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KONCHAN音楽プロデューサ-のよもやま話

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8/27 長崎ゴールデンステージ 長崎散策レポ2

眼鏡橋~平和公園~浦上天主堂~爆心地公園~原爆資料館

 

以下の他に10/20(月) 11:00 ~BS10 同番組と思いますが番組表にあり

BS10プレミアム独占ライブ in 長崎スタジアムシティ ザ ゴールデンステージ #1 

無料放送 初回10/25(土)10:00~ 再放送10/29(水)18:00 ~ 

田川寿美 水森かおり 岩佐美咲 はやぶさ 辰巳ゆうと 西寄ひがし 

https://bs10.jp/premium/program/34107/

 

8/27長崎スタジアムシティハピネスアリーナで第1回ゴールデンステージが開催されることになりました。8/27当日は灘崎の街をいろいろ散策しましたので、2回に分けてまずこの日の様子をレポートします。前回は長崎散策1として、出島~新地中華街~オランダ坂~グラバー園~大浦天主堂とレポートさせて頂きました。内容は下記リンクからお願いします。今回は長崎散策2として、眼鏡橋~平和公園~浦上天主堂~爆心地公園~原爆資料館とレポートさせて頂きます。よろしくお願いします。

 

9:30ころ大浦天主堂駅を出た私は眼鏡橋に向かいました。
 
 
眼鏡橋
 
日本三大名橋に数えられる現存最古のアーチ型石橋の一つ。国指定重要文化財1634(寛永11)年、興福寺の黙子如定(もくす にょじょう)禅師が架設したとされている眼鏡橋。川面に映る影が双円を描き「メガネ」に見えることからこの名前がついたと言われ、東京の「日本橋」、山口の「錦帯橋」と並び日本三名橋に数えられます。1982年の長崎大水害で一部崩壊しましたが翌年復元され、国の重要文化財に指定されています。水位が低い時は、階段を使って川縁に降り水際を散策できるようになっています。眼鏡橋をはじめとする中島川護岸にあるハートストーンは恋愛成就のパワースポットとして注目されているので、訪れた際にはぜひ探してみてください。長崎の冬の風物詩、ランタンフェスティバルの時期には、眼鏡橋周辺も提灯で華やかに飾られ普段以上に多くの人で賑わいます。長崎観光サイトより引用

中島川には14のアーチ型石橋があったが、昭和57年(1982)7月23日の長崎大水害によって眼鏡橋ほか2橋が一部崩壊、6橋が流出した。眼鏡橋は昭和58年(1983)10月、桃渓橋、袋橋は昭和60年(1985)1月に復元。また大井手橋、すすきはら橋がコンクリート橋に改められ、編笠橋、古町橋、一覧橋、東新橋が昭和の石橋として昭和61年(1986)3月に架設された。眼鏡橋電停から少し歩くと袋橋が見えてくる・袋橋の架設年代は不明だが、一説によると寛永11年(1634)架設の眼鏡橋に次ぐ古いもので慶安年間(1648~1652)と推定される。この袋橋は昭和57年(1982)の長崎大水害の時に半壊したものの流失するまではいたらなかった。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
眼鏡橋電停から新地中華街で乗り換え、20分ほどで平和公園駅に着きました。
 
 
平和公園
 
原爆落下中心地公園北側、小高い丘にある平和公園は、悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓いと、世界平和への願いを込めてつくられた公園です。公園内は長崎の平和のシンボル「平和祈念像」や世界恒久平和と核兵器廃絶の願いを込めて建設された「平和の泉」がある「願いのゾーン」、長崎原爆資料館がある「学びのゾーン」などに分かれており、国内外から多くの人々が訪れます。ゆっくりとした時間が流れるなか、平和の尊さを感じられるスポットです。
平和公園は、長崎駅の北約2.5キロメートルに位置する面積約18.5ヘクタールの総合公園です。昭和24年に施行された長崎国際文化都市建設法に基づき、原爆の実相を訴えるとともに、世界平和と文化交流のための記念施設として昭和26年に整備を行い、これまで国内外の多くの人々に親しまれてきました。長崎市では、平成7年の被爆50周年を迎えるにあたりこの平和公園の再整備を計画し、平成6年度から9年度にかけて整備を実施しました。公園全体を街のなかの緑のシンボルとする「平和の森」づくりを基本に、国道206号をはさみ、東西2地区に大きくわかれる公園の特性を充分考慮するとともに、公園建設当初の趣旨を尊重しながら新たな公園づくりを進めました。
 
平和の泉
原爆のため体内まで焼けただれた被爆者たちは「水を、水を」とうめき叫びながら死んでいきました。その痛ましい霊に水を捧げて冥福を祈り、世界恒久平和と核兵器廃絶の願いが込めて浄財を募り建設された、円形の泉です。1969年(昭和44年)に完成し、平和公園の一角、平和祈念像の前方に位置しています。被爆し水を求めてさまよった少女の手記を刻んだ石碑が正面に設置されており、当時の惨状を重々しく映し出しています。平和の鳩と鶴の羽根をイメージした噴水が舞い、平和祈念式典の前夜には数多くのローソクが灯され、犠牲者を悼む催しも行われます。詩碑には、原爆の業火の中で水を求める少女を描いた詩が刻まれている。昭和44年8月3日建立。
のどが乾いてたまりませんでした

水にはあぶらのようなものが 一面に浮いていました

どうしても水が欲しくて

とうとうあぶらの浮いたまま飲みました

あの日のある少女の手記から

ウィキペティアより引用
 
平和公園内には平和を祈る様々なモニュメントが設置されています。

世界平和シンボルゾーン 以下は海外から送られたモニュメント ウィキペティアより引用

画像 名称 作者
ポルトガルの旗ポルトガル   平和の記念碑  
チェコの旗 チェコスロバキア社会主義共和国 人生の喜び JAN HANNA
ブルガリアの旗ブルガリア A Call ボリス・ゴンドフ
東ドイツの旗東ドイツ 諸国民友好の像 ゲルハルト・ロンメル
オランダの旗 ミデルブルフ(オランダ)   未来の世代を守る像 ペーター・ドゥ・ヨン(ピーター・デ・ヨング)
ソビエト連邦の旗ソビエト連邦 平和(МИР) アニクシン・ミハイル・コンスタンチノビチ)
中華人民共和国の旗中華人民共和国 乙女の像 曹大澂、胡耀邦[1]
Template:Country alias POL1980の旗 ポーランド   生命と平和との花 マリウス・クルパ
イタリアの旗 イタリア   人生への賛歌 シオリオ・ビバレリ
キューバの旗 キューバ 太陽と鶴 ホセ・デララ
ブラジルの旗 ブラジル(サントス) 平和の碑 須藤岩男
トルコの旗アンカラ(トルコ) ∞無限 エシュベル・カラヤルチン
アメリカ合衆国の旗 セントポール(アメリカ)   地球星座 (1992年に黒澤明監督の長崎原爆を題材にした映画、八月の狂詩曲の中でアメリカからの彫像が無いことを指摘したことを受けて、セントポール市長ジェームズ・シャイベル氏が寄贈した。同市は長崎市姉妹都市である。)[2] ポール・グランランド(en:Paul Granlund
アルゼンチンの旗 サンイシドロ(アルゼンチン)   戦争に対する平和の勝利 カルメン・アリオラ・デ・マリンスクール、サンイシドロ
ニュージーランドの旗 ニュージーランド政府および6都市   平和のマント、Te Korowai Rangimarie(マオリ語)、Cloak of Peace(英語) キングスリー・ビアード(en:Kingsley Baird
オーストラリアの旗フリーマントル(オーストラリア) 生命の木:平和の贈り物
 
 

 

 
 
 
 
 
長崎の鐘
長崎平和公園にある「長崎の鐘」は、 軍需工場で亡くなった人々の慰霊と、平和への願いを込めて1977年に建立されました。元は浦上天主堂の「アンゼラスの鐘」だったものが、原爆で奇跡的に無事だったことをモデルにし、毎年原爆の日には鐘が鳴らされ、平和への祈りを世界に伝えています。
 
 
長崎刑務所浦上刑務支所跡

公園南側に赤レンガ造りの拘置所基礎部分の遺構(約1100平方メートル)が保存展示されている。原爆投下時は、敷地面積2万平方メートル、庁舎面積1万3000平方メートルで13の庁舎が建ち並んでいた。当施設は爆心地から最短100メートルに位置していたため、甚大な被害を受けた[6]。庁舎と周囲を取り囲んでいた塀は一瞬にして崩壊し、周囲は瓦礫の山となり僅かに炊事場の煙突1本が残った。 被爆時、刑務所内には職員18人、官舎住居者35人、受刑者および被告人81人(中国人32人、朝鮮人13人)の計134人がいたが、全員死亡した。 

 
 
 
 
 
平和祈念像
長崎の平和祈念像は、天を指す右手で「原爆の脅威」を、水平に伸ばした左手で「平和」を、そして目を閉じた姿で「戦争犠牲者の冥福を祈る」意思を示しています。これは彫刻家・北村西望氏の言葉が台座の裏に刻まれており、長崎の悲劇を二度と繰り返さないという強いメッセージが込められています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
平和祈念像は思ったよりかなり巨大、平和を願う意思が強烈に示されています。どれだけ多くの方たちが悲しみ、祈りをささげたか、実際にこの場に立つと、人々の限りない思いがひしひしと心に響いてくるようでした、
 
 
 
 
 
平和公園の後方を抜け10分くらい歩くと浦上天主堂が見えてきます。
 
 
 
 
 
浦上教会(浦上天主堂)
 
長崎市のキリシタンの聖地のひとつ浦上地区にあり、キリシタン弾圧の禁制をとかれ自由を得た信徒達によって建設が計画された浦上教会(浦上天主堂)。資金難の苦労を乗り越え1914年に東洋一を誇るレンガ造りのロマネスク様式大聖堂として献堂式があげられました。正面双塔にフランス製のアンジェラスの鐘が備えられましたが、そのわずか20年後の1945年、原爆により浦上教会は無惨にも少しの堂壁を残し壊滅、アンジェラスの鐘も鐘楼もろとも崩れ落ちました。現在の建物は原爆投下から約14年後の1959年にコンクリートで再建されたのち、1980年にレンガタイルで改装し、当時の姿に似せて復元されました。周囲には被爆遺構の石像などが配され、今も原爆の爆風に耐えたもう一方のアンジェラスの鐘が時を告げています。浦上教会内の信徒会館1階には原爆遺物展示室が設置されています。浦上教会の歴史や、被爆前後の写真を紹介したパネルのほか、信徒の家庭から寄贈された聖母像などが展示されています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
中には入れませんでした。以下3枚の画像は長崎観光サイトより引用
 
 
 
 

原爆遺構の保存

原子爆弾の炸裂により、浦上地区は壊滅した。浦上天主堂の正面外壁は損傷を受けながらも残ったが、教会そのものは破壊された。天主堂遺構の再建と保存については、被爆直後から方向性の違いがあった。被爆直後の1945年10月に長崎医科大名誉教授で長崎市議会議員でもあった國友鼎が、市議会にて「(略)人類の責務において我等はこの被害のあとを詳細に記録せねばならぬのだ…」と、浦上天主堂をふくめ長崎市をポンペイのように保存すべきだと訴えた。1949年(昭和24年)4月には「長崎市原爆保存委員会」が発足している。・・・以下こちらをご覧ください

浦上教会には、当時の悲惨な様子を物語る生々しい遺構が保存されています。どんな言葉で語るよりも実際にこの目で遺構を見たとき、言葉に出ないほどの旋律を覚えると思います。
 
資料館の方は休館日でした。こちらから歩いて10分ほど、爆心地平和公園へ向かいました。
 
 
爆心地公園
 
1945年8月9日11時02分。アメリカのB29爆撃機から投下された原子爆弾は松山町171番地の上空約500mで炸裂し、一瞬のうちに多くの尊い人命を奪いました。現在、その地には落下中心地標柱として黒御影石の碑が立てられています。園内には被爆当時の地層も残されており、そこには原爆によって壊された家の瓦やレンガのほか、約3,000度の熱で焼け溶けたガラスなどが今も大量に埋没しています。原爆の爆風により、爆心地周辺のほとんどの樹木は倒れ焼き尽くされたことから70年は草木も生えないだろうという“70年不毛説”が流れましたが、1ヶ月後には約30種類の植物が次第に芽吹き始めました。今ではすっかり緑に囲まれ、かつての惨状を思い浮かべるとその逞しい生命力や復興を遂げる不屈の精神を感じることができます。公園の周囲には桜の木が植えられ、春になるとその桜が見事に咲き誇ります。年間を通して四季折々に風情が変わる市民の憩いの空間として親しまれています。長崎市観光サイトより引用
 
 
 
 
 
 
 
 
時間は11:30になりましたので、ちゃんぽんを食べに路面電車で浦上駅前まで行きました。
観光客相手のお店ではなく、地元の人が通う普通のお店に行きたいと思いましたが、水曜日は休みのお店が多く、町中華風のお店をやっとのことで見つけました。ちゃんぽんは薄味ですが、だしがきいたスープはとてもいい味を出しています。もちもちの太麺と野菜が絡み合って絶妙な味を引き出します。
 
大満足の私は、再び路面電車に乗り原爆資料館へ
 
 
1945年8月9日 午前11時2分。広島原爆投下から3日後、長崎市内の浦上地域上空で原子爆弾が炸裂し、付近は一瞬のうちに廃墟と化し約15万人もの人々が死傷しました。この資料館では被爆の惨状をはじめ原爆が投下されるに至った経過や核兵器開発の歴史などを紹介し、被爆から現在までの長崎の復興の様子をストーリー性のある展示を交えながら、核兵器のない世界の実現に向けて平和を発信しています。被爆直後と現在の長崎の風景写真を比較すると、目覚ましい勢いで復興した長崎の街と長崎市民の逞しさがひしひしと伝わってきます。「原爆、戦争なんて遠い昔のこと」とはいえない現在の世界情勢。各展示物に正面から向き合うと同時に“悲惨な歴史”を受け止め、真の平和について考える意義深い時間を過ごせるでしょう。長崎市観光サイトより引用
長崎原爆資料館は長崎市平和会館と併設されています。
原爆資料館HPより引用
 

 

 

 

以下4枚の画像は原爆資料館HPより引用
「長崎を最後の被爆地に」とは、長崎市が世界で最後の被爆地であることを願い、核兵器の廃絶と平和な世界の実現を目指すメッセージです。平和のつどいなどで長崎市民がこの願いを発信しており、「ナガサキ誓いの火」が灯り続けていることも、その意志の表明です。

 

 

 
 
【ノーベル平和賞】
2024年ノーベル平和賞に日本被団協が選ばれました。
広島・長崎の被爆者たちが、受賞核兵器廃絶を訴え続けてきた活動が評価されました。

 

 

 

予定通り長崎の散策を終えて長崎スタジアムノーズ電停へ。いよいよコンサートの始まります。後日レポートを書きますのでよろしければhご覧ください。