私が昨今、自然界・有機生命体の非線形的振る舞いを建築秩序として採用しようとすることも、それをアルゴリズミックな創作プロセスとして提示しようと模索することも、それらは何も己の趣味趣向などではなく、自身の好き嫌いを超えたところでの新しい建築ヴィジョン(現代建築)を発見しなければならぬという使命に由来しているからに他なりません。因みに私自身は、非線形秩序も、アルゴリズムも、その根は実はとても古きものに根付いていることを始終言明しています。一見それは新しい顔つきをしていますが、実のところそうではなくてその背景にある本質は「古(いにしえ)からある東洋の摂理」に酷似しているのです。ですから今、それによって西洋主知主義(近代建築)を相対化できるのではないかと私は信じています。
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夜道の「街灯」の下で探し物をする男の話があります。通りがかった人が「あなたはこの街灯の下で落とし物をしたのですか?」と尋ねるのに対し、「いいえ、そうではないですが街灯の下なら明るくて探しやすいと思ったもので・・・・」と答えます。この「明るいので探しやすい街灯」こそ、私たちが知らず知らずのうちに前提にしてしまっている西欧主知主義(近代建築)と考えればよいのです。嬉しいことに、そこ「街灯」が未だ照らすことのなかった暗闇にこそ、実は私たち東洋人が、かつて所持していた叡智(龍樹・般若心経・道元)が隠されていると容易に想像できます。だからこそ「近代建築その後」に私たち東洋人の出番があるに違いないと奮起するところです。
『GA_JAPAN_132』(文章=前田紀貞)