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岩佐美咲「初酒」聖地巡礼1 2025年10月31日

京都嵐山 渡月橋~竹林の小径~亀山公園~桂離宮

 

岩佐美咲Xより

岩佐美咲&山崎あおいライブハウスツアー2025大阪公演が11/1にあり、私は前乗りし10/30夜行バスで出発、31日の朝に大阪に着きました。そして31日は京都で一日を過ごしました。前乗りした理由は3連休だとその前の平日の方が予約が取りやすいこともありますが、今回の目的は、岩佐美咲さんのシングル「初酒」の聖地巡礼として、京都の嵐山や伏見を巡ることです。この地は何度も行ったことがある土地で行きやすいのですが、あいにくの雨ということで、なかなか大変な旅となりました。「初酒」のMV のロケ地は朝、嵐山の竹林の小径で行い、そこから伏見稲荷大の社の千本鳥居で、最後にお酒にまつわる楽曲ということで、伏見の酒で有名な月桂冠大倉記念館で行われました。今回の旅ではロケの日の行程と同じルートで聖地巡礼を行い、途中前からどうしても行きたかった桂離宮にも立ち寄りました。記事は2回に分け、1回目は嵐山竹林の小径→桂離宮、2回目は場所を伏見に移して伏見稲荷退社→月桂冠大倉記念館とします。それではよろしくお願いします。

 

10/30夜東京駅を出た私は31日7:40頃大阪に着きました。梅田駅から阪急で嵐山へ

 

特急で桂駅までそこから阪急嵐山線に乗り替えて、梅田から約50分で阪急嵐山駅に着きました。
 

外はかなり雨が降っていましたねえ。駅を出ると渡月橋へと向かいました。
旅したルートの位置関係はこんな感じです。
るるぶより引用

 

 
雨が降っていてまだ8時台ということもあり、渡月橋は観光客がまばらでした。

 

 

 

渡月橋
嵯峨野と嵐山を隔てて流れる桂川に架かる橋。承和年間(834 - 848)に僧道昌によって架橋したのが最初とされており、現在の位置には後年に角倉了以が架けたとされる。現在使われている橋は昭和9年(1934年)6月に完成したものである。亀山上皇が、橋の上空を移動していく月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」と感想を述べたことから渡月橋と名付けられた。嵐山を代表する観光名所であり、春と秋を中心に多くの観光客で賑わう。10月末はまだ紅葉には早く、色づく様子はほとんどありませんでした。見ごろは11/20くらいだそうです。
そうだ京都へ行こうより引用

 

 

渡月橋から竹林の小径へと続きメインストリート、普段なら大変混んでいますが、この時間帯と天候ではあまり混雑は見られませんでした。それでも行列ができているお店はありました。

嵐電の嵐山駅、ここの装飾とライトアップは人気です。

以下数枚は2023年12月10日嵐山を訪れたときの画像です。この時は嵐電で仁和寺や龍安寺などを巡り四条大宮まで行きました。ちなみに行きは京都駅からJR 嵯峨線で嵯峨嵐山駅で降り竹林の小径へ向かいました。

 
ここからは再び2025年10月31日のレポートに移ります。

すでに紅葉している木もあります。

左には天龍寺が見えてきました。天龍寺の庭園と紅葉は大変有名です。
 
天龍寺(てんりゅうじ)は臨済宗天龍寺派の大本山の寺院。山号は霊亀山(れいぎざん)。本尊は釈迦三尊。正式には霊亀山天龍資聖禅寺と号する。開基(創立者)は足利尊氏、開山(初代住職)は夢窓疎石である。足利将軍家と後醍醐天皇ゆかりの禅寺として京都五山の第一位とされてきた。「古都京都の文化財」としてユネスコ世界遺産に登録されている。
 

 

 

初酒(2015年4月29日発売)

初酒」は秋元康により作詞、早川響介により作曲されている。シングルのカップリング曲にはAKB48が、2・3月にNHK『みんなのうた』で放送された「履物と傘の物語」を岩佐美咲一人の歌唱カバーが収められる。通常盤には「鞆の浦慕情」に引き続き、楽曲を演歌バージョンにして収録されており、本作では映画『アナと雪の女王』主題歌の「レット・イット・ゴー〜ありのままで〜」である。AKB48以外の楽曲を演歌バージョンにするのは、今作が初である。また、初回限定盤にはシグナルの「20歳のめぐり逢い」のカバーが収録されている。楽曲のMVは京都市内で撮影された。(嵐山・嵯峨野にある竹林の小怪、伏見稲荷大社の千本鳥居、月桂冠大倉記念館、京町おくど「十二屋」)

 

 

歌詞を見てみましょう。この歌は岩佐さんが二十歳を迎えるにあたり、初めてお酒を飲むことができる喜びを歌い上げた曲です。なので岩佐さんが歌う他の演歌のように北へと向かう寂しげな雰囲気の曲ではなく、明るく前向きな希望に満ち満ちた歌です。二十歳を迎えたばかりの初々しさと共に、ここらで一休み♪というここまで頑張ってきた自分へのご褒美と、我慢しなくていいんだよ、もう十分頑張った♪他の人に対する思いやりのこもった優しい感情があふれる応援歌にもなっています。カッコつけてちゃ生きられぬ 馬鹿馬鹿しくなるだろう だから笑おう♪とても開放感のある気持ち、20歳になり何か解き放たれたようなざっくばらんな感情、すべてがまたここから始まる、そんなリスタートの決意を語った歌でもあります。この歌の持つ明るい色調は岩佐さんの持つ演歌の中では特別な輝きを放つ貴重な歌であり、キャンペーンなどでも景気づけに冒頭に歌われることが多く、手拍子で場を盛り上がるのにうってつけの素晴らしい歌です。この歌が大好きだというファンも多く、いつまでも歌い継がれる名曲として、燦然と輝く存在になっていると思いますので、皆様もどうぞ岩佐美咲の歌声でお聴きください。

 

 

 

MVより

 

竹林の小径

竹林の小径(ちくりんのこみち)は、京都市右京区嵯峨野・嵐山エリアに位置する全長約400メートルの散策路で、京都を代表する観光名所の一つです。この道は、野宮神社から天龍寺北門を経て大河内山荘庭園へと続いており、両側に手入れの行き届いた竹林が広がっています。平安時代には、この地域は貴族の別荘地として利用されていたと伝えられています。現在では、四季折々の風景を楽しめるスポットとして、多くの観光客が訪れます。特に晴れた日には、竹林の間から差し込む木漏れ日が美しく、幻想的な雰囲気を醸し出します。竹林の小径は、季節や時間帯によって異なる表情を見せるため、何度訪れても新たな発見があります。早朝や夕方の人が少ない時間帯に訪れると、静寂な雰囲気の中で竹林の美しさをより深く感じられるでしょう。

 

いよいよ「初酒」 MVの舞台竹林の小径へ入ります。入口にはお店があり賑わっていました。

 

 

雨が降っていて傘を差しながらだと撮影しにくいです。

 

 
野宮神社へやってきました。伊勢斎宮・源氏物語旧跡
 野宮はその昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王(皇女、女王の中から選ばれます)が伊勢へ行かれる前に身を清められたところです。嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられた野宮は、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた聖地でした。その様子は源氏物語「賢木の巻」に美しく描写されています。 野宮の場所は天皇の御即位毎に定められ、当社の場所が使用されたのは平安時代のはじめ嵯峨天皇皇女仁子内親王が最初とされています。斎王制度は後醍醐天皇の時に南北朝の戦乱で廃絶しました。その後は神社として存続し、勅祭が執行されていましたが、時代の混乱の中で衰退していきました。そのため後奈良天皇、中御門天皇などから大覚寺宮に綸旨が下され当社の保護に努められ、皇室からの御崇敬はまことに篤いものがありました。黒木鳥居と小柴垣は平安の風情を現在に伝え、源氏物語、謡曲野宮でも有名な当社は、嵯峨野巡りの起点として多くの方が訪れられます。えんむすびの神様、子宝安産の神様として全国から崇敬を集めています。

野宮神社付近には踏切がありJR嵯峨野線が通過します。

 

 

 

 

 

 

天龍寺北門

 
 嵐山 竹林の小径の歴史  

竹林の小径は、京都市右京区嵯峨野に位置する全長約400メートルの遊歩道で、両側に広がる竹林が作り出す美しい風景で知られています。その歴史については明確な記録が少なく、詳細は不明な点が多いものの、以下に主要な出来事を年代順に詳しく解説します。

 1. 平安時代(794年~1185年):貴族の別荘地としての発展  

嵯峨嵐山地域は、平安時代から貴族たちの別荘地として栄えていました。特に、嵯峨天皇がこの地に離宮を構えたことから、多くの貴族が邸宅を建て、風雅な生活を楽しんでいたとされています。この時期、竹林も庭園の一部として取り入れられ、景観の一部を形成していた可能性があります。 

 2. 809年:野宮神社の創建  

竹林の小径の東側に位置する野宮神社は、809年(大同4年)に創建されたと伝えられています。この神社は、天皇の代理として伊勢神宮に仕える斎王が、伊勢へ向かう前に身を清める場所である「野宮」に由来しています。『源氏物語』の「賢木の巻」にも描かれており、歴史的な重要性を持っています。周辺の竹林は、当時から神聖な場所として存在していたと考えられます。 

 3. 鎌倉時代(1185年~1333年):竹林の景観の形成  

鎌倉時代中期の1255年(建長7年)、後嵯峨上皇が嵯峨野に亀山殿(嵯峨殿)と呼ばれる離宮を造営しました。これにより、嵯峨野地域は貴族文化の中心地として発展し、庭園や景観の整備が進められました。この時期に、竹林が美的景観として重視され、現在の竹林の小径の原型が形成された可能性があります。

 4. 江戸時代(1603年~1868年):竹林の整備と文化の発展  

江戸時代には、茶道や庭園文化が隆盛を極め、竹林も美的景観として整備されました。嵯峨野地域では、竹林が観光地としての価値を高め、多くの文人墨客が訪れる場所となりました。また、嵯峨鳥居本は愛宕神社の門前町として栄え、江戸時代の風情を今に伝える町並みが形成されました。

 5. 2015年:竹林の散策路の整備  

2015年の秋には、竹林の小径の北側に新たな散策路が整備されました。これは嵐山・嵯峨野で生まれた人力車屋さんの寄付によって整備され、管理されています。この新たな散策路により、訪れる人々はさらに多様な竹林の風景を楽しむことができるようになりました。

20025年版 嵐山について|歴史やおすすめスポットを詳しく解説 サイトより引用

 

MVより

竹林の中を散策するだけでなく空を見上げたり、行きかう人を見たり、朝昼晩と表情を変える竹林の様子や、嵐山付近の他の場所とのコントラスト、数々の寺院などの名所、食べ歩きを楽しむのも京都観光の醍醐味ですね。
 
MVより
撮影は人の少ない早朝に行われたようです。天候にも恵まれて順調に進みました。
 

 
 
 
 
MVより
 
MVより
MVでは青の着物としっとりとした緑の竹林の情景が溶け合い、大変美しい映像に仕上がっています。岩佐さんのしぐさは繊細で日本的な細やかな所作が感じられ、京都の美しい情景によくマッチしています。

 
 
MVより

 
 

 

 

 

 
撮影は思った以上に順調に進み、時間が巻いていたようです。岩佐さん京都はとても好きで、時間があれば泊りたかったとお話しされています。京都で撮影できて嬉しい。きょうとてもうれしい!
MVより

 

 

 
 

竹林の小径、最近では海外からの観光客が急増し、竹に落書きをする被害やクマの出没など問題が出ています。しかし、このような美しく整然と空に延びる竹林の風景は他には観る事の出来ない京都の風景として、未来永劫残していきたい日本の遺産ですね。

 

 
2005年より17年間開催されていた「嵐山花灯路」が、趣向を変え「嵐山月灯路」として4年ぶりに嵐山の夜に帰ってきます。大人気の竹林の小径のライトアップをはじめ、約1kmに渡る灯りの路にて、皆さまをお待ちしています。嵐山花灯路HPより
 

 

亀山公園

亀山公園は、正確には京都府立嵐山公園の一部(亀山地区)であるが、公園内の高台に亀山天皇を含む3天皇の火葬塚にちなんで、亀山公園と通称される。周辺はいわゆる嵐山地区であり、四季を通じて観光客が多く、特に桜と紅葉の季節は賑わう。小倉山の南麓に位置し、東隣は天龍寺、北隣は大河内山荘があり、嵯峨野めぐりのルートのひとつにもなっている。嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線のトロッコ嵐山駅が近く、園内の展望台からトロッコ列車の走行を含め保津川の風景を見ることができる。

嵯峨野観光鉄道 – トロッコ列車 画像は左記サイトより引用

亀山公園、紅葉はまだでしたが、竹林の小径を抜け展望台から嵐山を眺めたり、山々の紅葉等を無ながら坂を下るコースは私のお気に入りです。2023年の12月にもこの地を音連れ増したが、まだ紅葉が残っていました。

 

以下2023年12月10日撮影

 

嵐山・渡月橋の日の出
2023年の時は早朝だったので渡月橋をバックに美しい日の出を見ることができました。
 
ここからは再び2025年10月31日の画像です。
 

 

 
 
 
 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 

阪急嵐山駅に着きました。雨も小降りになり旅は続きます。嵐山を後にした私は桂駅に向かいました。桂離宮から歩いて20分ほど桂離宮に到着です。

桂離宮の観覧は当日キャンセル待ちもありますが、基本的に予約審査が必要です。私は1か月以上前にこの日を予約しました。官公庁管理の厳格な対応かと思いましたが、当日はスムーズに案内され、気持ちよく観覧することができました。桂離宮については後日別記事で詳しく書きたいと思いますので今しばらくお待ちください。

 

桂離宮

京都の南西、古くは平安時代に貴族が別荘を営んだ桂の地に、八条宮家はちじょうのみやけ別業べつぎょう(別荘)として初代智仁としひと親王により創始されたのが桂離宮です。桂川の西岸沿いに位置する桂離宮は、竹垣に囲まれた約六万九千㎡に及ぶ敷地の西側に主要部となる書院群が雁行し、その前方にある池の周辺には、四つの御茶屋や持仏堂などの庭園建築が配置されています。宮内省の所管となる明治一六年(一八八三)以前には、桂別業などと称されていました。 桂別業の明確な造営時期は不明ですが、史料や昭和の大修理の際の調査により、元和元年(一六一五)以降、寛文二年(一六六二)頃までの約五〇年の間に、ほぼ現状の姿に整えられたと考えられています。

 

 

 
 

 

 

 

 

日本庭園の最高傑作と称される桂離宮、その魅力は一言で語れません。大変な労力と資材を投入して考えに考えられて設計された庭園と建築物の数々、それらの事は別途書かせていただきます。

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 
 

 
 

 

 
 
 

 
 

 
 

 

 

 

 

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桂離宮を後にした私は桂駅から京都河原町駅へ。そこから乗り換え、鴨川を見て京阪祇園四条駅から伏見稲荷へ向かいました。「初酒」聖地巡礼の旅は次なる地、伏見へと移ります。