私が普段行っている「動作分析」とは、寝返る・起き上がる・座る・立ち上がる・立っている・歩く…などの「基本的動作」と言われる動きを観察し、動きができない場合はどうすればできるようになるのかを考える作業をいいます。
ADL評価というのも、食事や排せつ・更衣など、日常的に行われる生活動作がどのように行われているのか調べて、できていない場合はどうすればできるようになるのかを考える作業をいうのだと思います。
動作分析やADL評価に限らず、「分析・評価」というものには必ず分析者・評価者の「想い」が込められるべきだと思います。
分析や評価のテクニックは当然必要ですが、それがあったとしても「想い」がない分析・評価は、単なる「観察」に過ぎないと思うのです。
「なぜそうなるのか」 「どうなってもらいたいのか」 「どうすればよいのか」 という視点がないと、私たちが患者様を分析・評価する「意味」がありません。
例えば、こんなケースがあった場合…
左側の腕・脚に強い麻痺があり、一人では身動きがとれない患者様がいたとします。退院後の生活は高齢で体力のない奥様と障害を持ったお子様の三人暮らしとなると仮定します。病棟では、「起き上がりはもちろん、座位もとれませんし、移乗は全介助です。すごく痛がりますし」と言われていて、相談員の方も「そんな状態じゃ奥様の介護は厳しいかな…ケアマネと調整してサービスを入れるにしても、施設入所も考えていかないと…」となったとします。そこで相談員の方が「病棟ではこう言われてますが、専門的に見てどうですか?」と問い合わせてきて、PTが診てみたところ、起き上がりはベッド柵をつかむ位置を変えれば自分でできて、座位保持も床に足がついて座面が平らなら可能で、移乗も麻痺していない脚に十分に体重が乗るように・麻痺している腕をつかまないように介助すれば軽い介助で痛がらずに可能で、さらにはかなりの介助量ではあるが歩行も可能で、歩行後は移乗や座位保持がしっかりするということがわかる
…なんてことになる可能性もあります。
「座っていることすらできない人」なのか、「一人で楽に座っていられるし、介助の仕方によっては歩くことができる人」なのかによって、退院までの看護・ケアの方向性は大きく変わってくるでしょうし、そうなれば退院後の生活・精神的な安定性・この方の人生にも少なからず影響があるはずです。
厳しい状況であるにもかかわらず「自宅で一緒に暮らしたい」というご家族と、「動きたいのに動けないんだよ」と涙ながらに訴える患者様の「想い」を、「無理です」で片付けたくない。
そんな私の「想い」が空回りしてしまうこともあり、そのたびに「想い」というモーターがあっても「技術」という歯車がないと、「治療」という仕事に結びつかないのを痛感しています…