皆さんは、我々の国「日本」を、美しいと思いますか?
私はもちろん、美しいと思っています。
日本の山河はとても美しく、
世界中に数多ある美しい場所にまったく引けを取りません。
それに、その自然環境と調和した人々の生き方は
尊ぶべき健気な文化を育んできたと思っています。
そう言う意味で、私はこの国を美しいと思っています。
また、日本人、あるいは東洋の思想の中に流れる
本質を見極める目や自然を恐れ敬う心は、
これからの人類にスタンダードになるべきものと考えます。
私はこの国が大好きだし、この国に生まれて良かったと思っています。
※
さて、我が国の総理大臣である安倍晋三は、
ことあるごとに、この国のことを「美しい日本」と呼びます。
「美しい日本を取り戻そう」と声を挙げています。
日本が美しいということに異議はないものの、
彼の言っている「失われた美しい日本」とは、
いったい何を指しているのでしょうか?
「戦後レジームからの脱却」とか、「道義国歌」とか、
やたらとそういう「否定するまでもないけれど、何を指しているのか、
はっきりとわからない言葉」が政治家たちの口から踊っていますよね。
賛成するにも、反対するにも、
彼らが言っていることの中身はなんなのか、
はっきりと知った上で判断したいものです。
今日は安倍晋三の言う「美しい国」とはなんなのか、を
観ていきたいと思います。
※
まず、安倍晋三の言う「美しい国」という言葉が、
「憲法改正」の問題とワンセットで語られることに、注目しましょう。
ここからわかることは、彼らは憲法が改正された後の世の中を、
「美しさが取り戻された日本」であると判断しているわけです。
では、彼らは現行の平和憲法から、どんな憲法に改正したいのでしょうか。
是非、ご自分で自民党の改憲草案をご覧頂きたいのですが、
その答えは自明で、「明治憲法回帰」です。
天皇を象徴から国家元首に戻し、国民の基本的人権を排して
国民ではなく、国家が主体となって動く国にしたいのです。
国が右を向け、と言ったら、国民がみんなそろって、右を向く。
そういう国が、安倍晋三が求める「美しさ」なのです。
教育勅語の問題でよく出てくるようになった「道義国家」というのも、
何に対して道義的であるか、というと、
国に対して国民が道義的である、ということを要求しています。
安倍晋三が目指している「美しい日本」とは、
戦前の、民主化される前の日本のことなのです。
※
安倍晋三はよく「美しい日本」という言葉で、
天皇をトップに頂いて国民がなんでも言うことを聞く体制が
この国の長い伝統であり、それこそが日本の本来の姿であるかのように
我々に訴えかけてきます。
そこで、日本と天皇の実質的な支配の歴史について
わかりやすくまとめてみました。
表を見ながら読んで下さい。
まず、天皇の歴史ですが、日本書紀に書かれた
初代天皇である神武天皇が即位したとされるのが、
紀元前660年で、そうなると今年は2017年ですから、
天皇の歴史はもう2677年にもなる、ということですね。
しかし、重要なことがあります。
この紀元前660年というのは日本書紀の既述から類推したものであり、
しかもそれを定めたのは明治に入ってからなのです。
ここ忘れないでください。
明治に入ってからです。
それと、また重要なのは、神武天皇は実在したとは考えられてはいないのです。
なぜなら、神武天皇は日本書紀では127歳まで、古事記では137歳まで、
生きていたとされているからです。
その他にも初期の頃の天皇は生存の年数が怪しいものが多いです。
例えば、
第五代・孝昭天皇、114歳
第六代・孝安天皇、137歳
第七代・孝霊天皇、128歳
第八代・孝元天皇、116歳
第九代・開化天皇、111歳
第十代・崇神天皇、119歳
第十一代・垂仁天皇、139歳
第十二代・景行天皇、147歳
第十三代・成務天皇、107歳
第十五代・応神天皇、111歳
第十六代・仁徳天皇、143歳
こんなの、考えられます?
こんなこと、大真面目で言っていたら、普通、笑いますよね。
まぁ、そういうことです。
天皇のご先祖さまは、神話に端を発しています。
どこから本当に実在しているのか、定かではないし、
これからも確定はされないと思いますが、
第二十六代の継体天皇からは、ちゃんと時期も確定していて、
存在していることがわかっていることになっています。
それが、西暦507年からです。
つまり、ひとつ言えるのが、
西暦507年以降は確実に天皇がいた、ということです。
仮にそこから線を引いたとして、2017年までの間に
1510年間あります。
では、その1510年間についてさらに見てみましょう。
※
まず、皆さん知っている「いい国つくろう鎌倉幕府」。
つまり1192年以降、この日本を支配していたのは幕府、
つまり武家社会ということになります。
その期間は天皇が日本を支配していません。
で、その武家社会の終わりが江戸時代の終わりですから、
そこまでの歴史に線を引きましょう。
1192年から明治元年の1868年まで、676年間あります。
実際は鎌倉時代の前、平安時代の終わりごろから
武家社会になっていたのですが、ここはまぁ、大雑把に把握しましょう。
それと、第二次大戦が終戦したときに、
天皇は「象徴」となっていて国民の支配をしていませんから、
1945年から2017年までの72年間も、676年に足しましょう。
748年間になります。
先ほどあった1510年から748年を引くと、762年ということになります。
もちろん、武家社会の間も、戦後の近代に於いても、
天皇家はずっと存在はしていたのですが、
天皇が国民を支配していた、という期間は、762年間くらいだった、
と言えなくもない、というわけです。
実際には当時は「天皇」とは呼ばれておらず、
後から(明治以降になってから)この人が天皇だった、
と呼ばれている人々もいて、その期間は青い帯で示しました。
恐らくそのころも、天皇の権威は低かったと思いますが、
まぁ、ここでは762年間としておきましょう。
※
ここで、こんどは、その762年間について、
「支配の性質」で見てみることにしましょう。
安倍晋三が「美しい」とする天皇支配の体制というのは、
ただ単に天皇が国のトップにいる、という状態ではありません。
天皇と国民の関係が、
「国民は天皇のために、あるいは国のために、命を捧げる」という
関係になっている国のことを指しています。
では、天皇がこの国を支配していた762年間について、
国民はそういう気持ちだったのでしょうか。
それについて、調べる方法はありません。
が、類推することはできると思います。
まず、天皇のために死ぬ、というわけですから、
天皇という存在がどれほど国民の間に浸透していたのか、
ということを考えてみましょう。
それはひとえに、一人ひとりの日本人が、いったいどれくらい
天皇の存在を把握し、崇めていたのか、ということです。
今でこそテレビもあるしカメラもあるので、
天皇という人が実在することは誰でも知っているし、
姿も声も、確認することができます。
しかし、そういう文明の利器ができたのは最近です。
ここまで情報網が発達した現代でさえ、例えば東京で起きていることが
日本全国の隅々まで伝播されるには時間がかかります。
それが例えば1000年前だったらどうでしょう。
1000年前、文字が読める人、書ける人、というもの、
ものすごく限られています。
そういう人々が、どうやって天皇の存在を感じ、
崇めることが可能だったでしょうか。
日本人が初めて天皇陛下の声を聞いたのが、
1945年の玉音放送だった、ということを知れば、
想像がつくというものです。
少し前まで、田舎の方に行くと、昭和天皇や明治天皇の肖像が
飾ってあることがありましたが、
孝明天皇の肖像を飾っている、というのは聞いたことがありません。
あ、孝明天皇というのは、明治天皇のひとつ前の天皇です。
江戸時代最後の天皇、とも言えます。
当たり前ですよね、カメラなんてなかったし、
あったとしても庶民が天皇の写真を持つはずなどなかったのです。
・・・ということは、いま、我々が想像するような天皇崇拝は、
明治時代より前までは不可能だったと思われるのです。
逆に言えば、明治天皇・明治維新政府、というのは、
国民に「天皇国・日本」を印象づけるために、
それまで存在しなかった「メディア」というものを巧妙に利用しているわけで、
そのようなことができた支配層は、それまで存在していなかったのです。
日本の歴史を見てみても、
「天皇のために死になさい」などという教えがあったということは
江戸時代以前には聞いたことないですよね。
もちろん、例えば戦国時代などには、自分の領主のために戦うとか、
殿様に忠誠を誓う、ということはあったと思いますが、
それらも武家社会の中のできごとであって、
一般的な農民がどの程度の意識を持っていたのか、
ましてや政治の表舞台に立たない天皇に対して、
命を捧げる対象である、などという発想があったとは思えません。
そう、天皇の歴史がどれだけ長いものであろうとなかろうと、
「日本は天皇陛下の国であって、
そのために国民は命を捧げなさい」という教えは、
明治維新のあとに、急激に浸透させられた考え方なのであって、
それが日本古来の考え方なわけではないのです。
※
おわかりいただきたいのは、
天皇と一般国民の関係というのは、明治以降に急激に作られている、ということです。
これは、一種の「洗脳」であったとも言えます。
古墳や神社は昔からあるじゃん、という人もいるでしょうね。
もちろん、古墳も神社も昔からありましたが、
日本中の人が古墳を見ることができたとは思えないし、
神道が「国家神道」になったのは、やはり明治になってからです。
日本は長いこと、神社もあればお寺(仏教)もある、という国でしたが、
明治に入ってから、日本が「天皇による神の国である」という
世界観を作り上げるために、「廃仏毀釈」といって
日本中のお寺や仏像を破壊したりもしました。
国のために戦って死んだ人を神様として祀っている靖国神社ができたのも
明治2年(1869年)ですし、
先頃話題となった「銃剣道」という武道も、旧日本軍によって
明治時代に考案されたものであって、歴史が古くありません。
何が言いたいか、というと、
安倍晋三が「日本の伝統」であるかのように言っている
天皇と国民の関係性は、じつは明治時代に急激に作り上げられたものであって、
実は伝統でもなんでもなく、日本のあるべき姿でもないのです。
ときの為政者たちは天皇を大義名分にして、
「天皇国・日本」という世界観を作り上げることによって、
国民を支配し、独裁的な軍国主義を実現しようとしただけなのです。
その中心勢力は薩摩・長州と呼ばれる連中であり、
まぎれもなく安倍晋三は、長州の子孫だ、ということです。
※
では、最後に、安倍晋三の言う美しい日本とは、どれくらいの期間だったのでしょう。
国民と天皇の関係を正式に取り決めた「明治憲法」が制定された年
明治23年・1890年から終戦の1945年までだとすると、わずか55年です。
安倍晋三が言う「美しい国」とは、
このわずか55年間のことを言っているのです。
そして、彼の言う「美しい国」が破壊されて、
国民主権になっている世の中のことを「戦後レジーム」と呼んでいるのです。
安倍晋三が言っている「美しい日本」とは、
あくまでも「国民皆兵・富国強兵」を目指した時代のことであり、
この国をそこへと戻そうとしているのだ、とわかれば、
なぜ自民党の人間たちが、
「そもそも国民に主権があるのがおかしい」と発言したり、
「国に命をかけるものだけに選挙権を」などと発言することも
理解できると思います。
※
私は、あなたが何を望むのかは、わかりません。
彼らの言う「美しい国」を本当に望んでいるのかも知れません。
それなら、そう望むべきでしょう。
しかし、ことが起きてしまった後に、
「そういうことだとは思わなかった」と言うのだけは避けたいのです。
まずは安倍晋三の言う「美しい国」は、戯言である、
ということを知って頂ければ、と思います。