優しさとは
他者評価であって自己評価ではないと前から思っている。
でもなぜか自分のことを優しいという人がいる。
同僚がマッチングアプリをやり始めて、私も久々にその世界観を覗いた。
そこにも、自分の性格を“優しい”と評価している人がいた。
優しい、とは、、、
自転車のチェーンが外れた。
今の自転車に変えてこれで2度目である。
1回目は犬と一緒に直した。
だから2回目、夜駅前で外れた時も、
自分で直せるであろうとため息をつき、
明るい光が差し込む場所に移動して自転車を止めた。
チェーンを触ってすぐに、
「お手伝いしましょうか?」とママチャリに乗っているパパがやってきた。
パパ!いいの?って思いつつも、
手が汚れちゃいますぅと返すと、
大丈夫です!と言いつつ小学生以来だからできるかなぁと呟く。
そこにお父さんどうしたの??と小学生3〜4年生の男の子が続いてやってきた。
チェーンを直すには、犬の手も借りたいほど細いところに指ぶっ込んでちょいちょいしないといけない。
それをみた男児が、俺の指なら入るかなぁという。
しかし物の数秒でパパは直してくれたのだ。
私はセブンイレブンでもらったお手拭きを、本当にちょうど1枚持っていた。
数時間前に捨てようとしていたお手拭き。
何かに使うかもしれないと思い直して鞄にしまったお手拭きを開けて差し出したら、
パパはいいですと遠慮するから、セブンイレブンのものなんで!!!と無理やり持たせた。
気をつけて帰ってくださいね!と最後の最後までお優しいお言葉をかけてもらい、私は胸がいっぱいになった。
ありがとうとすみませんしか私は言葉として発せられなかったけど、心では神のご加護をと呟いていた。
このいただいた優しさを、私も他の誰かに還元したいと思う。
こんなに胸が胸がいっぱいになったのは久々。
誰かのために足を止めて時間をかける、余裕のある人は素晴らしい。私もそんな人でありたいと心から思った。