浮世絵師・岩佐又兵衛の菩提寺福井興宗寺前住職北條紘文様から『荒木村重は卑怯者ではなかった』の感想を以下のとおりいただきました。
村重は「人道に目覚めた戦国武将」、又兵衛は「怨念を芸術に昇華した絵師」である。
また、2025年4月26日 福井新聞は、「菩提寺の興宗寺は浮世絵の祖と呼ばれる福井ゆかりの江戸時代初期の絵師・岩佐又兵衛の再評価を願い、菩提寺の興宗寺(福井市松本3丁目)が20日、又兵衛と父の荒木村重を研究した書籍『荒木村重は卑怯者ではなかった』60冊を県に贈呈した。」と掲載したことの情報提供もいただきました。
以下に参考として
浮世絵師・岩佐又兵衛と興宗寺について、福井市設置の解説板および興宗寺に伝わる史料をもとに略記します。
江戸時代初期の絵師・岩佐又兵衛(いわさ またべえ)は、「浮世又兵衛」とも呼ばれ、後の浮世絵に大きな影響を与えた人物です。実は彼は、かつて織田信長に仕えていた荒木村重の子でした。
村重は信長に反逆、一族の多くは殺されましたが、幼い又兵衛は乳母に救われ、石山本願寺に匿われて成長します。
40歳頃、本願寺の僧・興宗寺第十世 心願(しんがん)にその画才を見出され、以後20年以上、福井で家族とともに暮らし、数々の作品を残します。
60歳のとき、幕府に招かれ江戸へ。活躍ののち、73歳で江戸にて死去。遺言により、彼の遺骨は福井の興宗寺に納められ、同寺が岩佐家の菩提寺となりました。子孫の墓も同寺にあります。
当初の墓は現在の福井市宝永小学校の敷地にありましたが、1987年の校舎改築に伴い、興宗寺の境内に移されています。その際、「荒木」と記された越前焼の壺が発見されました。これは、信長に背いた父・荒木村重の姓であり、又兵衛の出自を物語っています。「岩佐」は、母方または乳母の姓とされています。
ご参照
