空海(弘法大師)が42歳厄年の弘仁6年(8

15年)に四国霊場を開創したと言われている。

その後、弘法大師の弟子たちが遍路を辿ったのが

四国遍路の始まりである。

 高月の四国霊場八十八ケ所の観音像の趣旨は詳

しくは記録がないが、高月部落の人と四国高野山

奥の院から派遣された僧侶との間に何らかの交流

があったのではないかと思われる。四国霊場と関

係があった出羽の国、秋田の住職海野勝三郎と言

う僧侶が薩摩(鹿児島)へ行く途中、高月の田上

家の先祖辰治さん宅に立ち寄り2泊された。その

折り「弘法大師宝亀和讃」と言う、お経の写しを

残され、弘法大師の信仰を勧められたと言う。そ

の後、田上辰治さんたちの手によって八十八ケ所

の石像が作られ、海野僧侶が入魂し(石像に魂を

入れ観音像になる)明治24年(1891年)7

月に部落中に観音像は建立されたと伝えられてい

る。

 以来高月の人々の素朴さから弘法大師の信仰は

益々厚くなり部落をあげての信仰となった。5ケ

所にお堂が建てられ2~5体の観音像が合祀され

ている。

 毎年3月21日と7月21日の年2回祭礼の日

として参拝者に「おもてなし」のお菓子やおにぎ

り等の接待が行われる。戦前は四国霊場は遠方の

ため、四国までなかなか行けない近郷の参拝者が

数多く来たと言われているが、戦後は人々の信仰

心も薄れ、最近は参拝者も絶無の状態である。

 しかし、部落の人々は信仰心が今なお厚く道端

の観音像には供花が絶えないところもある。現在

部落民の総意によって参拝に不便な所は便利な場

所に移設された観音像もある。

 観音像は台座に据えられ、右側に番号が中央に

仏像名が刻印されている。しかし、長年の風雪に

よって台座が崩れたり欠損し、仏像名や番号が不

明なものもある。村中の牛馬繁盛・家内安全や幸

せを祈って観音像は合祀されたことから、かつて

のように近郷の巡礼の人は見られないが、村の人

によって大切に保存されている。参拝の際に観音

像に触れてはいけない。

 観音像が建立されてから100年以上の歴史が

ある。これは高月の人々にとって貴重なレガシー

(遺産)である。四国霊場へ行くことがなかなか

できない人にとって高月の観音像の巡礼は健康と

幸せのために良いのではないか。歩いてしか行け

ない観音像もあるので部落の人に聞いて巡礼する

のもいいかもしれない。