渡辺和子の「置かれた場所で咲きなさい」という言葉があります。

半分は共感できます。半分は共感しかねます。

その言葉を私は、置かれた場所、すなわち、自分の今の居場所を受け入れて、そこで活躍しなさいという意味で理解しています。

その場所が、その人にとって受け入れ難いものであるならば、「そこで咲け」とは言えないのではないでしょうか。

ならば、その場所から移動すべき力が必要となります。他者から支援を受けても良いと思います。

その力を身につけることが小中高などでの学習活動ではないのではと考えます。

学校の存在価値が問われる昨今、私は学校の価値を再考する機会が多くあります。

その中での一つの答えが、

「人は人の中で人となる」のだから、ある一定の期間に学校に同年齢の集団が共に学んでいく。そして、「自分の場所を見つけたり移動したりする力を身につける」べく学んでいくのではないか。

ということです。

 

 

 

 「置かれた場所で咲きなさい。

 

 

 

  さもなければ、そこから移動する力を身に付けなさい。

 

 

 そのために学びなさい。」