歴史というものは、いったいなんのために勉強するのでしょうか?

 

野生動物たちは、自分たちの種が、

いったいどんな歴史を歩んできたのか、恐らく知りません。

 

つまり、今、この瞬間を生きているだけだったとしたら、

別に歴史を学ぶ必要性はないのだと思います。

 

でも、なぜ人間は歴史を勉強するのか。

その理由は、人間は愚かなので、

未来をまちがえないようにするためだと思うのです。

 

過去の選択のミスを反省し、

次も同じ過ちを犯さないために、

歴史を学ぶのでしょう。

 

極論で言えば、歴史の意味はそれだけで良いと思っています。

 

   ※

 

さて、歴史というものを考えてみるとき、

いちばん重要な視点があると思います。

 

それは、「自分がそのとき生きていたら、どうだったろう」と

想像してみる、という視点です。

その視点がなければ、歴史を過去に起きた現実として自分ごと化し、

今に活かすことができないと思うからです。

 

例えば、ドイツでヒトラーが政権をとったとき、

そのときの一般のドイツ国民は、どんな気持ちだったろう?

 

例えば、真珠湾攻撃の成功を新聞で読んだとき、

日本の一般市民は、どんな気持ちだったのだろう?

 

もちろん、すべては想像です。

でも、想像することが大事です。

 

そうして、一生懸命、当時の「そこに生きている自分」を思う。

あるいは、そこに生きている普通の人々を。

それが、教科書には載っていない、

自分にとって役に立つ本当の歴史だからです。

 

そして、そんなことを想像していると、

こんな共通性があるように感じるのです。

 

「別に何も考えていなかった」

 

まさか、後でそんなことになるとは、思ってもみなかった。

そんな無邪気な、罪のなき感覚こそが、

当時を生きる人々の気持ちだったのではないのでしょうか。

 

   ※

 

よく歴史には「ノーリターン・ポイント」というのがあると言います。

その時点を過ぎると、もう後に戻れなくなる

「運命の分かれ目」のようなポイントですね。

 

そして、その分かれ目は、あとから振り返ればよく見えるのですが、

そこをリアルタイムで走っているときには、

なかなか見つけにくいものなのだと思うのです。

 

でも、失敗しないためには、

「見つけられなかった」ではいけないわけですよね。

「見つけられなかった」を繰返していたのでは、

歴史という概念が存在していることすら、無意味になってしまう。

 

人間が愚かな歴史を何度も何度も繰り返してきたのは、

過去から何を学び、それをどう現在と未来に活かせば良いのか、

という方法を、未だに理解できていないからだと思います。

 

今を生きる我々には、過去の失敗から、

「運命の分かれ目を見極める」

という力を養う必要があると思うのです。

 

   ※

 

恐らくわかっておいた方が良いのは、いつの時代の人も、

実はいま、重要な運命の分かれ目にいるのに、

そのことに気づいてこられなかった、ということです。

 

そのときのリアルタイムの人々は、

みんな「ふつうに過ごしていた」だけで、

「別に何も考えていなかった」のだと想像するのです。

 

そしてそこに、とてもとても重要な欠落がある。

 

今、何気なく我々が歩いている道は、一見、一本道に見えます。

でも、よく見ると、左右に分かれた道が存在していて、

どの道を行くのがいいのか、というのを選択しているんです。

 

 

その現実に気づく必要がある。

よく見ると、自分のいる場所は、一本道ではない、

その現実に気付くと、

それまで視界に入っていなかったたくさんの道が

枝分かれして存在している、という光景が見えてくる。

 

そういう感受性を持てば、今を注意深く観察して、

「待てよ?過去にもこんなことがあったぞ?」

という発見をすることができるようになるのです。

 

この感覚、イメージできるでしょうか。

 

   ※

 

今の自分と比べて欲しいのです。

「ふつうに過ごしている」こと。

「別に何も考えていない」こと。

端的に言ってしまえば、この姿勢が

「運命の分かれ目のポイント」を見失う要因です。

 

もちろん、いつもいつも、神経を尖らせていなければならない、

とまでは、私も思いません。

 

ただ、時代の流れの中から何かの匂いを嗅ぎ取って、

「今は、ちゃんと見ておかないとマズそうだな」

という意識は持つべきだと思っています。

 

で、そんな感覚を持って、まさに、今を見て欲しいんですよね。

いま、何が起きているのか。

国会で何が起きているのか。

この国で、何が起きているのか。

 

この国はいま、確実に、かつていちど通った、

「誤った道」を再び歩いています。

歩き始めたのではなく、もうかなりしっかり歩いています。

 

そのことが、見えているか、どうかが重要です。

 

いま、日本は、確実に、歴史上のターニングポイントにあります。
(もう過ぎてしまった可能性もあるのですが・・・)

いまを生きるすべての日本人がそれに関係し、その影響を受けます。

 

それは、生きる、死ぬという、命の問題に

直接かかわっています。

 

過去、この国の国民たちが、国の誤った策によって、

いったいどれほど死んでいったか。
それは目を背けてはいけない、現実です。

この国というのは、国民から見たら、「前科者」なのです。

 

そういう視点でものごとを捉えてみて下さい。

 

そして、今を生きる我々は、

過去に死んでいった日本人を、

ただ過去の哀れな人だと思っていませんか?

 

明日、自分が同じ運命になるかも知れないのに。

 

このままでは、そう遠くない未来に、

今の日本は教科書に載るでしょう。

どんなふうに載ることになるのか、が問題です。

誰が未来の我々から糾弾されるのか。
 

想像してみてください。
 

   ※

 

最後に、すべての人に、お願いしたいです。

 

「今だけは、脱・無関心で」と。