写真を撮るにあたっての主題 | 空・色・祭(tko_wtnbの日記)
審美化されて然るべき概念とは一体なんであるのかということを考えるのであれば、以前の記事に書いた通りです。

カントが『判断力批判』において述べるように、純粋な美は善と相触れ合うものでないにせよ、善を教化するための道具として使われてきたというならば、私はその系譜にのっとって写真を撮りたいと考えています。

そこでの主題は敢えて飛躍しますが、谷崎潤一郎が「陰翳礼讃」というもの、あるいは磯崎新が「闇の一元論」というもの、川端文学の人の情を寄せ付けいほど清潔な小説、枯山水の様相、「桜の花びらが刹那的に散る」といった美質が物語るもの、それらがそれとなく物語るところの善を主題としたいと考えています。(それは仏教の影響を多分に受けたもの)

そうであるから、京都に行き枯山水を撮るというわけではなく、あるいは晩春まで待って桜が散るのを撮ろうというわけではなく、それらが意味するところのものと概ね同一の概念を主題としたいということです。

その抽象的な主題の具象化された被写体を撮りたいと考えています。