法律が一般人の生活に縁遠いものであった理由には、近代以降の法律が欧米からの「輸入品」だったことに加えて、わが国に古くからある法意識もあるのではないかと私には思えます。
それは、書かれた(=建前の)ルールとは別に現実の(=本音の)ルールがあり、そのことをさして問題と思わないという意識です。
例えば、たいへん古い時代ですが、飛鳥時代から奈良時代にかけて、中国にならって律令というものが整備されました。その中では、全国の土地、人民はすべて国家のものであり、天皇がいわば絶対君主として政治をお執りになり、国家試験に合格した官僚たちがお輔け申し上げるというのが建前でした。
しかしながら、平安時代の摂関政治をみれば、到底その建前とは違う方向に進んだのはいうまでもありません。また、律で定められた刑罰としては、死刑はありますが、平安時代のほとんどの期間、朝廷では死刑を執行されることはありませんでした。
そして、武家時代となると、律令はほとんど形骸化していくのもいうまでもありません。
しかし、公式に律令が廃止されたのは、明治維新の時です。変質から1000年、形骸化から600年、書かれたルールとしては存在し続けたのでした。
また、江戸時代の刑法では、10両(今の感覚では100万円くらいでしょうか)以上の窃盗は斬首とされていたそうですが、それでは重すぎるという感覚があったようです。
それでは、幕府は法改正をするかといえばそうではなく、「9両9分しか証明できなかった」ということにして、死刑を回避していたということです。
このように、書かれたルールとかなり違う運用を行って、それをごく当然のことのように受け入れる感覚がかなり根付いているのが、わが国の法意識の根底部分といえるでしょう。
これは、決して悪いことばかりではなく、平安朝の事実上の死刑廃止や、江戸時代の窃盗犯人に対する処分のやり方など、その長所が遺憾なく発揮された例ともいえるでしょう。
ただ、現代においては、ややその短所の発現が目立つようにも思えます。例えば、近年よく聞く「ブラック企業」の問題も、憲法や法律に規定された勤労者の権利を、単なる建前のルールに過ぎないと軽視するような風土が、その背景にあるのではないでしょうか。
それは、書かれた(=建前の)ルールとは別に現実の(=本音の)ルールがあり、そのことをさして問題と思わないという意識です。
例えば、たいへん古い時代ですが、飛鳥時代から奈良時代にかけて、中国にならって律令というものが整備されました。その中では、全国の土地、人民はすべて国家のものであり、天皇がいわば絶対君主として政治をお執りになり、国家試験に合格した官僚たちがお輔け申し上げるというのが建前でした。
しかしながら、平安時代の摂関政治をみれば、到底その建前とは違う方向に進んだのはいうまでもありません。また、律で定められた刑罰としては、死刑はありますが、平安時代のほとんどの期間、朝廷では死刑を執行されることはありませんでした。
そして、武家時代となると、律令はほとんど形骸化していくのもいうまでもありません。
しかし、公式に律令が廃止されたのは、明治維新の時です。変質から1000年、形骸化から600年、書かれたルールとしては存在し続けたのでした。
また、江戸時代の刑法では、10両(今の感覚では100万円くらいでしょうか)以上の窃盗は斬首とされていたそうですが、それでは重すぎるという感覚があったようです。
それでは、幕府は法改正をするかといえばそうではなく、「9両9分しか証明できなかった」ということにして、死刑を回避していたということです。
このように、書かれたルールとかなり違う運用を行って、それをごく当然のことのように受け入れる感覚がかなり根付いているのが、わが国の法意識の根底部分といえるでしょう。
これは、決して悪いことばかりではなく、平安朝の事実上の死刑廃止や、江戸時代の窃盗犯人に対する処分のやり方など、その長所が遺憾なく発揮された例ともいえるでしょう。
ただ、現代においては、ややその短所の発現が目立つようにも思えます。例えば、近年よく聞く「ブラック企業」の問題も、憲法や法律に規定された勤労者の権利を、単なる建前のルールに過ぎないと軽視するような風土が、その背景にあるのではないでしょうか。