2020年から、中学校では銃剣道を教えるそうです。

 

 

銃剣道とはなにかと言えば、

ライフルの先に取り付けたナイフで敵を突く、あれのことです。

よく戦前・戦中の軍国教育のときに、

「昔はこんなことを教えていた」という映像で出てくる、あれです。

 

 

もっと言えば、旧日本軍は、

一番の訓練は本当に生きている人間を銃剣で突くことだ、

として、中国人の捕虜を縛り付けて、

本当に銃剣で突いていた、と言いますが、あれのことです。

 

この国の政府は今、子どもたちにそれをまた

学校教育の中でやろうとしています。

私の戯言ではないですよ。

新聞記事になっていました。2020年からやるそうです。

 

   ※

 

我が国の現在の総理大臣である安倍晋三は、

戦前の軍国教育の洗脳に利用された「教育勅語」を

教育基本法に照らして問題ない範囲内であれば、

復活させるべきだ、という考えを述べているそうです。

 

ここまでの事実から、皆さんはどう考えるのでしょうか。

この国は完全に戦前回帰に向かって、動き出しているのです。

人類の歴史を振り返れば、明らかに愚かな結末を迎えることが自明な、

独裁・軍国主義に向かって、動き出しています。

 

わかりやすく言えば、戦前の日本は

天皇が金日成と同じ役割を果たす北朝鮮と同じような国だったわけですが、

そういう国へと戻そうとしているのです。

 

それが、安倍晋三率いる自民党がやっていることです。

 

「は?」とお思いの方、いらっしゃるでしょう。

恐らく「なんのためにそんなことを?」と。

 

   ※

 

「憲法改正」という問題があることを、

恐らく聞いたことがありますよね。

憲法を変えるべきか・否か、という議論のことです。

 

大雑把に言ってしまうと、今の安倍晋三・自民党は、

戦後に制定された平和憲法である「日本国憲法」を

改正したくて仕方ありません。

 

なぜだと思いますか?

そのヒントは、彼らの言い分の中に隠されています。

 

   ※

 

安倍晋三はじめ、自民党の面々がいう、

「なぜ憲法を改正しなければならないのか」という理由。

 

大きくは二つあります。

ひとつは、「時代に合わないから」という理由。

もうひとつは、「自主憲法ではないから」という理由です。

 

ひとつめの「時代に合わないから」というのは

多分に主観の入った意見になってしまうし、

今という時代に合うとはどういうことなのか、という定義も曖昧です。

・・・というか、本当はこの理由は詭弁に過ぎません。
で、二つ目。

 

「自主憲法ではないから」

 

これは、どういうことか、というと、

今の「日本国憲法」は戦争に負けた結果、

GHQ(簡単に言えば占領軍のことです)から

押し付けられたものである、ということなのです。

 

日本人が自分で書いた憲法ではない、ということ。

 

これはこれで、いろんな意見があります。

「実は日本人が関わっていた」とか、そういうものです。

でも、まぁ、ここは安倍派に100歩譲って、

押し付けられた憲法だ、ということで、話を進めてみましょう。

 

   ※

 

「今の憲法は、占領軍に押し付けられた憲法であって、

 日本人が自分で書いたものではない。

 日本の憲法は日本人が書くべきだ。だから変えるべきだ。」

 

これが、安倍晋三・自民党の意見です。

私は正直言って、本当にこれだけが望みなのならば、

そうすればいいと思います。

 

平和憲法を、もう一度日本人が書き直せば気が済むのであれば、

そうすればいい。

ゼロから書くのが難しければ、今の日本国憲法を、

我々が書いたこととして認めるかどうかを、国民投票で決めればいい。

 

しかし、彼らの本当の望みは、

これから憲法を日本人が書くことではないのです。

そうではなく、そもそも日本人が書いた憲法がすでにあったのです。

そして、そちらに「戻すべきだ」と言っているのです。

 

   ※

 

日本の歴史を振り返ると、憲法というのは二つしかありません。

明治維新のあとに作られた「大日本帝国憲法(明治憲法)」と

戦後に作られた「日本国憲法(平和憲法)」だけです。

 

明治憲法は明治政府によって作られ、

平和憲法はGHQが作りました(ということにします)。

 

明治政府が作った明治憲法は、天皇の名のものとに

国が国民を支配するスタイルの憲法で、

一部の権力層以外は「臣民」と呼ばれる下僕です。

 

この憲法では、国民主権ではなく、

国民には基本的人権が認められていません。

日本はあくまでも天皇の国であって、

国民はその国を栄えさせるための働きアリです。

 

明治以降の日本はそういう国でしたから、

国に命令されるままに兵士になり、特攻までしたのです。

非常に大雑把ですが、そういうことです。

 

   ※

 

戦後、GHQが初めて日本という国の中を見てみると、

とんでもない思想が国民を操作していて、

一億総玉砕のような考えを実現していたことがわかり、

そのような思想に二度と洗脳されないように、しないように、

日本は平和憲法によって民主化されたのです。

 

それが、今の我々の住む、日本です。

 

それは、我々国民にとっては嬉しいことですが、

明治憲法を作り、国民を支配したかった人々からすると、

それはどのように映るでしょう。

 

彼らからすると、せっかく作り上げた独裁国家・日本を、

GHQが解体し、国民を下僕から解放して主権者にしてしまい、

二度と戦争できない国に変えられてしまったのです。

 

彼らにとって都合のいい国、「美しい日本」は、

戦争に負けたことをきっかけに、取り潰されたのです。

 

   ※

 

戦争の記憶は、終戦当時は国民だけでなく、為政者にも痛烈に残っていました。

だから政治家たちも「二度と戦争はいけない」と本気で思っていたのでしょう。

 

日本はいろいろあったけれど、あれ以来二度と戦争はせずに来ました。

 

しかし、戦後70年以上が過ぎると、

そういう戦争を体験した世代がいなくなってきます。

そんなタイミングを見計らって、

再び日本を戦前の「美しい国」に戻そうと登場したのが、

安倍晋三、というわけなんですね。

 

   ※

 

「憲法を改正する」という場合、ふつうは

「なにをどう改正するのか?」ということが問題になるはずです。

 

でも、そこについては誰も何も言いませんよね。

「改正するか・しないか」しか問いません。

 

私自身、現行の憲法に指一本触れてはならない、

とは思っていません。

「平和憲法」をさらに良くするなら「改正」はありです。

しかし、安倍晋三・自民党が望んでいるのはそういうことではない。

彼らが望んでいることをわかりやすくいうと、

憲法改正ではなく、「明治憲法復元」なのです。

 

ですから、本来、憲法改正問題は、

「明治憲法復元問題」と呼ぶべきであって、国民に是非を問うときも、

「明治憲法を復元すべきか・否か」で聞けば良いのです。

 

さすがにこれでは「賛成」という人はほとんどいないでしょう。

だから「憲法改正」などという言い方をして煙に巻いているのです。

 

   ※

 

ここでひとつの唄を紹介します。まず読んでみて下さい。

 

~祖国の子どもたちよ 栄光の日がやってきた

 我らに向かって 暴君の血塗られた軍旗が掲げられた

 獰猛な兵士たちが 野原でうごめいているのが聞こえるか?

 子どもや妻たちの首をかき切るために

 奴等は我々のもとへやってくるのだ

 武器をとれ 市民たちよ

 自らの軍を組織せよ

 前進しよう 前進しよう

 我らの田畑に 汚れた血を飲み込ませてやるために~

 

なかなかえげつない歌詞ですよね。

これはなんの唄だと思いますか?

 

これはフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の歌詞です。

この唄は、王様の圧政に対して市民が立ち上がり、

戦い、そして自らの権利を勝ち取ったフランス革命を唄っています。

 

ここで言う暴君とはフランス王朝のことだし、

獰猛な兵士とは、フランス王朝の軍ということです。

これを戦前の日本に置き換えたら、天皇という暴君と、
日本軍を相手に戦え、という唄なわけです。

すごいですよね。

こんな奴を取り締まるには、共謀罪が必要です(笑)

 

とても重要だと思うことは、これは国歌ですから、

何かの行事であるとか、オリンピックでメダルととったときとか、

そんなときに、毎回かかるわけですよね。

そして、この言葉が、普通の現代語と同じフランス語であること。

つまりフランス人は、ことあるごとに、

この歌詞を聞き、歌い、今ある自分たちの暮らしが、

かつて命をかけて戦った人々の犠牲のもとに存在していることを

感じながら生きているのです。

 

だから、自分たちが命がけで手に入れた市民の権利を、

決して国に奪われないように、努力を怠らないようにしよう、と

意識できるわけです。

 

実は、世界各国の国歌の歌詞を調べると、

このようなものはいくつも見られるのです。

 

   ※

 

そのような例を踏まえて、我が国・日本を振り返ってみると、

日本人は、いや、日本国民は、という方がいいですね。

日本国民は、自らの権利のために国に対して立ち上がったことはないのです。

これまで日本人は何度も戦争を経験していますが、

それらはすべて「お国のため」に「外国」と戦ったのであって、

国民が自らの自由と権利のために国を相手に戦ったことがない。

 

明治維新のときの戊辰戦争は、

地域の支配者が国の支配者に対して起こしたクーデターなので、

フランス革命のような「市民革命」ではないのです。

 

ここ、ものすごく大きなポイントです。

 

   ※

 

しかし、日本国民は、先の大戦で非常に大きな犠牲を払いました。

もしそのことが「民主化」や「国民の権利」を手に入れるための

代償だったと捉えるのであれば、

(恐らく日本国憲法は敗戦をそのように位置づけていますが)

日本国民は、もっと敗戦を意識し、戦争に我々を駆り出した政府を警戒し、

自分の権利を脅かす存在と必死で戦わなければならないのです。

 

憲法はすでにそのことをわかっていて、第12条で、我々国民に、

このように提言しています。

 

「第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、

 国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」

 

我々は自らの自由と権利を守るために、

いっときもボーッとしていてはいけないのです。

どんなときにも、政府やその類いの勢力が我々の権利を脅かすことのないように、

常にアンテナを張り、対抗措置をとらなければいけなかったのです。

 

そう考えると、もし日本人が本当に平和を望み、

我々の自由と権利を保ちたいのであれば、

戦後、少なくとも国歌は変えなければならなかったと思います。

 

そしてその国歌は「君が代」のような古語ではなく、

今の我々にも普通に理解できる、

学校の校歌のようなレベルの日本語で書かれていなければならず、

 

その内容は、

我々は政府に導かれ 誤った戦争をしてしまったけれど、

その結果、自由と平和の大切さがわかった

この世のすべての人に等しく生きる権利がある

これからは世界中の人々が自由で平和でいられるように

日本はそんな世界を目指す

 

そういう内容でなければならなかったのです。

その国歌を、国の行事でもオリンピックでも、毎回唄うことで、

今の我々がこうして生きていられることの意味を

噛み締めていかなければならなかった。

 

けれど、そのような努力から、誰もが目を背けてしまった。

その結果として、戦前からこの国を支配したがっていた勢力が、

なぜか再び為政者の座につき、

70年経ったいま、さらに具体的に行動を起こしている、

ということなのです。

 

   ※

 

冒頭の話に戻りますが、この国はいま、

未来を担う子どもたちに「銃剣道」を教えようとしています。

もし自民党の改憲草案の通りに憲法か改正されたら、

天皇は再び国家の元首となります。

 

明治政府の提唱した天皇国・日本は、その起源を「神話」に求めています。

日本は神の国であり、他の国より優れているのだ、という根拠のない選民意識が、

今でもアジア人を目下に見る差別意識の源泉であるように思えます。

 

   ※

 

残念だけど、ひとつの核心を突いてしまうと、

結局、市民としての日本人が、
自らの自由や権利のために立ち上がったことは
いちどもない、というのが、
この国が狂っている大きな原因のひとつなんですよね。

 

どこの国も、市民がお国と戦って、
そして議会や民主主義を手に入れてる。

そこでは残念ながら血も流れているし、
命も失われてきた。

 

日本人が、民主化された今の憲法を大事にしないのも、
平気で投票権をムダにするのも、
自分の努力で手に入れたものではないから。

他者から与えられたものだから。

 

そういう意味で言うと、薩長の連中だけが、
自分たちで努力して政権をとり、
自分たちで憲法を作ったのだから、
それに拘ったり、そこに戻したいのは、当たり前。

 

安倍晋三は、長州の人間ですからね。

 

政府や国会には、明治維新の子孫が、世襲でいっぱいいるんだから。

私としては、犠牲を出さずに、この平和な日本を守りたい。


だとしたら、みんなが気づくしかない。

失ってから気づくのではなく、失う前に。

 

だって、立ち上がったら捕まりますからね。
それが「共謀罪」ですよ。

彼らは自分たちがクーデターで政権を取ってるから、
他の人間に同じことをさせないように、法律を作っていってる。
 

そういうことなんですよ。

 

皆さんの頭の中で、点と点が線として繋がることを願います。