癌ばれば愛

癌ばれば愛

2014年、大腸に癌が見つかりました。
手術しましたが、2016年に転移していることがわかりました。
治療の様子を書いていきたいと思います。

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ROAD&SKY-SHOGO HAMADA Official Fan Club Presents
100% FAN FUN FAN 2018
゛Journery of Songwrter゛ since1975
Welcome back to The 70’
゛君が人生の時~Times of Your Life゛
 
11月11日 東京国際フォーラムホールA  LIVEレポート
 
 
その曲を、
生で、LIVEで聴く、
それはあり得ない、
まず無理、
ずっとそう思ってました。
だけど、今回のFFF
70年代に書いた曲・・・
書いた曲
その曲もアルバムに入ったのは80年代だけど、
書いたのは70年代、
ということは・・・
期待を高めてこの日に臨みました。
 
会場入り口、チケットを発券して驚いたのが、
1階 L2扉 4列 19番
これって・・・
まさか・・・
前から4番目の席ってこと?
そのまさかでした。
ステージがすぐ近く。
少し左側でしたが、
いわゆる古村さん側、
それも含めて最高の席でした。
 
場内はアルバム「 The Moonlight Cats Radio Show」の曲が流れてました。
そして、ほぼ定刻通り、「とらわれの貧しい心で」のメロディで、省吾が現れました。
省吾1人で。
ステージ中央にギターが3つ並べてありました。
椅子の前と両横に。
その椅子に省吾が座って、
軽快なトークから、
今日は来てくれてありがとう、とか、
国際フォーラムは日本で一番大きなコンサートホールで、
2階席まで遠いとか、
遠くても想いが届くように一生懸命歌う、とか、
SONG WRIGHTERとして、書いてるけどあくまでもその曲の主人公はオレじゃない、とか・・・
 
まず1曲目は
『生まれたところを遠く離れて』
省吾のギターとハーモニカとそして何よりの歌
なんと贅沢なんでしょうか。
 
この曲の主人公はあくまでも省吾じゃない、
親父も家を買って最後の何年かはそこで過ごしていた、
と歌い終わってから改めて省吾が強調していました。
 
「お前にゃ どうせ わかるまい」を
「奴らにゃ ・・・」と歌っていたのが印象的でした。
 
 
当時の省吾は
♪ウォウウォ イェイイェ歌ってた
と2曲目は
『あの頃の僕』
 
自転車のカゴにラジオ載せて、FEN聞きながら40分くらいかけて米軍基地まで行ってたと
3曲目
『いつか もうすぐ』
 
「みんなで一緒に歌おうぜ!コーナー」の
4曲目
『19のままさ』
 
ステージ後方のスクリーンに歌詞も出ました。
だけど、途中から歌詞が少し遅れてました。
あれは、省吾が歌うのが早かった?
 
そして・・・そして、
ずっと聴きたかった曲、
『遠くへ-1973年、春、20才-』
この曲を聴いてボクは省吾゛ファン゛になりました。
思ったよりも早いこの曲に内心戸惑いもしましたが、
目の当たりで聴くことができて大感激でした。
 
♪星がひとつ 空から降りてきて あなたの道を照らすのよと
 話してくれた きっとそうだね いつまでたっても 石ころじゃないさ♪
のところ、
は省吾の歌声だけで、
だからその想いが尚更伝わってきて、胸の奥まで沁みてくるものがありました。
 
♪赤いヘルメット
なんて今どきの人に言うと゛カープ女子゛だと思われそう、
と言いつつ
野球の話はしません!
だけど、
3年連続(セ・リーグ優勝)だから!
丸(選手)は出ていくみたい!
しかも、ジャイアンツに!
とか、言ってました。
 
省吾の右側にイスが用意されてその前と両横にギターが3つ並べられて、
省吾が呼び込んで町支さん登場!
 
となんとなくでも憶えているのはここまでです。
 
省吾はやたら町支さんを褒めていました。
とにかく女性にはモテていたそうで、
そのことを特に強調していました。
町支さんと2人での演奏旅行は、辛い環境だったけど、楽しかった、
音楽が好きだから、とか、
温厚な町支さんですが、物凄い負けず嫌いでトランプして、町支さんが勝つまで寝かせてくれなかった、とか、
 
愛奴のメンバー5人で2Kの部屋に住んでいて、
バンドのために書いた曲で、
こういう曲ができた、
と言ったら、高橋くん(現ROAD&SKY社長)に
『朝からごきげんだね』と言われて、そのまま曲名になった曲とか、
 
省吾にしては珍しい(?)ストレートなラブソングの『君に会うまでは』とか、
 
聴いているとその想いが伝わってきて哀しいくらい切なくなっちゃう『君の微笑』とか、
 
それがどの曲だったか定かじゃないですが、
曲が始まってすぐ、
ハーモニカが違う!と省吾がやめてしまった曲がありました。
省吾も町支さんもギターは3つで、その他に省吾はハーモニカが2つか3つでした。
 
1部最後の曲は
2回目の「みんなで一緒に歌おうぜ!コーナー」
盛り上がらなかったら、2部はありません!
と省吾が言わなくてもきっと盛り上がったと思う
『路地裏の少年』
この曲でもステージ後方のスクリーンに歌詞が出てました。
 
15分くらいの休憩をとります、
と言って省吾がステージを去っていきました。
ステージ上にはアルバム『愛奴』のジャケットが映し出されて、
Moonlight Radio Show
DJ・SHOGOから愛奴の曲
『AIDOのテーマ』『夢にいざなえ』『初夏の頃』『恋の西武新宿線』『二人の夏』
(曲順はもうわかりませんが、『AIDOのテーマ』が1曲目だったような・・・)
 
 
2部、
もう何が何だか・・・憶えていません、
 
省吾とメンバーがステージに、
場内、立ち上がって、
 
2013年のFAN FUN FANで聴いて以来好きになった
『雨の日のささやき』
 
『恋に気づいて』では、
♪走り出すバスの窓 たたいて
で右手で大きくたたく仕草
 
♪横顔の感じでわかるの
の少し前から客席にその横顔を見せてた省吾
 
あと、華麗なターンも何度も見せていました。
 
隠れた名曲の
『悲しみ深すぎて』
 
『LOVE TRAIN』では、
♪LOVE TRAIN
のところで一歩下がって、両手を大きく挙げて、客席に、歌ってと煽る省吾
 
レコーディングして以来歌ったことがない、
「こうません」じゃないです、
は、
『干午線』
 
 
『4年目の秋』
♪今日は何を着て行こうかしら
♪でも 迷うほど ハンガーケースの中 
♪でも 寂しさ 投げ出せるような 
を女性ボーカリストが歌ったので、臨場感がありました。
 
若い頃はツアーに出ると毎晩、飲み歩いていて、
ロックンローラーは朝日が昇るまでホテルに戻らない!
と言っていた時代の曲
『ミス・ロンリーハート』
 
「夫婦で来ている人?」と省吾が聞いてきて、この流れって『星の指輪』?でも・・・
この曲をセットリストに入れようか、悩んでいた頃、リハーサルでやって町支さんから「破壊力抜群」と言われた、
26才のときに作った曲で当時は尖がっていたから、他の人が作らないようなラブソングを作ってやろう、
とこういう曲になってしまった、
ホーンセッションのアレンジを任せたら、
「この悲しい曲、ボクが担当なんですか?」と清岡くんに言われた、
゛悲しい曲゛なんです、
は思った通り
『いつわりの日々』
 
その前の曲までは座って聴いていた(どこから座ったのかは憶えてません)けど、ここで立ち上がった
『風を感じて』
♪OH!YEAH!!
で右手を突き上げました、
けど、少しタイミングがずれちゃった?
 
この日のセットリストでは、唯一アルバム『Illumination』からの
『涙あふれて』
 
まさにその曲名通りのこの日のボクの気分は
『今夜はごきげん』
 
若かった省吾の葛藤が痛いほど伝わってくる
『青春のヴィジョン』
 
 
2001年のツアーのあとにイベンターさん達がお金を出し合ってギターをプレゼントしてくれた、
あまり弾いてなくて飾り物になっていた、
ある時弾いてみたらすごくよかった、
なので、次の曲はメンバー全員アコースティックで、
の曲がなんだったか・・・
その曲では、小田原さんはシェーカー、古村さんはマンドリン、佐々木さんはトランペット、
太郎さんは・・・残念ながらお休みでした。
 
本編最後の曲は
『君が人生の時...』
圧巻の歌と演奏で大満足の内容ですが、
でも、まだまだ。
 
『Good Night Angel』
当然のことながら新しく出たシングルバージョンのアレンジ、
バンド全員の渾身の演奏に圧倒されました。
 
曲が終わり、省吾もメンバーもステージを去っていく、
場内の熱い想いが伝わってまた、ステージに、
 
ボクらオーディエンスの気持ちを代弁するかのような曲、
『行かないで』
ずっとずっと、このままいて欲しいけど、そうもいかない。
曲が終わり、省吾が
ミュージシャンに大きな拍手を!
で、メンバーがステージを去って行く。
 
1人残った省吾がギター抱えて、
「みんなで一緒に歌おうぜ!コーナー」と言うから、
あの曲かこの曲か・・・と思ったら、
『ラスト・ダンス』
ステージ後方に歌詞は出なくても、ずっと大合唱の場内でした。
 
ステージが終わって時計を見ると20時15分、
途中15分の休憩があったから正味3時間のステージでした。
全25曲、もう言うことないくらい大満足でした。
 
今回の内容は1年前のFFFの時に考えて、
ここ国際フォーラムで舞台監督?の方に客席の一番後ろに座って聴いてもらって大丈夫か決めたそうです。
 
この流れで行くと次は80年代だね、
80年代は7枚くらい出してるからPart1とPart2に分けないと、
でも、半年くらい考えさせて、
と省吾が言ってましたから、半年後にはまた嬉しい知らせが届くかも。
 
この日も何回か、
省吾が、町支さんが、ステージの端まで来てくれることがありました。
ステージの右端まで来たとき、
それはボクの席のほぼ正面でした。
こんな近くに省吾が~
と感激しまくりでした。
 
古村さんは・・・
いつもの゛放し飼い゛?では、なくずっと所定の位置での演奏でした。
それとこの日の古村さんの衣装は、割とフツー?
いつものそれで街中、歩かないでしょう!?
というようなものではなくて、
家族と食事に行ってもおかしくないような感じでした。
ある意味面白みがなかったような・・・
 
メンバー紹介の時に
福田さん、小田原さん、町支さん、佐々木さん、太郎さんは、
近くにいたので、それぞれの方の名前を省吾が呼ぶときに、古村さんがその動作で盛り上げてました。
 
どの曲だったか、
佐々木さんと太郎さんは、曲の中で演奏をしていないときは、
楽器ごと体を大きく使ってDANCE!DANCE!DANCE!
同じホーンセッションですぐ隣にいた古村さんはやってませんでした。
 
1部のまだ省吾1人の時だったと思いますが、
ノーベル賞、芥川賞について触れて、
若い頃からハマ゛賞゛って呼んでもらっているから、
あれってそういう意味でしょう!
 
そういう意味です!
 
 
70年代はお客さんがあまり入ってなくて、
新潟県民会館の2階席にカーテンがかかっていて、
あの向こうはどうなっているんだろう、
ってずっと思っていたら、ある時から、カーテンが空いていて、そこにお客さんがいた、
なんて話もしてました。
 
ファンクラブの会報の゛Shogoraph゛のコーナーの話からドラムの話になって、
そこから愛奴のレコーディングした時の話、
省吾のドラムはかなりひどかった、
それをエンジニアの吉野金次さんがそれなりのものに仕上げてくれた、
みたいな話もしてました。
 
魔のLOVE TRAIN物語
ツアー中、次の街に行くため駅に行くと、
おっかない方々がスーツ着てずらっと並んでいて、
中には若い人は特攻服姿の人もいて、
そこに省吾の追っかけの若い女の子が来て、
怖いもの知らずで、
特攻服の人から
「なんじゃ?」と聞かれ、
「おじさん、知らないの?浜田省吾だよ!」
と答えるのをみて、やめて~っと思っていた、
電車に乗ったら、全員で寝たふりした、
そんなことを『LOVE TRAIN』歌っていたら思い出したそうです。<
 
1部の最初の頃だと思いますが、
『DOWN BY THE MAINSTREET』っていうアルバム持ってる?
の省吾の問いかけに微妙な反応・拍手、
すかさず省吾は、
持ってるけどずっとほこり、被っているっていう反応だね、
 
この日も古村さんは
いかしたサックスソロ、
たぶん、ティナーでもソプラノでも、
いっぱいかましてくれたはずなんですが、
それがどこでだったか、どの曲だったか、
憶えてません。
それは太郎さんのトロンボーンソロについても同じなんですが。
とにかく楽しかった、と。
 
LIVE前は、<
あの曲歌ってくれるかな、
この曲はどうだろう・・・
とずっと想像して楽しんでました。
それが現実に変わって今は余韻を楽しんでます。
どれだけ言葉を費やしても表せないほどの感動を胸に。
 
では、失礼しました。