第48番·龍像寺
りゅうぞうじ
武相卯歳観音霊場
第48番龍像寺へ
さて、武相卯歳観音48ヶ所霊場
ラストの48番札所の龍像寺へ❗️
寺号標のようなものがイナリ号車中から
見えましたので、思わず車を止めて
パチリと📱
見えてきました❗️
うわあぁぁ~
なんかすごい迫力を感じます
龍像寺、龍だからかなあ~(←思い込み)
山門もすごくカッコいい
と言うかやはりなんか
迫力を感じました
淵源山の扁額
正面は本堂かな
手水舎
龍像寺さんの龍ですね
水が清々しい
由緒をネットから
引用いたします…
當寺は暦応年間(1338~41年)、渕辺伊賀守によって開創され、天台沙門存光師によって建立されました。
その後、巨海才大和尚によって再興され、天台宗より曹洞宗に移りました。その歴史によると、村の東に池があり武蔵相模の二国にまたがっていました。池には大蛇が住んでいまして、しばしば人畜に被害を及ぼしていました。時の地頭渕辺判官伊賀守義博は幕府の許可を得、大蛇を退治しました。判官が大蛇に二本のかぶら矢を放ち命中。蛇体は三段となり飛び散りました。判官はただちに池を埋め、そして三段に散った蛇体を、その各々の場所に葬り、天台沙門存光師を招いて、龍頭、龍像、龍尾の三ヶ寺を建立しました。しかし、その後三寺とも荒廃に帰してしまい、巨海才和尚はこのことを痛ましく思い、三寺を龍像寺に統合し再興して、曹洞正宗伝法開山となりました。すなわち今日の當寺であります。
なんか「日本むかしばなし」に
ありそうなエピソードですね❗️
昔の人は龍や天狗、狸や狐なんかも
身近に感じる人が多かったのかも
しれませんね
観音堂へ向かいます
続きます……