8/27長崎ゴールデンステージ 長崎散策レポ1
出島~中華街~オランダ坂~グラバー園~大浦天主堂
以下の他に10/20(月) 11:00 ~BS10 同番組と思いますが番組表にあり
BS10プレミアム独占ライブ in 長崎スタジアムシティ ザ ゴールデンステージ #1
無料放送 初回10/25(土)10:00~ 再放送10/29(水)18:00 ~
田川寿美 水森かおり 岩佐美咲 はやぶさ 辰巳ゆうと 西寄ひがし
駅とは逆側にあの有名な出島があります。今回は時間的に中には貼りませんでしたが、出島には開国に纏わる重要な歴史があります。寛永13年(1636)に築造された出島は、安政6年(1859)、オランダ商館が閉鎖される218年間に渡り、わが国で唯一西欧に開かれた窓として日本の近代化に大きな役割を果たしてきました。天文19年(1550)、平戸に1隻のポルトガル船が入港しました。これが長崎県内に入港した最初のヨーロッパの貿易船です。天正8年(1580)、大村純忠は長崎の町を教会知行地として、イエズス会に寄進しました。 その後、豊臣秀吉は天正15年(1587)、宣教師追放令を出し、長崎を没収、直轄領としました。幕府は、キリスト教の布教を阻止するために当時市内に雑居していたポルトガル人を収容する島をつくりました。これが出島です。出島は、寛永13年(1636)に「出島町人」と呼ばれる25人の町人の共同出資によって完成した人工の島で、この25人の町人たちはいずれも長崎を代表する豪商でした。慶長5年(1600)、1隻のオランダ船が豊後(現在の大分県)の海岸に漂着しました。これをきっかけに日本とオランダの交流は始まりました。この船は、デ・リーフデ号で、航海士だったウィリアム・アダムス(のちの三浦按針(あんじん))は、徳川家康に優遇され、外交顧問として活躍しました。寛永16年(1639)、ポルトガル人は出島から追放され、築造されたばかりの出島は無人の地となりましたが、寛永18年(1641)には平戸からオランダ商館が移転されました。出島は、その後、安政の開国までの約218年間、西欧に開かれた唯一の窓として、わが国の近代化に重要な役割を果たしました。
東山手甲十三番館
オランダ坂の石碑のそばにある水色の洋館、東山手甲十三番館は入館無料で気軽に立ち寄れるスポット。明治時代に外国人住居として使用されていた建物で、当時の様子を伺うことのできる内装や調度品を見学できます。

グラバー園では9棟の伝統的建造物を見ることができます。そのうち、旧グラバー住宅、旧オルト住宅、旧リンガー住宅は居留地時代に建築され、150年以上この地に建ち続けている貴重な建物です。これら3棟は国指定重要文化財に指定され、旧グラバー住宅は「明治日本の産業革命遺産」の構成資産にも登録されています。一方、6棟は明治中期ごろに長崎市内に建てられた洋風建築をグラバー園へ移築復元したものです。各建物に当時を思わせる特徴があり、明治時代の長崎を知る上で貴重な建物です。グラバー園HPより引用
旧三菱第2ドックハウス
明治期に建てられた外国人乗組員用の宿舎
旧リンガー住宅
グラバー商会に勤め、ホーム・リンガー商会を設立したフレデリック・リンガーの旧邸

オルト商会を設立し、製茶業を営んでいたウィリアム・ジョン・オルトの旧邸
工事中でした。上記画像はグラバー園HPより引用
旧スチイル記念学校
東山手に建てられた、スチイル記念学校の校舎。
旧自由亭
日本人初の西洋料理店シェフとなった草野丈吉のレストラン「自由亭」。
旧グラバー住宅
スコットランド出身の商人トーマス・グラバーが、親子二代に渡り暮らした、現存するわが国最古の木造洋風建築。国指定重要文化財(昭和36年6月7日)
長崎おくんちホール(長崎伝統芸能館)
長崎くんちに奉納される曳物、傘鉾、担ぎ物などを展示。「長崎くんち」とは、約370年の歴史と伝統を持つ、諏訪神社の例大祭です。現在は10月の7、8、9の3日間行っていますが、かつては旧暦の9月9日に行われていました。ここのか、を9日(くにち)と読みますが、それが「くんち」と呼ばれるようになったと言われています。長崎くんちの奉納踊は、1979年(昭和54)に国の重要無形民俗文化財に指定されています。グラバー園HPより引用
大浦天主堂は、幕末の開国にともなって造成された長崎居留地に、在留外国人のために建設された中世ヨーロッパ建築を代表するゴシック調の教会で、現存するものでは国内最古となります。
聖堂内を飾るステンドグラスの中には、約100年前のものもあります。また、建立直前の1862年に聖人に列せられた日本二十六聖人に捧げられた教会であり、天主堂の正面は殉教の地である西坂に向けて建てられています。設計指導者はフランス人宣教師のフューレとプティジャンの両神父で、施工は天草の小山秀之進(のちに、「秀(ひいで)と改名」)です。1864年末に竣工し、翌年2月に祝別されました。この直後の3月に、浦上の潜伏キリシタンが訪れ、信仰を告白したことにより、世界の宗教史上にも類を見ない「信徒発見」の舞台となりました。1875年と1879年の増改築により、平面形式と外観デザインも変容し、外壁も木造からレンガ造に変更されましたが、内部空間の主要部には創建当初の姿が保存されています。1933年に国宝となりましたが、原爆による損傷の修復が完了した後、現存する日本最古の教会建築として1953年に再度国宝に指定されました。また、2018年にユネスコの世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産のひとつです。ながさき旅ネットより引用
- サン=フェリペ号事件をきっかけとした豊臣秀吉による禁教令と、宣教師および信徒の捕縛
- 1597年、捕らえられた26人が長崎の西坂で殉教
- 日本初のキリスト教殉教者であり、1862年、日本二十六聖人殉教者として列聖された
- 江戸幕府による禁教政策
- 殉教を選ぶ信徒たちと、密かに信仰を守ることを選ぶ信徒たち
- 1859年の開港による外国人居留地の形成と、外国人信徒のための教会堂の建設
- 1865年、大浦天主堂を訪れた潜伏キリシタンとプティジャン神父の出会い
- 浦上や五島、大村でのキリシタン弾圧
- キリシタン制札撤去後、再出発する日本でのカトリック布教
- 1875年~1879年、増改築され現在の姿に
- 1953年、文化財保護法による国宝に指定
- 2018年、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として世界文化遺産に登録
時間の都合で入場はしませんでしたが荘厳な雰囲気に感動しました。




















































