私という人間~小学校時代~
1~2年
入学式を終え、「友達100人できるかな」がエンドレスリピートで頭に流れているぐらいの大きな期待を胸に初登校。がしかし同じ登校班である後ろの家の5年生にいきなりいじめられる。第一声が「川に飛び込め」だった。現実はそうは甘くはない。その日からそいつが卒業するまでの2年間を自分の中でカウントダウンする日々。一日の始まりが一番憂鬱な時間だった。そんな感じでオレの小学校時代の思い出は暗く淀んだところから始まる。
しかし、オレは良くも悪くもそれで泣き寝入りするような人間ではなかった。同じクラスの女の子を下校時にいじめる。ただの八つ当たりからくる弱い者いじめだ。相手の親からの連絡により発覚し親にしかられその行為はやめるにいたる。「弱きを助け強きをくじく」親父に言われた言葉だった気がする。その間ももちろんオレに対するいじめはやむことなかった。しょせんガキの悪ふざけだがオレからすれば大問題だ。家族も悩ませた。それ以来オレは何度か後ろの家の奴と対決したらしい。泣きながら殴りかかった記憶はあるが結果は覚えていない。
暗い思い出なのは登下校中だけで、それ以外はほぼ順調だったけどね。先生にも恵まれ、高学年の女子にはかわいがられ、運動も勉強も一番だった。そこで自分を保っていれたからちゃんと学校に通えた気もする。
小学校6年間を通してやっていたことがある。肥満対策2として親が選んだレスリングだ。浜口京子とかのアレ。6年間で3~4回くらい全国チャンプになった。もしかしたら才能があったのかもしれないが、高学年になり股間のもっこりが恥ずかしいことに気づき小学校いっぱいで辞めることを堅く決意。後日談だが、高校進学の進路検討期に某私立高校からスカウトされたぐらいだから、続けていたらアテネにでてたかもね♪
3~4年
ついに目の上のたんこぶも卒業し、自分の中では晴れ晴れとした気持ちで新学期を迎える。しかし人生はそう甘くはなかった。新任の教師が担任になる。校内生活は自由奔放にやってきていたオレに別の障害が発生した。それは担任の教師だった。幼稚園時代、体罰教師に担任されたと書いたが、それは子供の目で見たイメージの世界だったと思う。小3~4のオレの担任は世間一般的に言う体罰教師だった。この2年間は軍隊のような生活だった。ふとしたことで急に豹変する担任。登校時から20KM程の速度で通り過ぎる担任の車に挨拶をしないと後で呼び出され殴られたり、登校時から下校時まで一歩も教室の外に出れなかったこともある。時には理不尽な体罰も受けた。常に担任の顔色をうかがう生活が2年続いた。こいつから学んだことがひとつある。あるとき何かくだらないことで担任がキレた。何人かが立たされオレもそのなかにいた。ひとりひとりが殴られる。みんな泣いていた。でもそのなかで何度殴られても凛とした顔で泣かない女の子がいた。最後に担任はその子をロッカーに叩きつけた。それでも泣かないその子を見て泣いている自分が恥ずかしくなりそれ以来泣かなくなった。その後も担任は相変わらすだったがオレの中でひとつの結論ができた。正しいことは正しい、理不尽に殴られて泣いて許しを乞うより、理不尽さを泣かずに訴えようと。いや~でもかなりきつい2年間だったよ。
この後日談、俺たちの次に担任したクラスで同じことをやったそいつは一回目の体罰でそれをされた子の親の通報によりあっさり教育委員会からのお達しを受けてどっかいっちゃったけどね(笑)
入学式を終え、「友達100人できるかな」がエンドレスリピートで頭に流れているぐらいの大きな期待を胸に初登校。がしかし同じ登校班である後ろの家の5年生にいきなりいじめられる。第一声が「川に飛び込め」だった。現実はそうは甘くはない。その日からそいつが卒業するまでの2年間を自分の中でカウントダウンする日々。一日の始まりが一番憂鬱な時間だった。そんな感じでオレの小学校時代の思い出は暗く淀んだところから始まる。
しかし、オレは良くも悪くもそれで泣き寝入りするような人間ではなかった。同じクラスの女の子を下校時にいじめる。ただの八つ当たりからくる弱い者いじめだ。相手の親からの連絡により発覚し親にしかられその行為はやめるにいたる。「弱きを助け強きをくじく」親父に言われた言葉だった気がする。その間ももちろんオレに対するいじめはやむことなかった。しょせんガキの悪ふざけだがオレからすれば大問題だ。家族も悩ませた。それ以来オレは何度か後ろの家の奴と対決したらしい。泣きながら殴りかかった記憶はあるが結果は覚えていない。
暗い思い出なのは登下校中だけで、それ以外はほぼ順調だったけどね。先生にも恵まれ、高学年の女子にはかわいがられ、運動も勉強も一番だった。そこで自分を保っていれたからちゃんと学校に通えた気もする。
小学校6年間を通してやっていたことがある。肥満対策2として親が選んだレスリングだ。浜口京子とかのアレ。6年間で3~4回くらい全国チャンプになった。もしかしたら才能があったのかもしれないが、高学年になり股間のもっこりが恥ずかしいことに気づき小学校いっぱいで辞めることを堅く決意。後日談だが、高校進学の進路検討期に某私立高校からスカウトされたぐらいだから、続けていたらアテネにでてたかもね♪
3~4年
ついに目の上のたんこぶも卒業し、自分の中では晴れ晴れとした気持ちで新学期を迎える。しかし人生はそう甘くはなかった。新任の教師が担任になる。校内生活は自由奔放にやってきていたオレに別の障害が発生した。それは担任の教師だった。幼稚園時代、体罰教師に担任されたと書いたが、それは子供の目で見たイメージの世界だったと思う。小3~4のオレの担任は世間一般的に言う体罰教師だった。この2年間は軍隊のような生活だった。ふとしたことで急に豹変する担任。登校時から20KM程の速度で通り過ぎる担任の車に挨拶をしないと後で呼び出され殴られたり、登校時から下校時まで一歩も教室の外に出れなかったこともある。時には理不尽な体罰も受けた。常に担任の顔色をうかがう生活が2年続いた。こいつから学んだことがひとつある。あるとき何かくだらないことで担任がキレた。何人かが立たされオレもそのなかにいた。ひとりひとりが殴られる。みんな泣いていた。でもそのなかで何度殴られても凛とした顔で泣かない女の子がいた。最後に担任はその子をロッカーに叩きつけた。それでも泣かないその子を見て泣いている自分が恥ずかしくなりそれ以来泣かなくなった。その後も担任は相変わらすだったがオレの中でひとつの結論ができた。正しいことは正しい、理不尽に殴られて泣いて許しを乞うより、理不尽さを泣かずに訴えようと。いや~でもかなりきつい2年間だったよ。
この後日談、俺たちの次に担任したクラスで同じことをやったそいつは一回目の体罰でそれをされた子の親の通報によりあっさり教育委員会からのお達しを受けてどっかいっちゃったけどね(笑)