、サロンだったんですね。1711(正徳元)年、従事官・李邦彦は、そこからの眺望を「日東第一形勝」と賞賛。のち1748(延享5)年には、正使・洪啓禧が、客殿を「対潮楼」と命名し、書を残しています。ちなみに、この眺望写真、谷村新司さんが歌う「いい日旅立ち(山口百恵さんのカバー)」のCDジャケットにも使われました。

演歌歌手 岩佐美咲さんに 作曲した♬《鞆の浦慕情》の発売から今日で 1/8で 9年が 経ちました。YouTube 再生回数が 83万回を 超えて いることに 今し方気づき…今年も 記事を…
渋谷の TSUTAYAの 入り口の 柱には巨大ポスターが 貼ってあったのですね
写メを見つけ ジンとしました
オリコン総合 2週連続 1位も振り返ると 改めて 感謝で 溢れます
池袋サンシャインの発売記念イベントも懐かしい
永きに渡り歌っていただいている岩佐美咲さん
親しんでいただいている皆様に心から感謝申し上げます
宮島律子先生この曲を作曲していただいたありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。











































































