岩佐美咲「合鍵」7/4タワレコ広島キャンペーン開催!2025鞆の浦から被爆地 広島、長崎を訪ねて | KONCHAN音楽プロデューサ-のよもやま話

KONCHAN音楽プロデューサ-のよもやま話

ネットワークや融合によって音楽文化を発信する。
音楽による新しいビジネスの形を提案していきます。
音楽イベントやビジネスを制作、プロデュースします。
皆さんよろしくお願いします。

岩佐美咲 12枚目シングル『合鍵』2026年2月4日(水)発売!

【Type-A】MAXI (CD)
1. 合鍵 (作詞:秋元康 作曲:SABURO 編曲:野中”まさ”雄一)
2. マリブの海へ連れてって(作詞・作曲:山崎あおい 編曲:山崎あおい・長江徹)
3. 合鍵(カラオケ)
4. マリブの海に連れてって(カラオケ)

【Type-B】MAXI (CD) 
1. 合鍵(作詞:秋元康 作曲:SABURO 編曲:野中”まさ”雄一)
2. 祈り(作詞・作曲:山崎あおい 編曲:山崎あおい・長江徹)
3. 合鍵(カラオケ)
4. 祈り(カラオケ)

※Type-AとBは異なるジャケットデザイン

 

画像

岩佐美咲 新曲「合鍵」キャンペーン広島開催決定!

7/4(土)13:00~ タワーレコード広島店

 

 【日程】 2026年7月4日(土) 13:00~ 

【会場】 タワーレコード広島店 店内イベントスペース 

【イベント内容】 歌唱ステージ&特典会

 

 

 

2025年長崎遠征レポ  詳しくはリンク先をご覧ください

8/28 博多~宮島~原爆ドーム~平和記念公園~倉敷

 

 

2025年8月長崎スタジアムシティでコンサートが開かれることになり、私は長崎へ遠征することになりました。途中行きたかった場所にも立ち寄りましたので、その旅行の様子をまとめたいと思います。25日は東京を出て新幹線と在来線を使い途中姫路で下車、姫路白の雄大な姿をを観ました。 

 

姫路城 

福山城

8/25に福山に泊まり、尾道ラーメンなどを頂きました。

岩佐美咲「鞆の浦慕情」聖地巡礼

8/26は朝から岩佐美咲さんのヒット曲「鞆の浦慕情」の聖地である鞆の浦を訪問しました。

詳細はリンク先にあります。

岩佐美咲「鞆の浦慕情」聖地巡礼1 仙酔島~鮒番所跡~波止場~雁木~常夜燈 25/8/26

岩佐美咲「鞆の浦慕情」聖地巡礼2 太田家住宅~焚場~医王寺~沼名前神社~対潮楼 発売時レポ

 

 

ハローキティ新幹線

8/26鞆の浦慕情の聖地巡礼をした後、福山駅から小倉駅までは500系ハローキティ新幹線に乗りました。500系は古い車両ですがスタイリッシュでファンも多く、私にとっても懐かしの新幹線です。ハローキティ新幹線は1.2両目が特にハローキティのかわいさ満載の車両になっており、海外の方にも人気があります。

小倉到着。小倉から博多駅に向かいリレーかもめと新幹線で長崎へ着きました。

資さんうどん

博多駅

長崎駅到着です

 

長崎ゴールデンステージ 長崎散策レポ1出島~中華街~オランダ坂~グラバー園~大浦天主堂

長崎ゴールデンステージ 長崎散策レポ2眼鏡橋~平和公園~浦上天主堂~爆心地~原爆資料館

被爆地 広島、長崎を訪ねて

 

ここからはこの旅で特に印象が残った被爆地、長崎、広島に焦点をあてて書いてよきます。

 

眼鏡橋電停から新地中華街で乗り換え、20分ほどで平和公園駅に着きました。

 

 

平和公園

 

平和公園は、長崎駅の北約2.5キロメートルに位置する面積約18.5ヘクタールの総合公園です。昭和24年に施行された長崎国際文化都市建設法に基づき、原爆の実相を訴えるとともに、世界平和と文化交流のための記念施設として昭和26年に整備を行い、これまで国内外の多くの人々に親しまれてきました。長崎市では、平成7年の被爆50周年を迎えるにあたりこの平和公園の再整備を計画し、平成6年度から9年度にかけて整備を実施しました。公園全体を街のなかの緑のシンボルとする「平和の森」づくりを基本に、国道206号をはさみ、東西2地区に大きくわかれる公園の特性を充分考慮するとともに、公園建設当初の趣旨を尊重しながら新たな公園づくりを進めました。

 

平和の泉

原爆のため体内まで焼けただれた被爆者たちは「水を、水を」とうめき叫びながら死んでいきました。その痛ましい霊に水を捧げて冥福を祈り、世界恒久平和と核兵器廃絶の願いが込めて浄財を募り建設された、円形の泉です。1969年(昭和44年)に完成し、平和公園の一角、平和祈念像の前方に位置しています。

のどが乾いてたまりませんでした

水にはあぶらのようなものが 一面に浮いていました

どうしても水が欲しくて

とうとうあぶらの浮いたまま飲みました

あの日のある少女の手記から

ウィキペティアより引用

平和公園内には平和を祈る様々なモニュメントが設置されています。

 

長崎の鐘

長崎平和公園にある「長崎の鐘」は、 軍需工場で亡くなった人々の慰霊と、平和への願いを込めて1977年に建立されました。元は浦上天主堂の「アンゼラスの鐘」だったものが、原爆で奇跡的に無事だったことをモデルにし、毎年原爆の日には鐘が鳴らされ、平和への祈りを世界に伝えています。

長崎刑務所浦上刑務支所跡

公園南側に赤レンガ造りの拘置所基礎部分の遺構(約1100平方メートル)が保存展示されている。庁舎と周囲を取り囲んでいた塀は一瞬にして崩壊し、周囲は瓦礫の山となり僅かに炊事場の煙突1本が残った。 被爆時、刑務所内には職員18人、官舎住居者35人、受刑者および被告人81人(中国人32人、朝鮮人13人)の計134人がいたが、全員死亡した。 

 

平和祈念像

長崎の平和祈念像は、天を指す右手で「原爆の脅威」を、水平に伸ばした左手で「平和」を、そして目を閉じた姿で「戦争犠牲者の冥福を祈る」意思を示しています。これは彫刻家・北村西望氏の言葉が台座の裏に刻まれており、長崎の悲劇を二度と繰り返さないという強いメッセージが込められています。

 

 

 

 

平和公園の後方を抜け10分くらい歩くと浦上天主堂が見えてきます。

 

 

 

 

 

 

 

浦上教会(浦上天主堂)

 

長崎市のキリシタンの聖地のひとつ浦上地区にあり、キリシタン弾圧の禁制をとかれ自由を得た信徒達によって建設が計画された浦上教会(浦上天主堂)。資金難の苦労を乗り越え1914年に東洋一を誇るレンガ造りのロマネスク様式大聖堂として献堂式があげられました。正面双塔にフランス製のアンジェラスの鐘が備えられましたが、そのわずか20年後の1945年、原爆により浦上教会は無惨にも少しの堂壁を残し壊滅、アンジェラスの鐘も鐘楼もろとも崩れ落ちました。現在の建物は原爆投下から約14年後の1959年にコンクリートで再建されたのち、1980年にレンガタイルで改装し、当時の姿に似せて復元されました。

 

 

 

 

 

 

中には入れませんでした。以下3枚の画像は長崎観光サイトより引用

 

 

 

 

原爆遺構の保存

原子爆弾の炸裂により、浦上地区は壊滅した。浦上天主堂の正面外壁は損傷を受けながらも残ったが、教会そのものは破壊された。天主堂遺構の再建と保存については、被爆直後から方向性の違いがあった。被爆直後の1945年10月に長崎医科大名誉教授で長崎市議会議員でもあった國友鼎が、市議会にて「(略)人類の責務において我等はこの被害のあとを詳細に記録せねばならぬのだ…」と、浦上天主堂をふくめ長崎市をポンペイのように保存すべきだと訴えた。1949年(昭和24年)4月には「長崎市原爆保存委員会」が発足している。・・・以下こちらをご覧ください

浦上教会には、当時の悲惨な様子を物語る生々しい遺構が保存されています。どんな言葉で語るよりも実際にこの目で遺構を見たとき、言葉に出ないほどの旋律を覚えると思います。

 

資料館の方は休館日でした。こちらから歩いて10分ほど、爆心地平和公園へ向かいました。

 

 

爆心地公園

 

1945年8月9日11時02分。アメリカのB29爆撃機から投下された原子爆弾は松山町171番地の上空約500mで炸裂し、一瞬のうちに多くの尊い人命を奪いました。現在、その地には落下中心地標柱として黒御影石の碑が立てられています。園内には被爆当時の地層も残されており、そこには原爆によって壊された家の瓦やレンガのほか、約3,000度の熱で焼け溶けたガラスなどが今も大量に埋没しています。原爆の爆風により、爆心地周辺のほとんどの樹木は倒れ焼き尽くされたことから70年は草木も生えないだろうという“70年不毛説”が流れましたが、1ヶ月後には約30種類の植物が次第に芽吹き始めました。長崎市観光サイトより引用

 

 

 

 

時間は11:30になりましたので、ちゃんぽんを食べに路面電車で浦上駅前まで行きました。

 

大満足の私は、再び路面電車に乗り原爆資料館へ

 

長崎原爆資料館

 

1945年8月9日 午前11時2分。広島原爆投下から3日後、長崎市内の浦上地域上空で原子爆弾が炸裂し、付近は一瞬のうちに廃墟と化し約15万人もの人々が死傷しました。この資料館では被爆の惨状をはじめ原爆が投下されるに至った経過や核兵器開発の歴史などを紹介し、被爆から現在までの長崎の復興の様子をストーリー性のある展示を交えながら、核兵器のない世界の実現に向けて平和を発信しています。

原爆資料館HPより引用

 

以下4枚の画像は原爆資料館HPより引用

「長崎を最後の被爆地に」とは、長崎市が世界で最後の被爆地であることを願い、核兵器の廃絶と平和な世界の実現を目指すメッセージです。平和のつどいなどで長崎市民がこの願いを発信しており、「ナガサキ誓いの火」が灯り続けていることも、その意志の表明です。

 

 

 

【ノーベル平和賞】
2024年ノーベル平和賞に日本被団協が選ばれました。
広島・長崎の被爆者たちが、受賞核兵器廃絶を訴え続けてきた活動が評価されました。

 

 

 

 

 

全国から1,000名超が来場ハピネスアリーナが感動と笑顔に包まれた 

「TALK&LIVE ザ・ゴールデンステージ produced by Japanet」レポ

詳細はこちら→株式会社 ジャパネットホールディングス 

長崎スタジアムシティは、8月27日(水)「TALK&LIVEザ・ゴールデンステージ produced by Japanet」の第1回目をハピネスアリーナにて開催いたしました。全国から1,000名を超えるお客様が駆けつけ、当日は、珠玉の歌声と心温まるトークに、会場は熱気に包まれました。

水森かおりブログより

長崎を後にした私は博多で泊まり、次の日に広島を目指しました。

宮島口駅到着

 

 

宮島からは広電で原爆ドームへ。街中の様子が観れて楽しい旅行になりました。
 

 
原爆ドーム
原爆ドーム到着。今回は長崎から広島と原爆の爪痕を知り、心に深く刻まれた旅でもありました。戦争が絶えない時代であるからこそ、平和の尊さを改めて実感できるのだと思います。原爆ドームは、元々は1915年(大正4年)に建てられた「広島県物産陳列館」で、後に「広島県産業奨励館」と改称され、県産品の展示・販売を行う施設でした。原爆投下は1945年8月6日8時15分。チェコ人建築家ヤン・レツルが設計し、爆心地の真上近くで爆風を真上から受けたため、ドームや鉄骨の骨組みが奇跡的に残ったことで、平和の象徴として保存されています。
広島市公文書館提供

 

 
 

 
 
 

 

 

 

 

 

 
 
 

 

 

 

 

 

 

 
 
 

 

 
広島平和記念公園
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広電は広島駅の構内まで乗り入れられるようになり、乗り換えが楽になりました。

 

 

 
倉敷へ
 

広島を後にした私は倉敷へ向かいました。