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KONCHAN音楽プロデューサ-のよもやま話

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8/27長崎ゴールデンステージ 長崎散策レポ1

出島~中華街~オランダ坂~グラバー園~大浦天主堂

以下の他に10/20(月) 11:00 ~BS10 同番組と思いますが番組表にあり

BS10プレミアム独占ライブ in 長崎スタジアムシティ ザ ゴールデンステージ #1

 無料放送 初回10/25(土)10:00~ 再放送10/29(水)18:00 ~ 

田川寿美 水森かおり 岩佐美咲 はやぶさ 辰巳ゆうと 西寄ひがし 

https://bs10.jp/premium/program/34107/

 
8/27長崎スタジアムシティハピネスアリーナで第1回ゴールデンステージが開催されることになりました。このイベントに合わせ私は長崎に遠征することになり、8/25に福山に泊まり、8/26に岩佐美咲さんのヒット曲「鞆の浦慕情」の聖地である鞆の浦を訪問しました。この時のレポートは別途書くことにして、この日の午後は福山から小倉、博多を経て夜には長崎に到着しました。そして8/27当日は灘崎の街をいろいろ散策ましたので、2回に分けてまずこの日の様子をレポートします。

 

福山からはハローキティ新幹線に乗って小倉毛向かいました。1号車は専用のルームになっていて、2号車は座席にもイラストが描かれています。500系新幹線は思い出の車両で、私が座った6号車は元グリーン車でr大変良かったです。詳しくは後日のレポートで。
 
15:30小倉駅到着 小倉駅は北九州の一大中心地ですね。
 
 
 
 
 
九州と言えば資さんうどんが有名ですが有名です。小倉で月謝下一つの理由はいとど本場の資さんうどんを食べたかったからです。注文hあタッチパネル式。ごぼ天うどんを注文しました。麺はやや柔らかめ、もちもちとして大変おいしいです。つゆは薄味でくどくんばく食べやすく美味しいかったです。
 
小倉周辺はアーケード街発祥の地、たくさんのお店がに気を連ねておりました。
小倉駅を後にした私は在来線で博多へ向かいました。18:00博多駅到着
そのp場でまたまた麺を食べてしまいました。ホームの博多ラーメンはシンプルでありますが、しっかりとご当地の味を出していました。豚骨のしろうまラーメンは650円です。
 
JR博多駅ではいろいろなタイプの特急電車に出会うことができます。これはゆふいんです。
 
 
博多駅は巨大なターミナルで、朝夕ラッシュ時は相当な混雑です。駅ビルも立派ですね。

 

私は19:00発リレーかもめ53号に乗りました。車両は885系、「白いかもめ」です。
落ち着いた色調で洒落な雰囲気を持つ大変居心地よい座席でした。ピーナッツさんのブログより引用

武雄温泉駅からは向かいのホームで西九州新幹線へ乗換え20:30頃長崎に到着しました。

 

 

長崎駅はそこまで大きなターミナル駅ではありませんが、商業施設と一体となっていてとてもきれいな駅です。日本本土の西の果てに来たなあという感慨を覚えました。

26日は長崎駅から徒歩10分くらいのホテルに泊まって、27日は朝7時ころ出発しました。
ホテルの目の前には路面電車の五島町の電停があって、そこから出島へ向かいました。

 

 

出島駅らすぐ、長崎港が見えるところに長崎出島ワーフがあります。ここは港町ならではのおしゃれな飲食店などが並び、観光スポットとなっています。

 

 

 

 

出島の歴史

 

駅とは逆側にあの有名な出島があります。今回は時間的に中には貼りませんでしたが、出島には開国に纏わる重要な歴史があります。寛永13年(1636)に築造された出島は、安政6年(1859)、オランダ商館が閉鎖される218年間に渡り、わが国で唯一西欧に開かれた窓として日本の近代化に大きな役割を果たしてきました。天文19年(1550)、平戸に1隻のポルトガル船が入港しました。これが長崎県内に入港した最初のヨーロッパの貿易船です。天正8年(1580)、大村純忠は長崎の町を教会知行地として、イエズス会に寄進しました。 その後、豊臣秀吉は天正15年(1587)、宣教師追放令を出し、長崎を没収、直轄領としました。幕府は、キリスト教の布教を阻止するために当時市内に雑居していたポルトガル人を収容する島をつくりました。これが出島です。出島は、寛永13年(1636)に「出島町人」と呼ばれる25人の町人の共同出資によって完成した人工の島で、この25人の町人たちはいずれも長崎を代表する豪商でした。慶長5年(1600)、1隻のオランダ船が豊後(現在の大分県)の海岸に漂着しました。これをきっかけに日本とオランダの交流は始まりました。この船は、デ・リーフデ号で、航海士だったウィリアム・アダムス(のちの三浦按針(あんじん))は、徳川家康に優遇され、外交顧問として活躍しました。寛永16年(1639)、ポルトガル人は出島から追放され、築造されたばかりの出島は無人の地となりましたが、寛永18年(1641)には平戸からオランダ商館が移転されました。出島は、その後、安政の開国までの約218年間、西欧に開かれた唯一の窓として、わが国の近代化に重要な役割を果たしました。

 

 

 

 
 

 
 

出島の中にはミニュチュアの出島復元模型があります。

 

 
 
横浜、神戸と並ぶ中華街・長崎新地中華街は、江戸時代中期に中国からの貿易品の倉庫を建てるために、海を埋め立ててできた街。 東西、南北あわせて約250mの十字路は、長崎市の姉妹都市である福建省の協力でできた石畳。 現在、中華料理店や中国菓子、中国雑貨など約40店舗が軒を並べています。冬の長崎を彩る「長崎ランタンフェスティバル」は、元々新地中華街の華僑たちが行っていた「春節祭」がはじまりです。いまでは長崎の街中にランタンが灯され、多くの観光客が訪れる冬の一大イベントです。

 

 

 

 

 
 

 

 

 
オランダ坂
 
オランダ坂は洋風住宅が立ち並び異国情緒あふれる東山手地区にある石畳の坂です。江戸時代日本で唯一貿易が行われていた長崎では、出島に住むオランダ人の影響か開国後も東洋人以外の人を「オランダさん」と呼んでいました。そのため当時「オランダさんが通る坂」という意味で外国人居留地にある坂はすべてオランダ坂と呼んでいたと考えられています。現在は、主に活水女子大学下の坂、活水坂、誠孝院(じょうこういん)前の坂がオランダ坂と呼ばれています。

 

 

 

東山手甲十三番館

オランダ坂の石碑のそばにある水色の洋館、東山手甲十三番館は入館無料で気軽に立ち寄れるスポット。明治時代に外国人住居として使用されていた建物で、当時の様子を伺うことのできる内装や調度品を見学できます。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
東山手洋風住宅群
オランダ坂を上った階段状の狭い敷地、急傾斜地を上下2段に造成し密集するように建つ7棟の洋風住宅群。1890年代頃に建築されたこれらの木造洋館は、内外とも意匠や仕上げが質素で、構造材料が各棟がほぼ同一であることから、社宅や賃貸住宅として計画的に建設されたと推定されます。このような用途の住宅遺構群が残っていることは、全国的に類例がなく、ここでしか見ることができない景観です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
長崎孔子廟
長崎孔子廟は、1893年(明治26年)に、清国政府と在日華僑が協力して建立したもので、その後いくどかの改修を経て現在に至っています。中国山東省曲阜にある総本山なみに、建物の随所に壮麗な伝統美を凝らした、日本で唯一の本格的中国様式の霊廟です。
上記画像は長崎孔子廟HPより引用
今回はあいにく時間外でしたが、長崎に行ったらぜひ観てみたい場所です。
オランダにちなんだ場所の近くに中国の建造物がある。このことは昔から異国交流が盛んだった長崎の深い歴史的背景を表していて興味深いです。
 
グラバー園スカイロード
オランダ坂を抜け、石橋駅からほど近くグラバー園へ向かうスカイロードがあります。
スライド式に上っていく方式です。
 
スカイロード登り切った場所は絶景が広がっています。
 
 
 
 
 
 
エレベーターを昇り少し歩くとグラバー園第2ゲートがあります。
 
長崎は横浜・神戸・函館・新潟とともに開港。長崎外国人居留地が誕生しました。その地で今もなお、歴史を刻み続けるグラバー園。スコットランドの貿易商人、トーマス・ブレーク・グラバーの邸宅をはじめ、3棟の国指定重要文化財と長崎市内に点在していた貴重な伝統的建造物が移築復元されています。グラバー園HPより引用
通常は大浦天主堂の方の第1ゲートから入場する方が多いのですが、結局第2ゲート側の方が高所にあり、そちらの方に上ることになるので、第2ゲート側から入場する方がよいと思います。
 
 
 
グラバー園とは
1858年(安政5)、江戸幕府はアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスの5ヵ国と修好通商条約を結び、新たな時代に進む日本へ、夢を抱いた外国人商人が集まりました。1641年(寛永元)より218年に渡り設置された出島のオランダ商館は幕を閉じ、条約により開港都市となった長崎には「居留地」が生まれました。長崎港を見渡す丘陵地には日本風の屋根瓦に覆われた洋風建築が立ち並び、各国から来崎した外国人たちの日常がそこにはありました。この地にある「グラバー園」。冒険商人トーマス・グラバーをはじめ居留地時代から残る外国人の住宅と長崎市内に点在していた洋館が集まるこの地では、幕末から明治の長崎の歴史を感じることができます。石畳や石段、長崎港を一望できるロケーションと共に、歴史、文化の香りに包まれながら、特別なひとときをお過ごしください。グラバー園HPより引用

グラバー園では9棟の伝統的建造物を見ることができます。そのうち、旧グラバー住宅、旧オルト住宅、旧リンガー住宅は居留地時代に建築され、150年以上この地に建ち続けている貴重な建物です。これら3棟は国指定重要文化財に指定され、旧グラバー住宅は「明治日本の産業革命遺産」の構成資産にも登録されています。一方、6棟は明治中期ごろに長崎市内に建てられた洋風建築をグラバー園へ移築復元したものです。各建物に当時を思わせる特徴があり、明治時代の長崎を知る上で貴重な建物です。グラバー園HPより引用

 

旧三菱第2ドックハウス

明治期に建てられた外国人乗組員用の宿舎

 
 
 
 
 
 
旧長崎地方裁判所長官舎

明治・長崎の西欧化を反映した官庁建築

 

旧ウォーカー住宅

ウォーカー商会を設立したロバート・N・ウォーカーの次男ロバート二世の旧邸

グラバー園HPより引用

 
 
 
 
 
 
 
旧リンガー住宅

グラバー商会に勤め、ホーム・リンガー商会を設立したフレデリック・リンガーの旧邸

 
 
 
 
 
旧オルト住宅

オルト商会を設立し、製茶業を営んでいたウィリアム・ジョン・オルトの旧邸

工事中でした。上記画像はグラバー園HPより引用

 
旧スチイル記念学校

東山手に建てられた、スチイル記念学校の校舎。

 
 
 
 
 
旧自由亭

日本人初の西洋料理店シェフとなった草野丈吉のレストラン「自由亭」。

 
 
 
 
 
旧グラバー住宅

スコットランド出身の商人トーマス・グラバーが、親子二代に渡り暮らした、現存するわが国最古の木造洋風建築。国指定重要文化財(昭和36年6月7日)

同邸宅の最初の主人であるトーマス・グラバーは1859年(安政6)21歳の時に長崎へ来航し、居留地として定められた南山手に自邸を建てました。グラバーは大きな松の木のすぐ横に建てられた自邸に「IPPONMATSU」という愛称をつけ、周囲からも「一本松邸」と呼ばれました。グラバーが1862年(文久2)に設立した「グラバー商会」が1870年(明治3)に倒産すると、住宅の権利は弟のアルフレッドに譲渡され、アルフレッドは管理人として住宅を居留地の人々に貸し出しました。その後グラバーが上京し、アルフレッドが死去すると、息子の倉場富三郎夫妻が住宅の権利を持ち、そこを住まいとしました。グラバー園HPより引用
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
長崎おくんちホール(長崎伝統芸能館)

長崎くんちに奉納される曳物、傘鉾、担ぎ物などを展示。「長崎くんち」とは、約370年の歴史と伝統を持つ、諏訪神社の例大祭です。現在は10月の7、8、9の3日間行っていますが、かつては旧暦の9月9日に行われていました。ここのか、を9日(くにち)と読みますが、それが「くんち」と呼ばれるようになったと言われています。長崎くんちの奉納踊は、1979年(昭和54)に国の重要無形民俗文化財に指定されています。グラバー園HPより引用

 
 
 
 
 
 
 
 

大浦天主堂は、幕末の開国にともなって造成された長崎居留地に、在留外国人のために建設された中世ヨーロッパ建築を代表するゴシック調の教会で、現存するものでは国内最古となります。

聖堂内を飾るステンドグラスの中には、約100年前のものもあります。また、建立直前の1862年に聖人に列せられた日本二十六聖人に捧げられた教会であり、天主堂の正面は殉教の地である西坂に向けて建てられています。設計指導者はフランス人宣教師のフューレとプティジャンの両神父で、施工は天草の小山秀之進(のちに、「秀(ひいで)と改名」)です。1864年末に竣工し、翌年2月に祝別されました。この直後の3月に、浦上の潜伏キリシタンが訪れ、信仰を告白したことにより、世界の宗教史上にも類を見ない「信徒発見」の舞台となりました。1875年と1879年の増改築により、平面形式と外観デザインも変容し、外壁も木造からレンガ造に変更されましたが、内部空間の主要部には創建当初の姿が保存されています。1933年に国宝となりましたが、原爆による損傷の修復が完了した後、現存する日本最古の教会建築として1953年に再度国宝に指定されました。また、2018年にユネスコの世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産のひとつです。ながさき旅ネットより引用

大浦天主堂の歴史(大浦天主堂HPより引用)
  • サン=フェリペ号事件をきっかけとした豊臣秀吉による禁教令と、宣教師および信徒の捕縛
  • 1597年、捕らえられた26人が長崎の西坂で殉教
  • 日本初のキリスト教殉教者であり、1862年、日本二十六聖人殉教者として列聖された
  • 江戸幕府による禁教政策
  • 殉教を選ぶ信徒たちと、密かに信仰を守ることを選ぶ信徒たち
  • 1859年の開港による外国人居留地の形成と、外国人信徒のための教会堂の建設
  • 1865年、大浦天主堂を訪れた潜伏キリシタンとプティジャン神父の出会い
  • 浦上や五島、大村でのキリシタン弾圧
  • キリシタン制札撤去後、再出発する日本でのカトリック布教
  • 1875年~1879年、増改築され現在の姿に
  • 1953年、文化財保護法による国宝に指定
  • 2018年、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として世界文化遺産に登録

時間の都合で入場はしませんでしたが荘厳な雰囲気に感動しました。

 

 
 
 
 
 
 
長崎と言えばカステラ、大浦天主堂の前には文明堂本店がありました。
グラバー通りにはオランダに関わる異国情緒豊かなお店が立ち並びます。
ちゃんぽん発祥の地 四海樓
ちゃんぽんのルーツは1899年(明治32年)、長崎の中華料理店「四海樓(しかいろう)」の創業者・陳平順(ちんへいじゅん)が、経済的に困窮する中国人留学生のために考案した「支那うどん」です。福建料理の「湯肉絲麺(トんにいしいめん)」をアレンジし、長崎近海の食材と麺、ボリューム満点のスープを組み合わせた安くて栄養価の高い麺料理が、長崎で瞬く間に広まり、日本の国民食として定着しました。
 
大浦天主堂前電停から眼鏡橋へ向かいます。平和公園も訪問しました。
よろしければ次回をお楽しみに。