重要な判例とその解説を集めた有斐閣の『判例百選』というシリーズがあるのですが,その交通事故関係に特化した『交通事故判例百選』の最新版がこの10月に出ましたので,近頃購入しました。

 

『交通事故判例百選』は昭和43年(高度成長時代の真っただ中,ちょうど「交通戦争」と呼ばれた頃です)に初版が,その後50年に第2版,62年に第3版,平成11年に第4版とほぼ10年ごとに改訂がされていたのですが,それから長らく新版が出ませんでした。

私が弁護士登録をしたのが平成23年末,交通事故の被害者側の仕事をすることになったのが翌年の夏ですが,その頃にも『交通事故判例百選』は平成11年のやや古いものしかなかったため,長らく購入しませんでした。実際のところ,もう新しいのは出ないのかなとも思っていました。

 

そうしたところ,この度18年ぶりに新版が出ましたので,これはと思い購入したのです。

「はしがき」に,編者の新見育文教授が次のように書かれています。

「20世紀も終盤の頃には,交通事故損害賠償法全体に亘って,ほぼ準則が確立し,実務界のみならず,学界においても,交通事故損害賠償法は安定期に入ったと考えられるようになっていた。その意味では,第4版は,交通事故損害賠償法の集大成であるとも思われてきた。

しかしながら,交通環境の絶え間ない変化,被害の実態を把握する医学その他の科学技術の進歩のみならず,被害者を救済すべしとの要請による既存の準則に対する弛まざる挑戦は,こうした考えの甘さを露呈させた。」

 

交通事故賠償法においても,現在は大きな変革・転換の時を迎えているのです。

それにしても「はしがき」には,「医学その他の科学技術の進歩をカヴァーできているか?」,「被害者救済のため,既存の準則に対する弛まざる挑戦を諦めないでいるか?」など,思わずギクリとさせられることも多々あります。

新しい裁判例が非常に多く載せられているので,学生時代・受験時代を想い出し,しっかりとした学びを重ねたいと思います。

 

前回、最高裁の判例変更について述べましたが、法に関する営みの中で、「これでよいのか?」と問い直すべきときは少なからずあり、最高裁の場合、その問い直しの結果が時として、判例変更という形をとって世に現れるのだと思います。
前回お話しました強制わいせつの判例変更は、いわゆる性犯罪に対する社会の見方の変化を詳細に述べ、従来の判例は維持できないとまで言っていますから、かなり徹底した問い直しがその背後にはあったのではと推察されます。

交通事故の民事事件にあっても、確立した枠組みがある意味桎梏となり、具体的妥当性を損なっていると思われる場合があります。慰謝料、逸失利益などの計算方法は規格化されていますが、例外を積極的に認め、あるいは今や変更すべき点もあるでしょう。
大量に発生する現象のため、ある程度の規格化、画一化は必要ですが、具体的事案の妥当性や、社会の変化を忘れてはならないでしょう。

今、確立したように見える枠組みも、数多くの先人たちの努力、苦悩の末に作り出されたことに思いを致したいです。そうすることなく、無反省、機械的にその枠組みを利用するだけでは、深い考えもなくそれらの枠組みを完全否定するのと同様、先人たちに対して失礼だと思います。

大学時代に、行政法の教授が「これでよいのかと問い直すところに、学問は始まるのです。」と言われたのを覚えていますが、問い直しが必要なのは大学の先生に限りません。
ふと感じた疑問や違和感から目を背けず、とことん考え直してみることが、大きな変革をもたらすこともあります。そしてそのような態度こそが、従来のシステムを作り上げた先人たちに対する敬虔な態度でもあると思うのです。

本日,最高裁大法廷で,強制わいせつ罪(改正前の刑法176条)成立に、犯人の性的意図が必要かという論点についての判例変更がありました。

最高裁判例は従来,「強制わいせつ罪が成立するためには,その行為が犯人の性欲を刺戟興奮させまたは満足させるという性的意図のもとに行なわれることを要し,婦女を脅迫し裸にして撮影する行為であっても,これが専らその婦女に報復し,または,これを侮辱し,虐待する目的に出たときは,強要罪その他の罪を構成するのは格別,強制わいせつの罪は成立しないものというべきである」(最高裁昭和45年1月29日第一小法廷判決・刑集24巻1号1頁)として性的意図を必要とする解釈をとってきました。

 

しかしながら,このような見解に対しては学説に反対するものが少なからずあり,そのせいもあってか下級審の裁判例には性的意図不要説に立つものも散見されました。

そしてこの度最高裁は,成人男性である被告人が,1被害者が13歳未満の女子であることを知りながら,被害者に対し,被告人の男性器を触らせ,口にくわえさせ,被害者の陰部を触るなどのわいせつな行為をしたという事案において「自己の性欲を刺激興奮させ,満足させる意図はなく,金銭目的であったという被告人の弁解が排斥できず,被告人に性的意図があったと認定するには合理的な疑いが残るとした第1審判決の事実認定を是認した上で,客観的に被害者の性的自由を侵害する行為がなされ,行為者がその旨認識していれば,強制わいせつ罪が成立し,行為者の性的意図の有無は同罪の成立に影響を及ぼすものではないとして,昭和45年判例を現時点において維持するのは相当でないと説示し,」強制わいせつ罪の成立を認めた原判決(大阪高裁判決)を支持しました。

性的被害に関する犯罪についての国民の規範意識が変化してきた今,「強制わいせつ罪の成立要件の解釈をするに当たっては,犯罪の成否被害者の受けた性的な被害の有無やその内容,程度にこそ目を向けるべきであって,行為者の性的意図を同罪の成立要件とする昭和45年判例の解釈は,その正当性を支える実質的な根拠を見いだすことが一層難しくなっているといわざるを得ず,もはや維持し難い。」と,最高裁は判例変更の必要性を極めて強く述べています。15名の裁判官全員一致の意見であることも印象的です。

 

最高裁は近年,違憲判決も幾つか出しており,社会における法規範の変化が如実に読み取れるように思います。私のような弁護士を含む実務法曹は,最高裁判例を前提として仕事を進めるのが通常ですが,必ずしもこれを金科玉条とすることなく,法は動くもの(=われわれが動かしていくもの)であるということを忘れずに進んでゆきたいと思います。

 

 

これまで見てきましたように、最近の刑事判例では因果関係の存否につき、その結果が実行行為の射程範囲内といえるかということが問題にされているようです。行為の危険性が結果へと現実化したかということを重視しているという指摘もあります。

より最近の判例では、その表現がはっきりと用いられているものもあります。

最高裁平成22年10月26日決定(刑集64巻7号1019頁)は、航行中の航空機同士の異常接近事故について、便名を言い間違えて降下の管制指示をした実地訓練中の航空管制官及びこれを是正しなかった指導監督者である航空管制官の両名に業務上過失傷害罪が成立するとされた事例ですが、決定文中では「そうすると、本件ニアミスは、言い間違いによる本件降下指示の危険性が現実化したものであり、同指示と本件ニアミスとの間には因果関係があるというべきである。」という表現が用いられています。

 

この「行為の危険性が現実化したといえるか」という着眼点は、民事上の因果関係を考える上でも(そして、素因減額などの有無・程度を考える上でも)示唆に富むもののように思います。

 

 

 

前回お話しました平成2年の判例は、第三者の暴行によって、被害者の死亡がいくらか早まったとしても、死因そのものを被告人が作出しているという場合、被告人の実行行為と被害者死亡という結果の間には因果関係が認められるというものです。

その後、最高裁は、被告人が被害者の死因そのものを作出したとまではいえない場合でも、因果関係を認める判断をしています。
複数の犯人から執拗な暴行を受けた被告人が、逃走のため高速道路に入って轢死したケース、被告人によって車のトランクに監禁された被害者が、偶然の追突事故によって死亡したケースなどです。
このようなケースでは、いわば被告人の実行行為の射程範囲内といえる結果かということが判断の基準となっているように思われます。

因果関係の存否判断につき、前田雅英教授は、①実行行為の危険性の大小②介在事情の結果に対する寄与度の大小③介在事情の異常性の大小を総合考慮するとされています。
高速道路のケースにしてもトランク監禁のケースにしても、実行行為自体が人の生命身体に与える危険が極めて高いことに加え、その後の事態の流れが、実行行為に起因するものとして決して偶発的ないし異常とは評価できない点を重視すれば、因果関係は肯定できる事案と思われます。