先ず、私が中国に行った切っ掛けは老子の哲学と香港の映画でした。

老子の哲学はずっとカソリック教徒だった私にまったく新しい世界観を披露してくれました。

香港のアクション映画はとにかくカッコよかった! そのかっこいい男たちが喋る中国語がまたカッコよかったのです。 そこで取り合えず見に行こう!という乗りで中国に飛んじゃったのです。 1993年の秋のことです。

 

それから北京大学に行ったのは、、、腹が減ったからです。 何それ?

中国について空港から英語が全く通じなかったわけで、ドルしか持ってなかったので食べ物も買えなかったわけでしょう? 二日間何にも食えなかったのです! あの時は老子もどうでも良くて取り合えず何かを食べなければいけないという一念しかありませんでした。 そこで思い付いたのが中国の名門、北京大学。 そこに行けば英語ができるエリートたちに会えるだろうと。 そこで助けてもらえるだとうと。  結局、そこである朝鮮族の教授の方に出会い、あの方のおかげで初めての食事をすることになります。 北京大学との縁はそういう風に始まった。↓写真の左側の方が私を飢え死から救ってくれた金先生!右側の眼鏡の女性は私の中国語先生。

北京大学留学時代、私は校内にある留学生専用塾に住んでました。 一つの屋根の下に世界各国からやってきた学生たちが住んでました。

初めてのルームメイトは食パンに生大蒜を入れて食べてた東ドイツのやつ、その次は足が恐ろしいほど臭かったモザンビークのやつ、続いて大人しい猫みたいな日本のやつ、女のことしか頭になかった南アフリカのやつ、、、そんな感じで揉まれて生きてるうちに相手が“外国人”である前に“人間”として見え始めました。 そして外国語もただの“その人間の言葉”として感じられました。  その時、私の部屋には男女を問わず、いつも色んな国の友達が集まって一日も退屈な日はありませんでした。

 

それからある日、図書館で運命の出会いがあったのです。 日本の女の子に一目ぼれ!半年にかけて粘り強く口説いて、付き合い始めてから日本語も胸で覚えるようになりました。

韓国人じゃない誰かと“話がしたい”、“もっと相手のことは知りたい”という強烈な動機が生まれて初めてできたのです。 米国にいた時はそんなことなかったです。 アメリカ人はどうせ自分は違う別種の人間だから、彼らも自分をそう思ってんだろうからという偏見がありました。 当然韓国人以外に仲良くしていたアメリカ人もいなかったわけ。

しかし、中国に留学して三か月後一人で無銭旅行に行ったり、4か月後大学院の中国哲学部試験に受かったり、そして一年後アメリカに戻った時はロスの空港で4ヶ国語が一気に耳に入る不思議な経験をしたのです。 

 

言葉を身に着ける為の必要なのは頭じゃありません。 頭の悪さでいうと私はだれにも負けない自信があります。  必要なのは動機(モチベーション)、動機は人間だけじゃなくて本、映画、音楽、漫画等等その国の文化に興味を持たせてくれるものならなんでもあり。 

 

重要なのはその動機を維持する工夫です。

その工夫の方法は中国のドラマを毎日見るとか、歌を中国語で覚えてカラオケで練習するとか個人の興味によって異なりますが、一つだけ欠けてはいけないのがあり、それが「人間との接触」です。 新しく覚えた言葉を気軽に使える相手。 試験の為に覚えた英語単語は試験の翌日に忘れますがアメリカ人に使った単語は大体忘れません。 

 

だから外国語が上手な人は必ずその言葉が母国語の親友が周りにいます。 必ずいます!

言葉はPART1で話したように“気と気のぶつかり合い”で全身の細胞に染みるもんだから。