すごい逆説的で、矛盾っぽく聞こえるかもしれないけれども、いろんな人と出会って、いろんな人を観察してきたことを考察すると、
「楽しい!」とか「毎日最高!」だとか言っている人ほど、
実は自分の人生や仕事や生き様にしっかり向き合っていて何かを目指していて、イキイキしている反面、人から見えないところで悩んでいたりもする。
逆に、
毎日「つまらない」とか「だるい」とか、愚痴や不満を言っている人ほど、
実は自分の人生や未来から目を背けていて、一見悩んでいそうでも、ホントのホントの意味ではそんなに悩んでなかったりする。
僕らは、
何かを目指した瞬間、今まではなかった壁が目の前に突然現れる。
目指していないときは見えなかった壁が目指した瞬間に現れるのだ。
だから、
壁にぶち当たって、悩んだり、凹んだり、泣いたり、笑ったりするのは目標を目指してる証拠。
逆に、
愚痴ってのは、諦めの表れ。
諦めた瞬間、その壁は壁のまま目の前からは消える。乗り越えたのではなく消える。
目指す以上は壁からは逃げられない。
乗り越えよう。頑張る。
「この人とだったら幸せになれそう」
という人と結婚するんじゃなくて、
「この人とだったら不幸になっても楽しめそう」
という人と結婚したいですね^_^
良い時って、
究極、誰と居たって楽しいし幸せなんですよ。
でも長い人生、何をやってもうまくいかない時ってある。
そんなときに、それでも幸せだって言える人が本物のパートナーだと思うのだよね。
面白い。
アイデアメモ。
https://withnews.jp/article/f0151122002qq000000000000000W00o0401qq000012744A
わかった。
わかってしまった。
考え、考え抜いた結果、見えてきた。
なぜメッセージ(想いの主張)を発信する人は誤解されがちなのか。
その原因。
そこにはきっと相違がある。
発信側の主張(事実、現象、報告)と受取側の意味付け(拡大解釈)の相違。
もっと言えば、
事実を事実として捉えられるか。
はたまた、
そこに個人的な感情論をつけるかの相違。
そして、
その裏にあるのはコンプレックスや被害妄想や妬みだったりする。
例えば、
東大に受かりました(ただの事実報告)→東大に受かってすごいだろ(受取手の意味付け)→なにそれ、自慢?or東大以外は馬鹿だって言いたいの?(受取手の拡大解釈)→え、高卒の僕を否定してる?→嫌悪感
カップラーメンは体に悪いようだ(ただの事実報告)→食べている人はありえないって言いたいの?(受取手の拡大解釈)→え、普段食べてる私を否定してる?→嫌悪感
イタリアの高級レストランおいしかった(ただの感想)→なにそれ、金持ち自慢?(受取手の意味付け)→僕が行きたくてもいけないの知ってるよね?(受取手の拡大解釈)→嫌悪感
副業はしておいた方がリスク回避できると思う(ただの主張)→してない人はありえないって言いたいの?(受取手の拡大解釈)→え、してない私は否定されている?→嫌悪感
すべてのケースにおいて、
これが絶対正しいと言っているわけでもないし、自慢でもないし、悪気があって言っているわけでもないし、あなたに強要しているわけでもないし、君がダメだと言っているわけでもない。
発信者は、
自分の思う主張、報告、記録、事実を述べているだけ。
SNSってそもそもそういうものでしょう。
しかし、
そこに、発信者の気づかぬうちに受取手の一方的な感情が乗っかってきて、
意図しない意味が含まれてしまうことがあり、
意図せず誰かを傷つけている可能性があるんだなということを知った。
これってどっちが良い悪いとかなくて、
ほんと両者の歩み寄りだなって思った。
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単なる事実への意味付け。
これは人対人ではない日常生活にもよくあることで。
例えば、
雨が降っている(ただの現象)→えー、最悪(受取手の意味付け)
でも実際は、
雨が降っていることそのものに良いも悪いもない。
最悪だと思っているあなたがいるだけってこと。
農家にとっては水まかなくていいから最高かもしれないし、プールの授業をサボりたい小学生には嬉しいかもね(^^)
単なる事実に様々な解釈をつけているのは、
いつも自分だということを忘れてはならない。
自分の一方的な意味づけを、相手の主張とすり替えないように気をつけよう。
そう思ったら、
すべての発信者に対して尊重の意がもてる気がする。