今、時代が変化するスピードは恐ろしく速いですね。
ここ5年の人類の変化は、過去の世界なら
何百年、いや何千年もかかって起こした変化と
同じくらいなのではないでしょうか。
そう考えると、5年後を予測するなんて到底できませんよね。
ところで、この社会の面白いところは、
「現世」というひとつの箱の中に、
様々な異なる経験と常識をもった世代が
そうとは知らずに一緒に住んでいることだと思っています。
どういうことか、というとですね。
先日、ちょっと夜の田舎の道を歩いていたのですが、
もう鈴虫の大合唱がすごいわけです。
で、そこは交通量の多い道の脇だったので、
車もたくさん走っている。
そこでこんなことを思うわけです。
鈴虫の成虫の寿命ってだいたい1~2ヶ月だそうです。
ということは彼らはこの四季というものを
2度経験することはないということですね。
それがどんなに暑い夏でも、寒い夏でも、
彼らにとっては一生で一度きりの夏です。
だから「去年より暑いね」という感覚はない。
それはあらゆる生き物に共通する感覚のはずです。
例えば山に住む熊が人里まで降りてくるという話を
最近よく聞きますが、
彼らは自然が破壊されて住む場所が狭くなったり、
気候の変化で食べ物が少なくなったりして人里まで来るわけですね。
しかし、子熊はどう考えるかというと、
もっと森が広かった時や、道路が通る前のことは知りませんから、
「こんなものだ」と認識して生きていくわけです。
逆に植物、とくに樹齢の長い木はずっと前のからのすべてを見ている。
その中での環境変化を感じ取っているわけですよね。
そういう視座を持ってみる必要があります。
我々は同じ世界の中にいながら、それぞれに別のものを見ているのです。
※
この感覚は、もちろん人間社会にも顕著に言えます。
私はいま53歳で、子供の頃はオンエアされるテレビ番組は
リアルタイムで観るしかなかったですが、
途中からビデオデッキが出てきて録画ができるようになりました。
パソコンも携帯電話も、スマホも、
それが生まれる前を知っています。
今、生まれた人間の赤ちゃんは、
スマホやデジタル技術、AIがあるのが当たり前だと思って
大人になっていきます。
それがない時代のことはわかりません。
このことがどういう未来につながっていくでしょうか。
これからクルマに乗る多くの人は、
電気自動車がどのような仕組みで動くのか知りません。
内燃機関(エンジン)を持った自動車の、
MT車に乗っていたことのある人は、
クルマがどのような仕組みで動いているかをだいたいわかっていました。
よく故障するから、それを知らないと運転できなかったのです。
ボタンを押すと、何かの結果が出てくる。
しかし、その間に何が起きているのか、知らない。
どうしてそれが出てくるのかは、知らない。
こういうことが当たり前になってきていますね。
現代人は、スーパーで並ぶ肉や野菜、魚の切り身が、
どのような場所で生まれ育ち、
どのように収穫され、どのように送られてきたかを知らない。
情報はすべてが点であって、線にも面にもなっていないわけです。
こういうことが当たり前になっていくとどうなるでしょうか。
※
いま、私たちは地球温暖化という大問題に対処するため、
二酸化炭素を出さない燃料への切り替えを急いでいます。
それはつまり、化石燃料から電気への切り替えですね。
それにあわせて、デジタル化への大きな波も押し寄せています。
その裏で、データセンターが大量の電気を消費しています。
そうすると、何が起こるのか。
私たちはなんの変哲も無い日常を送るために、
今までは考えられないような量の電力を消費することになります。
しかし、エネルギーに依存することが当たり前になった世代は、
そうではない方法を知りません。
すると、私たち人類という種を支えているのは「電源」ということになります。
私たちは種の存続を電源だけに依存するという
一本足打法に向かって、どんどん走り続けているということがわかるのです。
さて、その電源が切れたとき、どうなるでしょう。
そのとき、人類の「生きる力」はすでに空洞化しており、
取り返そうにも、何を取り返せばいいのかさえも
誰も知らないという時代になっていくでしょう。
テクノロジーやエネルギーに極端に依存する
そのような人間の在り方が、
最終的には人類という種の絶滅を引き起こすのだろうと、
私は考えています。
もちろん、他の要素も絡み合うはずですが。
※
これからの自然環境について視座を高めた人間になるために、
「人類はいかにして絶滅するのか」を真剣に考えるワークショップを
実施しようと思っています。
もし興味のある方がいらっしゃれば、ご連絡ください。
ただし、環境に関する活動をすでにやっているような、
そもそも意識のある方がやっても意味はあまりないので、
ゲーム感覚でやってみたいという人の方がいいと思います。