上野恩賜公園
公園の歴史
上野恩賜公園は、明治6年の太政官布達によって、芝、浅草、深川、飛鳥山と共に、日本で初めて公園に指定されました。ここは、江戸時代、東叡山寛永寺の境内地で、明治維新後官有地となり、大正13年に宮内省を経て東京市に下賜され「恩賜」の名称が付いています。
この日私はアメ横で買い物をして京成上野駅の横から公園へ入りました。
先日の風雨で散っていた花も多いようでしたが、まだ多くの桜の花が咲いており、午後からは天気も回復したとあって、十分お花見を楽しむことができました。平日ではありましたがたくさんの花見客、特に海外からいらした観光客の姿が多く、思い思いに日本の桜を楽しんでおられました。
東京国立博物館HPより引用
東京国立博物館
東京国立博物館は、日本と東洋の文化財(美術品、考古遺物など)の収集保管、展示公開、調査研究、普及などを目的として運営、1872年(明治5年)に創設された日本最古かつ最大の博物館であり、本館、表慶館、東洋館、平成館、法隆寺宝物館の5つの展示館と資料館その他の施設からなる。
寛永寺
上野の森の北端、東京国立博物館の奥にひっそりとたたずんでいる名刹があります。「江戸の鬼門を守った」といわれる天台宗の関東総本山、寛永寺(かんえいじ)です。実は上野に動物園や博物館ができるよりも昔の江戸時代に、人でにぎわう観光名所・上野の礎を築いたのは、寛永寺でした。寛永寺は1625年(寛永2)年、徳川家康・秀忠・家光の3代にわたって将軍が信頼し、重用した天海僧正(てんかいそうじょう)を開祖として上野台地に建立されました。寛永寺という名前は、創建時の年号にちなんでつけられたものです。寛永寺は江戸城の北東にあたる鬼門を封じ、徳川将軍家を守るための祈祷寺として建立されました。京都御所の鬼門を守った比叡山延暦寺に対し、「東叡山(とうえいざん)」の名でも呼ばれます。3代将軍家光が亡くなると寛永寺で葬儀が行われ、その後4代将軍の家綱が寛永寺に葬られて、寛永寺は歴代将軍の菩提寺という役目も担うようになります。
上野東照宮HPより引用
上野東照宮
上野東照宮は1627 年創建の東京都台東区上野公園に鎮座する神社です 。東照宮とは徳川家康公(東照大権現)を神様としてお祀りする神社で、日光や久能山の他、全国に数多くございます。
当宮は出世、勝利 、健康長寿に特に御利益があるとされ信仰されています。金色殿などの豪華な建造物は、戦争や地震にも崩壊を免れた貴重な江戸初期の建築として国の重要文化財に指定されており、国内はもとより、海外からも多くの方がお参りされます。
不忍池
上野恩賜公園の南端に位置し周囲は約2km、全体で約11万m2。北で上野動物園西園、東で京成上野駅、南と西で不忍通りに接している。現在の不忍池は、その中央に弁才天を祀る弁天島(中之島)を配している。また、池は遊歩のための堤で3つの部分に分かれており、それぞれ、一面がハスで覆われる蓮池、ボートを漕いで楽しむことのできるボート池、上野動物園の中に位置しカワウが繁殖している鵜の池の3つである。各池の詳細は以下の通りである。弁天島に建つ石碑によれば、「不忍池」の名は、かつて上野台地と本郷台地(向ヶ岡)の間の地名が忍ヶ丘(しのぶがおか)と呼ばれていたことに由来するとのことである。
東京文化会館